29.反撃


 早いところでは既にお盆休みに入ったらしく、夜の繁華街は帰省客で更なる盛り上がりを見せていた。


 居酒屋は、軒並み予約で一杯。どの店も人気アトラクションばりの待ち時間を要するという状態で、あぶれた者達は店の並ぶ通りを徘徊しながら腰を落ち着けられる場を探し回り、そこにまた新たに到来した客が折り重なる。時間が経つにつれ人の勢いは増す一方で、辺りは一面混沌の図を描いていた。


 普段はもう少し遅い時刻から客の入り始めるキャバクラや風俗店もその波を受け、開店するや、常連だけでなく多くの新規客で席が埋まった。早くも酔った男達が欲望を滲ませた視線を注ぎ、女はそれにつけ込んで売上に貢献させるという攻防戦を繰り広げている。


 その中でも変わらず落ち着いた雰囲気を保つ高級クラブで、肥満した体を上等なスーツに包んだ男は、程良く効いた空調の中、滝のように脂汗を流していた。


 丸々とした手には、タブレットが握りしめられている。彼はそこに映し出された人物を瞬きもせず見つめていたが、相手の顔が近付くと鋭く悲鳴を上げ、タブレットを放り出して蹲った。



「何で、何でだよ……俺は何もしてねえぞ? 何だよ、こいつ……おかしいだろ。おかしい、おかしいよ……」



 頭を抱えて震える様は、噴火直前の小山を思わせた。恭司きょうじはタブレットを拾い上げ、彼が溶岩の代わりに甲高い声で何事かを喚く前に低く囁いた。



「何もしてねえ、だ? 花房はなふさ、お前は松木まつきと一緒で、愛梨あいりの『教育係』だっただろうが。教育ついでに散々玩具にしといて、今更無関係ですなんて通用するか。だったら直接、相手に潔白を訴えてみろや」



 すると小山、もとい花房は丸い顔を上げ、必死に首を横に振った。肉に埋もれた目尻には既に涙が浮かんでいる。


 小心者め、と腹の中で毒づき、恭司は松木同様、風俗に卸す女の管理を任せていた長年のパートナーに溜息混じりに告げた。



「取り敢えず、こいつを捕まえてみようと思う。お前も協力しろ」


「協力……?」



 弱々しい声に頷くと、恭司は店内を見渡した。花房も釣られて女達を眺め回し、それから狡猾な笑みを口元に刻んで頷き返した。



 それから数時間後――花房は、気を失っているらしい一人の娘を抱きかかえて店の裏口から出た。


 辺りを警戒しながら、すぐ傍の専用駐車場に急ぐ。そこに停めてあった高級外車の助手席に彼女を押し込める頃には、花房の全身はまた汗でびっしょりとなっていた。汗を拭き拭き彼女の様子を窺えば、ミニスカートが捲れ、健康的な太腿が大きく覗いている。


 恭司からは、速やかに移動するよう言われていた。しかし同時に、彼の言葉で昔のことを思い出してもいた。


 まだ幼い筒見つつみの怯えた目、泣き叫ぶ声、発達しきっていない肢体、それを無理矢理こじ開ける悦び――その記憶が下半身に直結する。



「ま、まぁ、ちょっとくらい、ね…………すぐ済ませるし」



 誰に言うでもなく独り呟くと、花房はもどかしげな手付きでベルトを外し、縦開きの扉の隙間から押し入るようにして彼女の身体にのしかかった。



「うぐ!」



 突然、背中を襲った衝撃に、花房の喉から勝手に声が漏れた。何が起こったのかわからず、慌てて跳ね起きる。


 短い首を巡らせてやっと捉えた背後に――黒いスーツを着た背の高い男が、立っていた。そして、愉しげとも哀れむともつかない表情で自分を見つめている。



 花房は凍り付いた。



 現実に現れたそいつは、確かな立体感だけでなく、映像では計り知れなかった壮絶な瘴気を伴っていた。


 毛穴という毛穴から溢れ零れる狂気が、花房の全身を金縛る。それでも、彼は何とか助けを求めようと、血の気の失せた口を開いた。



「……あ……ひ」



 男は軽く首を傾げてから、手をかけていた縦開きタイプの扉をもう一度力任せに閉じた。そのまま、同じ動作を何度も繰り返す。



「ぎぃ! うげえ! ぎゃぶ!」



 半身を挟まれる度に、花房は金切り声を上げた。


 血反吐混じりの濁った悲鳴を聞きつけ、少し離れた場所で彼の車を待っていた恭司は連れと共に駆け付けた。



「花房!」

「ぎょ、じ……」



 開いたドアの隙間から、血泡と吐瀉物に塗れた口元を動かし、花房は仲間の名を呼びながら手を伸ばした。


 だが願いも虚しく、無慈悲な一撃が振り下ろされる――ドアが完全に閉じると共に、肉と内臓を押し潰し骨を分断する悍ましい音が響いた。



 ぼとり、と素肌を露わにした太く醜い下半身が落ちた。



 垂れ流れた糞尿と夥しい量の血液が地面をじわじわ染める前に、恭司は手にした銃をサラギに向けて躊躇いなく撃った。



 しかし、花房への攻撃で外れたらしい車のドアを盾に防がれる。



「殺せ! 何があっても逃がすな、仕留めろ!」



 恭司が怒鳴ると、あまりの光景に固まっていた連中も発砲を始めた。


 仲間の何人かが背後に回り込んで応戦したものの、車体が邪魔をして、中々的を射られない。サイレンサーを付けているとはいえ、長引けば誰かに目撃される可能性もある。


 もしかして弾丸が底を付くのを待っているのでは、と考えた恭司は改めて相手の執念深さに戦慄した。



 だが、もう引き際かと諦めかけたその時――彼の撃った弾丸が、ひび割れたウィンドウを貫いた。


 そして惰性で続け様に引いたトリガーが、ついにサラギの身に銃弾を食い込ませることに成功したのだ。



 動きを止めた彼を、更なる追撃が襲う。


 四方八方から何十発もの銃弾を浴び、サラギは苦しげに眉を歪めて――しかし、割れたガラスの隙間から、恭司に向けてくちびるを吊り上げてみせた。



 恭司の顔が恐怖に強張る。



 それを確認すると満足したのか、サラギは後ろから攻撃していた連中にドアを叩きつけるようにして投げ、その隙を突いて逃げ出していった。



 恭司はもう追わせることはしなかった。


 無残な姿となった高級車に近付くと、重い鉄扉の直撃を受け倒れた三人の姿が視界に映る。それから目を逸らし、恭司は真っ二つになった花房の下半身を蹴り転がして、車内を覗き込んだ。



 白目を剥き、鼻から口から血を流して事切れた花房の恐ろしい苦悶の形相の下で、筒見愛梨――に似た囮の娘は、流れ弾を一つとして受けることなく、静かに眠り続けていた。


 飲ませた睡眠剤がよく効いているようだ。すぐ側でこのような惨事が起こっていただなんて、それこそ夢にも思わないだろう。



 彼女の穏やかな寝顔をひとしきり眺めると、恭司は残るメンバーに後始末を任せ、車を出して一人、次なる目的地へと向かった。

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