25.抱擁


 長く地上に留まった陽が落ちれば、極彩色のネオンが本領を発揮する。夏休み期間とあって夜の繁華街には若者が多く紛れ、普段に比べると全体の年齢層が低くなっていた。


 とはいえ、彼らはそれほど財力があるわけではない。二、三件居酒屋を回ればゲーセンか二十四時間営業のカラオケ店に行くくらいが精々だ。


 それすら出来ない者は路地のあちこちで座り込み、コンビニで買った飲料を片手に語り合う。


 中には奢ってくれる優しい相手を虎視眈々と待つ娘達も少なからずおり、下心を剥き出しにして声をかける男達をあどけない笑顔と口調で迎撃しつつ、その裏で狡猾に値踏みしていた。



「ね、暇してるの? だったら一緒に飲まない?」



 今夜も携帯を手にあれこれ話していた三人の女子達は、声の主を見上げて軽く驚いた。


 いつもこのように声をかけてくるのは性欲全開といった男ばかりなのだが、その人物は自分達と同年代の女の子だったからだ。



「実はさ、合コン予定してたんだけど友達が急に来れなくなっちゃって。で、代わり探してたんだ。良かったらお願いできない?」



 顔の前で軽く手を合わせ、申し訳なさそうにウインクしてみせるその娘は、同性の目から見ても飛び抜けて可愛い。また服装もお洒落で、肩に掛けたバッグは高級ブランドの物だった。



「俺らからもお願いします。もう友達来ちゃってるし、マジ困ってるんだ」



 更に、彼女の背後からも二人の青年が増援に来る。


 片方は今大人気の男性アイドルユニットのメンバーに似た可愛い系、もう一方は有名モデルが雑誌から抜け出てきたかのような美男子だ。


 ぼんやり見惚れる女子達に、三人は畳み掛けた。



「お金なら全部こっちが持つから、あたしの友達の代わりに一緒に来てよ。座ってるだけでいいからさ、ね、お願い」


「三人ともすごく可愛いから、皆も喜ぶよ。てか本音言うと、俺が一緒に飲みたいだけなんだけどさ」


「そうだ、良かったら連絡先だけでも交換しようよ。皆に先越されたくないし。駄目かな?」



 突然降って湧いた僥倖に、一も二もなく彼女達が頷こうとしたその時――冷ややかな声が六人の間に割って入った。



「やめなよ」



 筒見つつみの身がびくり、と揺らぐ。



「その人達、嘘ついてる。お菓子に釣られて知らない奴らに付いてくのは勝手だけど、幼児じゃないんだから痛い目に遭っても全部自己責任だよ」



 数メートル離れた場所から淡々と言葉を紡ぐのは、こちらもやはり同年代と思しき若い娘だった。


 真っ直ぐこちらを見つめるガラス玉のような瞳に、のぼせかけていた女子達の頭が急速に冷える。


 三人は顔を見合わせると目で互いの意見を確認し合い、その結果、荷物を抱え慌てて逃げ出していった。



「あ〜もう、行っちゃったじゃん。あんたさあ、何を根拠にそんなこと言っちゃってくれてるの? どうして邪魔するかなあ?」



 モデル風の男が苛立ち気味に吐き出し、詰め寄ってくる。すると七瀬ななせは、パーカーのポケットから警報器を取り出してみせた。



「嘘じゃないなら鳴らしてもいいよね。さっき警官が近くを見回りしてたから、すぐ来てくれるよ。事情を聞かれたら、可愛い女の子達と仲良くなりたかっただけなのに嘘つき呼ばわりされましたって泣き付けば? 侮辱罪だか名誉毀損罪だか知らないけど、こっちも弁護士つけて受けて立つよ」



 彼らが醸し出すただならぬ様子に、周囲の人々が何事かと振り向きながら通り過ぎていく。


 青年は舌打ちすると、固まっている筒見の腕を引いてその場を立ち去ろうとした。しかし、その手が振り払われる。



「待って。このまま引き下がったんじゃ、あたし達が本当に嘘つきみたいじゃん。あたしがしっかりこの子に説明しとくよ。じゃなきゃ悪い噂されて、もうこの辺で遊べなくなる。だから先に戻ってて」


「あ? だったら俺らも」



 モデル風の男の言葉を遮り、筒見は彼を睨み付けた。



「タクミ、あんた、あの子に警戒心抱かれてるのもわかんないの? 何よ、あの態度。『女の子には優しく』っていつも言ってるのにホント使えないんだから。この失態を『皆』に黙ってて欲しいなら、引っ込んでな」



 蒼白して一歩下がった男から、次は立ち尽くすアイドル系に視線を映し、彼女は冷ややかに告げた。



「ケイ、あんたもよ。おろおろ突っ立ってるだけで何もせずやり過ごそうなんて、あんた、それでも男なの? ほら、行って。代わりはあたしが一人で見付ける。あんた達なんか、足手まといにしかならない」



 筒見の有無を言わさぬ圧力に負け、男二人はすごすごと去っていった。


 それを見送ると筒見は打って変わって華やかな笑顔を作り、七瀬に向き直った。



「連れが失礼しちゃってごめんねえ。悪い奴じゃないんだけど、ちょっと頭に血が昇りやすくてさ。誤解しないであげて、ね?」



 過剰なまでに甲高い声で手を握り、全身に甘い誘惑の香りを纏いながら、上目遣いに媚びた眼差しを注ぐ彼女は、七瀬の知る親友ではなかった。


 女を騙し脅し食い物にし、今も尚その肉体と涙を金に換えて啜る、筒見つつみ恭司きょうじ――その男の義理の娘であり、そして優秀な手駒。数々の繁華街の闇を跋扈する、非道なる女衒集団一味の幹部だ。



