28.接触


 バイトを終えると、七瀬ななせはタクシーに乗って帰宅した。


 大した距離でもないのにいちいち面倒ではあるが、オーナーが料金は交通費として支給するから必ずそうしろと半ば強引に義務付けたのだ。筒見つつみにまつわる不穏な連中を警戒してのことだろうと容易に想像がついたので、七瀬は何も言わずに従った。


 オーナーや藤咲ふじさきだって、ただ指を咥えて眺めているわけではない。彼らは彼らなりに、今自分達ができることを精一杯やっているのだ。



 なだらかに続くアプローチを通り抜け車寄せの位置で降りると、七瀬はエントランス前にあるオートロック認証機の立ち、少しの間を置いてから告げた。



「共連れ狙いを考えてるなら無駄だよ。死角を取ったつもりなんだろうけど、そこの監視カメラはダミー。本物はしっかり映してるから」



 柱の影に身を潜めながらドアが開くのを待ち構えていた恭司きょうじは軽く驚き、ダミーカメラを見上げた。



「こんな時間に営業か何か? どんだけ切羽詰まってんだか知らないけど、そんな胡散臭い格好じゃ、中に入ったところでコンシェルジュに身分証提示させられた上で追い出されるのが関の山だよ」



 振り向いた七瀬は、熱帯夜を弾き返すような冷ややかな眼差しでスーツを着崩した姿の恭司を見据えた。



「営業なんかじゃありませんよ。あなたに用があって来たんです、七瀬さん」


「私に何の用」



 全身から敵意と嫌悪感を剥き出し、七瀬が吐き捨てるに近い口調で問う。


 見た目から物静かな娘だとばかり思っていた恭司は、面食らいつつも何とか平静を取り戻し、名刺を手に彼女に近付いた。



「失礼いたしました。私、人材派遣の会社をやっております、筒見つつみ恭司きょうじと申します。あなたと仲良くさせていただいておりました、筒見つつみ愛梨あいりの父でして」


「へえ、全然似てないね」



 七瀬の返事はそれだけだった。恭司は警戒心を和らげようと、なるべく優しげな笑顔を取り繕って答えた。



「義理の関係で、血の繋がりがないのでね。愛梨が突然姿を消してさぞ驚かれたと思いますが、ご安心を。彼女は元気に暮らしております。このところの不況の煽りで、私の会社も人手不足でしてねえ。どうにもならなくなって、何年ぶりかに娘に連絡したんです。しかし、あの子は快く手伝いを引き受けてくれました。本当に優しい娘なんですよ、昔から」



 それでも、相手の表情は微塵も動かない。彼女が何を考えているのかさっぱりわからないが、恭司の第六感は既に察知していた。


 この娘は嘘だと見抜いている。筒見の現状を知っている、と。



 なので、次からは口調をがらりと変えた。



「それでねえ、あの子にいつまでもしつこく付き纏う野郎に一言、あなたから忠告してもらいたいんだよ…………元カレのサラギくん、とかいう奴。彼にはほとほと迷惑しているんだよねえ」



 聞いているのか聞いていないのか、七瀬は黙って無表情のまま、荒々しい本性を現した恭司に視線だけを向けている。


 ガラス玉の如き瞳に映る自分の姿は、三文芝居に精を出す大根役者じみて滑稽で――ついに恭司は苛立ちを露わに、七瀬に掴み掛かった。



「おい、聞いてるのか? その耳は飾りかよ? 切り落としやろうか、てめえ」



 掌に隠した小型ナイフの刃を翳して凄む恭司に、七瀬はやっと声を発した。



「そうだよ」



 そして、その刃に自身の耳を当てがう。慌てて恭司が腕を引くとその一閃に、薄く赤い色が散った。



「ご指摘の通り、この体はお飾りだよ。わかった?」



 軽く耳輪部分を掠めた程度だったが、七瀬は一瞬たりとも顔色を変えなかった。人形のような面にはまるで生気が感じられず、流れる血までもが作り物めいて見える。



 恭司の背に冷たいものが走った。


 この娘は『痛みを感じない』のだ。



「私はサラギくんのことなんて、よく知らないし知りたくもないよ。何で私にお願いしようと思ったかは知らないけど、友達でも何でもない。あっちもそう思ってる。私の言うことなんか聞かない。言いたいことがあるなら本人に言って。私はあんたみたいに、男女間の問題に口を挟むなんて野暮な真似はしたくないんで」



 左耳から顎のラインを伝う不快感に今更気付いたのか、七瀬は流れ落ちる血を拭いながら、淡々と恭司の頼みを拒否した。



「だが……あんたは、奴の暴走を止めたらしいじゃねえか」



 無駄だと悟りつつも恭司が食い下がる。すると七瀬は嘲るように肩を竦めてみせた。



「止めた? あんなの、鼠を弄ぶ猫と同じで一瞬手を放したように見えただけだよ。あいつは獲物を捕まえては放し、捕まえては放しして、悪戯に逃して遊ぶのが好きなの。嘘だと思うなら確認してみたら?」



 それだけ告げると七瀬は背を向け、さっさとオートロックを解錠して自動ドアの向こうへと消えてしまった。


 中に控えるコンシェルジュが彼女の流血に気付き、騒ぎ立てられては困ると恭司も急いでマンションを立ち去った。



 その後、恭司が探偵事務所に連絡してみたところ、件の女性はもう辞職したと聞かされた。


 住所を教わり、夜間を狙ってこっそり部屋に忍び込んでみたが、あちこちにこびり付き乾いた血痕が残されているだけで、松木まつき同様、彼女の姿は肉片一つ骨一つとして見つからなかった。



 七瀬の言う通りだとすれば、彼を止められる者はもういない。



 しかし、と恭司は移動中の車の後部座席で煙草をくゆらせながら、彼女との会話を頭の中で反芻した。


 七瀬は、友達でも何でもないと言った。なのに彼女は、恋人すら知らなかったあの男の本性を知っている。そして、あんなにも平然と受け止めている。二人はどういった関係なのか。



「…………共犯、だろうな」



 追加で依頼した探偵の結果報告書を眺め、恭司は小さく呟いた。


 調べによれば、七瀬という娘はかなり裕福な暮らしをしているという。金の出処は、調査しても明らかにならなかった。


 仮定でしかないが、恐らく――彼女の背後には『公にはできない大きな存在』が付いているのだろう。何せ、本人自らが主張した『殺人』まで『無罪』となり、綺麗に片付けられているのだから。


 サラギが行動し、七瀬が処理する。まさに最強のタッグだ。



 二人が手を組んだ目的は一つ、共通して大切な人物である筒見愛梨の奪還に違いない。



「さあて、どうするかねえ……」



 進退窮まるといった状態であるにも関わらず、恭司の目には追い詰められた獣の如く、凶暴な暗い光が宿っていた。

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