27.黒影


 数時間ほど車を走らせ、人里離れた山間部にぽつりと存在する小さなログハウスに恭司きょうじ達が到着すると、前もって連絡しておいた管理人は下卑た笑みで出迎えた。



「キョウちゃん、いらっしゃい。あれ、何? 今日は野郎ばっか? 野郎を撮る趣味はないんだけど、どうしてもって言うなら今から支度しようか?」



 サングラスの奥から濁り澱んだ目で全員を物色するそいつに、恭司は無残にひしゃげたカメラを差し出した。



河内かわちよ、こいつらはともかく、俺はてめえの『作品』とやらになる気はねえぞ。今日の用向きは、そっちじゃねえ。こいつから記録を引き出してくれ」



 河内と呼ばれた男はそれを受け取り、様々な角度から眺め回した。



「ふむ、やってみよう。代わりに今度はもっと可愛い娘を頼むよ。キョウちゃんの連れてくる子、皆似たようなのばっかりで撮影し甲斐がなくてなあ。どうせ上玉は稼げるってんで松ちゃんに流して、こっちにゃ余り物を寄越してるんだろ? たまには俺にもいいのをくれよ。全く不公平だ」



 河内の口から松木まつきのあだ名が漏れると、六人の間に暗い空気が落ちた。


 悍ましい彼の最期の姿が、再び全員の脳裏に浮かぶ。あの光景は当分忘れられそうにない。



「……わかった、次はお前を優先する」



 恭司が低く告げると、河内は心底嬉しそうに笑い、六人を様々な機材が犇めく室内へと招き入れた。



 河内の作業は十分と経たずに終わった。


 分解してみると、呆れたことに中のメモリーカードが傷一つない状態で残されていたからだ。



 とんだ間抜けだと嘲笑いたいが、まずはその間抜けの面を拝む方が先だ。事情を説明して恭司がすぐに中身を見たいと要求すると、河内は二つ返事で了承した。


 だが事の重大さを理解しているのかいないのか、彼はまず新しく買ったというパソコンのスペックを軽く自慢してから、もったいぶった手つきで効果音を口で奏でながらメモリーカードを挿入してみせた。河内とはこういう奴なのだ。


 しかし映像が再生され始めると、七人は顔を寄せ合い、モニターに釘付けとなった。


 暗視モードで撮影された動画は色調こそ特有の暗緑色がかったモノクロームになっていたけれども、画質は思ったより綺麗で、明かりのない状態でも鮮明に松木の広い寝室を記録していた。位置から見て窓際に設置されていたらしく、ベッドからドアまでを余すことなく映している。特に動きのない箇所を早送りしていると、午後十時を過ぎた頃にそれは唐突に現れた。


 窓ガラスを割って侵入してきた者は、黒い衣服を身に着けているせいで、影のようにも見えた。


 だがそうでない証拠に、そいつはカメラを優雅とも呼べる動作でゆっくり振り仰ぎ、白く端正な顔を向けた。



 恭司が息を飲む。



「……こいつは」


「キョウちゃん、この色男知ってんの?」



 恭司は答えなかった。いや、答えられなかった。河内も声を失う。



 画像の向こうで、そいつはこちらの存在に気付いたかのように薄く笑い、手を伸ばしてきたのだ。



 見つけた、とでも言いたげにくちびるを吊り上げたその表情は、笑みの形をしているだけの全く異質のものだった。切れ長の眦に光る瞳には、底知れぬ狂気と愉悦に満ち溢れている。


 一人は呪いにかけられた瞬間とはこんな感じなのだろうかと思い、また別の者は覗いてはならぬ深淵を覗いて引きずり込まれた刹那の絶望感を想像した。



 実際に、対峙しているわけではない。これは過去の記録なのだ。


 そう理解していても、全員が戦慄のあまり呼吸すら出来なくなった。



 画像越しに伝わるその男の纏う空気は最早、未知の領域だった。彼らの知りうる負のベクトルの範疇を、大きく凌駕している。



 男はカメラを手に取り暫く眺め、それから顔に近付けた。薄いくちびるが開き、やけに鋭利な犬歯が映る。



 がつりとその歯がレンズに突き立てられた瞬間、恭司は自身が噛み砕かれたような錯覚に陥り、思わず目を瞑った。




「…………これで、終わりだ」




 砂嵐が暫く続いた後で、河内は震え声で呟いた。


 映像の記録について言ったのだろうが、その言葉はまるで彼らの終焉の宣告じみて聞こえた。



 全員が重苦しい圧迫感に沈む。


 冷や汗に濡れた恭司の横顔を見つめ、河内は真剣な口調で告げた。



「キョウちゃん、出来たらすぐにでも高飛びした方がいい。なるべく遠くへ。その間に、誰か雇って始末させろ。どれだけ大枚はたいてもいい、確実に殺れる奴を探せ。あんたも随分と悪さしてきたんだ、わかるだろ? 『これ』は俺らの手に負える相手じゃねえ」


「…………あいつの狙いは、愛梨あいりだ」



 恭司は、探偵に見せられた写真を思い出していた。



 義娘といつも仲良く連れ立ち、仲間内にも彼氏だと紹介していたという優男――確か、名前はサラギ。


 一応調べてはみたが、某イベント会社で日雇いのバイトをしている以外、素性が全く掴めなかった。



 映像の人物は、そいつに間違いない。消えた恋人を探している内に、どうにかして松木に辿り着いたのだろう。



 恭司も『キレたら何をしでかすかわからない危ない奴』と聞いてはいたし、義娘にも面白半分に伝えた。けれども腹の中では、あの女探偵が治療費を吹っ掛けるために話を誇張したのだと高を括っていた。



 あのお上品そうな男が、まさかここまで箍の外れた狂人だったとは――予想外だ。



「だったら、くれてやればいいさ」



 河内はあっさりと言い放った。



「あんたが愛梨を手放したくないって気持ちはわかる。あの娘は頭も切れる、器量もずば抜けていい。この先十年、いや二十年は使える優秀な人材だ。でもな、女は幾らでも補充が利く。どれだけいい女でも、命の代わりになんざなりゃしないんだよ。松ちゃんの二の舞になりたいのか?」



 淡々と告げる河内を、恭司が歯噛みして睨み上げる。しかし河内は少しも狼狽えず、寧ろ更に熱を込め説得を続けた。



「あの男は、普通じゃない。俺も色んな人間見てきたけど、あんなヤバイ目をした奴は初めてだ。末期のヤク中が望みの薬を前にした時だってもっと可愛げがあるぜ。ありゃ死ぬか、狙った獲物を手に入れるまで止まらねえ。とはいえ、殺人代行は後々厄介事になることも多い。欲しいものがわかってるなら、くれてやった方がいい」



 河内の言葉に耳を傾けたまま、暫く沈黙していた恭司だったが――ふと袋小路の中に、小さな光を見出した。



「そういや一人……あの男を止められそうな奴に、心当たりがあるぜ」



 恭司の漏らした呟きに、一同は目を丸くして顔を見合わせた。



「そいつにコンタクトを取ってみる。まあ、断られても手はあるさ。弱味さえ握っちまえばどうとでもなる。ついでに奴も炙り出してみるか。殺せなくても腕の一本も奪えりゃ、戦意喪失してくれるかもしれんしな」



 煙草に火を点け大きく紫煙を吸い込むと、恭司は漸く彼らしい残忍な笑みを浮かべてみせた。

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