26.鏡面


 市街地の外れにある古びたホテルの一室で携帯電話のコール音を聞きながら、筒見つつみ恭司きょうじは眉間に皺を寄せながら苛立ちを噛み殺していた。


 相手は彼の昔からの仕事仲間で、使えそうな女を風俗業者に斡旋する重要な役目を担っている。だが、昨夜から連絡しても全く繋がらない。


 ここ最近、同じように不通となった者が何人かいる。


 仕事柄、こうして突然行方を眩ませる奴は珍しくない。けれども、特に問題があったわけでもないのに、このところ妙に頻発している。


 そして何より、長らく共にこの職に手を染め、出所した自分をわざわざ迎えに来た程の人物までもが消えたとなると、流石に何かおかしなものを感じずにはいられなかった。


 恭司は通話終了のボタンを押し、立ち上がった。



 嫌な予感がする。


 数々の危機や修羅場をくぐり抜けてきただけあって、この手の勘には自信があるのだ。



「キョウさん、何処行くんすか?」


松木まつきのところだ、お前らも来い。もしかしたら、まずいことになってるかもしれん。すぐに荷物まとめろ。武器も用意しとけ」



 室内に控えていた五人の男に命ずると、恭司は即座にホテルをチェックアウトした。


 暫くは居場所を固定しない方が良いという、本能の警告に従ったのだ。



 外は既に夕闇に包まれていた。ゆるく吹く風が、熱の残り香を肌に擦り付けては過ぎていく。


 松木の自宅は、豪奢な屋敷が並ぶ高級住宅街の一角にあった。


 周囲へは『人材派遣の会社経営者』と肩書を名乗っており、近所との付き合いも良好で、町内会の役員を任されたこともあるという。


 どいつもこいつも疑うことを知らないバカばかりだと、彼は人の良さそうな顔を歪ませ、裏ではせせら笑っていた。


 松木がそんな面倒を押してまでここに居を構えたのは、単に己の城を持ちたかったという理由だけでなく、こういったところに住んでいれば安全だからだ。



 彼の邸宅に到着した恭司達は、周囲を警戒しながら敷地内に侵入した。


 建物の周りを注意深く偵察してみたが、どの窓にも灯りはない。また彼が外出していない証にコレクションしていた数々の高級車は全て車庫に残されていた。



「…………防犯装置が作動してねえな」



 我が子のように大切にしていた愛車を収めた駐車場に立ち入っても、設置された防犯用赤外線センサーは彼らを探知せず、警報機も警告灯も静止したままだった。



「庭の方も全滅です。何者かに侵入されたようで」



 連れの男の呟きに、恭司も頷いた。



「ああ、どうやらそのようだな」



 六人は二人一組となり、玄関、裏口、テラスと三手に分かれて、細心の注意を払いながら家の内部へと忍び込んだ。


 最初に異変に気付いたのは、裏口の方に回った二人組だった。


 電気メーターが全く動いていない。調べてみると、引込線が引き千切られていた。このせいで送電が止まり、セキュリティが効かなくなっていたようだ。


 裏稼業に手を染めている松木はもしもの時に勝手に立ち入られることを恐れ、セキュリティ業者とは契約していなかった。そのため家のセキュリティはほぼ見掛け倒しで、設置されている防犯グッズの数々は大きな音を出したり強い光で牽制したりするくらいのものばかりなのだ。代わりに恩を売った極道筋から屈強なボディガードを数人雇い、常に見張らせていた――はずだが、そいつらの姿も見当たらない。


 故意に電気が止められていた件について携帯で知らされた恭司は、相方となった男にも伝えて更に用心して室内を見て回った。電気が点かない以外、取り立てておかしなところはない。物色された形跡も窺えなかった。



「キョウさん、二階です! 二階の寝室に来て下さい!」



 テラスから入った一人が、大きな声で呼ぶ。その声音には隠しようのない焦りと恐怖が滲んでいた。


 連れてきた五人は、揃いも揃って暴力団上がりの強者だ。そいつがこんな怯えた声を漏らすなんて、ただごとではない。


 暗闇の中、携帯電話のライトを頼りに螺旋状の階段を登り、松木の寝室に辿り着いた恭司は、大きな天窓を透かして落ちてくる仄白い月明かりの中――照らされた光景に身を強張らせた。



 そこは一面、血の海だった。


 キングサイズのベッドも、絨毯に包まれた床も、壁も家具も何もかも、飛び散った血潮に斑に染められている。



「…………これ、松木さん……ですよね?」



 最初に発見したらしき男が震える指で差した先には、開かれたままの三面鏡があった。身だしなみに気を遣うタイプだった彼らしく、鏡台には男性用化粧品や香水などが並んでいる。



 その鏡面に、松木はいた。



 正確には、くり抜かれた目玉と毟り取られた鼻とくちびる、そして引き抜かれた舌が、彼の顔形を模した配置で貼り付けられていた。


 納得いくまで何度もやり直したらしく、パーツの周りには糊代わりに使われた血液が、幾重にも迷い線を描いている。



 しかし残されていた松木の肉体はそれと夥しい血液のみで、辺りには部位を摘出された頭部はおろか、胴体も手足も見当たらない。護衛に当たっていた者も、肉片一つ残されていなかった。



 流石の恭司も、ぞっとした。



 何だ、これは?

 一体、松木の身に何が起こった?


 何に巻き込まれた? 誰がこんなことを?



 そこで恭司の脳裏に、はっと閃きが走った。



「おい! 監視カメラは生きてるか? この部屋のカメラは、他と違って電池式だったはずだ。探せ!」



 不気味なオブジェと成り果てたかつての仲間の姿に凍り付いていた五人は、鋭い声に我に返った。慌てて薄闇に目を凝らし、目的の品を探し回る。


 程なくして、それは見付かった。



「ありました! ですが……やっぱり壊されているようです」


「よし、それ持って河内かわちのところに行くぞ。あんまり長居したら、俺らが疑われる。とっととズラかれ!」



 恭司の命令に従い、彼らは迅速に部屋を出た。


 最後に恭司はもう一度、鏡と一体化させられた松木を振り向いた。



「…………頑張った割にゃ、ちっとも似てねえな」



 それを造形したであろう者に捨て台詞を吐き、仲間だった者の無残な姿を目に焼き付けてから、彼も先を行く部下達を追い、松木の家を後にした。

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