「そう……誤解だったんだ。こちらこそごめんね。邪魔したお詫びに、私がその合コンとやらに行くよ」



 しかし七瀬の吐いた言葉は、いとも容易く彼女の仮面を砕いた。



「一人じゃ何だし、知り合い呼ぼうか? ユキさん、マアサさん、リオさんなら多分すぐ来てくれると思う」


「…………やめて」



 耳慣れた友人達の名前を並べられると、筒見は俯いて小さく呟いた。七瀬は取り出した携帯をしまい、再び彼女を見つめて言った。



「じゃ、私一人でいいね。場所はどこ?」



 筒見が黙って背を向ける。付いてこい、という無言の訴えに七瀬は従った。



 連れられた先は、店どころか人気もない真っ暗な裏路地だった。


 現在はこの界隈を活動の拠点にしているらしいので、こういった身を隠せるような穴場も知り尽くしているのだろう。



「合コンなんて初めてだけど、随分と変なとこでやるもんなんだね」


「そんなわけないってわかってるでしょ。どうしてここがわかったの」



 七瀬が呑気に漏らすと、筒見は突き放すような冷たい声音でに返した。


 質問には答えず、七瀬は背を向けたままでいる彼女の肩を引いてこちらを向かせた。



「帰ろう、筒見さん。不幸な女の子を増やして何になるの。父親の命令だから? 彼の逮捕に協力して、陥れた負い目があるから? それともまた昔のことで、脅されてるから?」



 何の感慨も込められていない静かな問いかけは、しかし筒見の精神の最深部を鋭く抉った。


 そこから吹き溢れる血が、視界を真っ赤に染める。それを感じながら、筒見は七瀬に掴みかかった。



「何で、知ってるの? 調べたの? ねえ、どこまで調べたの!? 誰かに言った!? 余計なことしてんじゃねえよ! てめえ、ふざけんな!」



 襟首を掴んで揺さぶり口汚く喚く彼女に、七瀬もまたレースブラウスの胸倉を掴み返した。そして、チークの乗った頬を思い切り引っ叩く。



「ふざけてんのはそっちの方だろうが! 過去のこと知ったくらいで、私に友達辞めてもらえるとでも思った? その程度じゃ、てめえの価値は少しも揺らがないんだよ! それくらい理解したらどうなんだ! このバカ女!」



 筒見は打たれた頬を押さえ、怒鳴り倒す七瀬を呆然と見上げていた。


 初めて受ける友の激昂によって、血色に染まった視界がじわりと溶けて滲んでいく。漸く筒見は自分が泣いているのだと気付いた。



「だって……仕方ないじゃん。あたしが、逃げたら……っ、他の皆に、迷惑がかかるんだもん。も、もう、皆の住所も、調べてあるって。逃げたら、代わりにするって。ナナちゃんだって……あいつらに、目を付けられてる。探偵のせいで、顔まで、割れてるんだよ……? ナナちゃんを、犠牲になんて、出来ない。出来ないよぉ……」



 激しく泣きじゃくり、嗚咽混じりに訴える筒見の頭を優しく撫で、七瀬は吐息混じりに囁いた。



「殴ったりしてごめん。わかった、今連れて帰るのは諦める。でも、これだけは覚えておいて」



 筒見が涙に濡れた顔を上げると、確固たる意志を宿した強い目が待ち受けていた。



「筒見さんが本当に解放されるなら、私は代わりになっても構わない。そんなことしてもあの人達はきっと筒見さんを離さないだろうけど……でも筒見さんが一人じゃ辛いなら、一緒に行く。連れ帰るのが無理なら、そうしようと思ってここに来たんだ。でも、それこそ大きなお世話だったみたいね」


「あったり前じゃん、どっちがバカだよ……バカ」



 そう言って見せた笑顔は、七瀬のよく知る筒見つつみ愛梨あいりのものだった。


 筒見は七瀬を抱き締め、その頼りない体を確かめるように、また刻みつけるように腕に力を込めた。



「ナナちゃん、会えて良かった。でももう、あたしに近付いちゃ駄目だよ。ナナちゃんは、あたしが守る。あたしのこと、大切に思ってくれて本当にありがとう。離れてても、ずっと友達だよ。もう、行って。あんまり遅くなるとあの二人に怪しまれるから…………さよなら、ナナちゃん」


「…………うん」



 七瀬は小さく頷くと、筒見から離れた。



 しかし路地を出る直前でもう一度振り向き、見送っていた筒見に告げた。



「ねえ……囚われの姫を救うのは、いつだって王子の役目だよね? 王子は必ず邪悪な怪物を倒す、だから姫はその時までただ待ってればいい。お伽話の定石だよ」


「え? 何言って…」


「脇役はこれにて出番終了。後はエンドロールまですっこんでる。じゃまたね、筒見さん」



 ひらひらと手を振って七瀬の後ろ姿が消えても、筒見は縛られたように動けず、いつまでもいつまでも立ち尽くしていた。

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