4.回顧


 コンビニエンスストア『ボブ&サム日間杉ひますぎ店』は、いつもに増して大盛況だった。昨夜のテレビ番組で、商品が幾つか取り上げられたせいだ。


 夕方からは帰宅途中の学生や仕事帰りのサラリーマンに加え、噂のスイーツを求めてやってきた女性客等で賑わいに賑わい、働くクルー達は目まぐるしく対応に追われた。


 怒涛のラッシュを終え、夜九時になると、高校生のバイトは帰される。十八歳以上である七瀬ななせはそれから一時間、来店客の少ない内に店内の清掃やレジ金額の確認、そして商品の補充といった細々とした仕事をこなす役割を担っていた。


 十時になれば深夜勤務のスタッフに業務連絡を伝え、後はバックルームで退勤処理をして制服を脱いで帰るだけ――なのだが。



「あ〜っははははは! そりゃ藤咲ふじさき先生もドン引くって! 猫……っ、あのガタイで猫……ないわ〜! ないない! も〜、んなこと言ったら面倒なことになるって普通にわかるじゃん! いっそ嘘でも付き合ってるってことにしとけば良かったのに……ぶふっ! ナナちゃんが、あのニャン語の使い手と…つ、付き合うとか……ありえねえ〜!!」



 店内どころか外へまで突き抜けんばかりの大音量で爆笑しながら、ゆるりと巻いた髪をぶんぶん振り立てるのは、筒見つつみ愛梨あいりなる日間杉店のアイドル的存在のクルーだ。


 アイドルと呼ばれるだけあって見目麗しいのは勿論、愛嬌があり愛想も良い上、仕事も万能。なので二十二歳と年若いながら、オーナーとチーフに次ぐ責任者として店を取り仕切っている。が、激しく笑い上戸なのがたまに瑕だ。


 ひいひいと悶絶し転げる彼女にガラス玉のような目をちらりと向けると、七瀬は薄手のカーディガンのボタンを留めながら、投げやり気味に小さく零した。



「藤咲先生に嘘なんて通用しないよ。それに私、誰かと付き合うなんて無理。夜になったら裸でシーツに包まって、波の音聞きながら部屋の中でだらだらプラネタリウム観て、『星が綺麗』だとか『君の瞳に乾杯』だとかつまんない冗談言い合って、朝まで一睡もしないで必死に頑張って、朝日が昇ると共に自分へのご褒美にモーニングコーヒー飲むなんて生活、考えるだけでうんざりする。そんなのサラギくん相手じゃなくてもお断りだよ。てか付き合ってる人達っていつ寝てるんだろうね? エネルギー源が謎過ぎる」


「ぶふぉぁっ!」



 筒見が奇声を発して仰け反る。その勢いで壁に思い切り後頭部を激突させたその時、バックルームに怒声が轟いた。



「はぁん、全くうるさいね! いつまでだらだら居座ってんの!? 筒見さん、あんた明日は用事があるって言ってあたしと交代したんでしょうが。七瀬さん、あんたも娑婆シャバは物騒だって思い知ったばかりでしょうが。思い出したんなら二人共とっととお帰り! はいはいさよなら、ではまたね!」



 ウォークインでドリンクを補充しながら、二人の会話を聞いていたらしいチーフ・坂上さかがみ美登里みどりに捲し立てられると、筒見は慌てて帰り支度を始めた。


 仁王立ちし腕組みをする姿は、小柄なくせに有無を言わせぬ迫力があり、まさに牙を剥き威嚇する勝気な小型犬だ。



「……みっちゃんの声の方が大きいよ。叱るにしてももう少し音量下げるか、せめてウォークインの扉閉めてからにしよ? ジュース取りにドア開けたお客さん、びっくりして飛び上がってたよ? 僕も一緒に飛び上がったよ? 皆を驚かせちゃ駄目だよ?」



 バックルームと店内を繋ぐ扉から、おずおずと顔を出し注意したのは、オーナーの坂上さかがみ辰雄たつお。愛妻家であり恐妻家でもある彼には勇気が要る行為だったのだろう、眉が八の字に下がり、パグ似の顔が更にパグ似になっていた。


 二人は夫妻に謝ると、そそくさと店を出た。


 いつも夜半までのシフトに入っている筒見と七瀬が同時刻に仕事を上がるのは、非常に珍しいことである。なので二人はこの貴重な機会を存分に楽しむべく、途中まで一緒の帰路の道のりを、あれこれと他愛ない話をして盛り上がった。


 七瀬にとって筒見は年が近いというだけでなく、週二回一日四時間という限られた勤務時間をいつも共にする先輩であり、仲間であり、唯一の友人なのだ。



「ふうん、明日は校外学習なんだ。色々大変だね」


「大変なんて思ったことないよ! 毎回、色んな子達と仲良くなれるし色んな発見あるし、すっごく楽しいんだもん」



 筒見は夕方から深夜にかけてコンビニで働く一方で、昼間は福祉保育の専門学校に通っている。将来はオーナーのように分け隔てなく優しく、チーフのように怒る時はきちんと叱ることができる保育士になりたいのだと、よく七瀬にも熱く語っていた。



「そう、楽しいならいいね。いつか私も、何か目指すところを見付けなきゃならないのかな」



 己の前途を眺めるかの如く、ぼんやりと前を見つめて呟く七瀬に、筒見は笑いかけた。



「そういうのは、見付けなきゃって思って探すものじゃないよ。気が付いたら目指してる、やりたいから頑張る、そういうもんだ。だから、焦らない焦らない。それよりナナちゃんは、可愛い……っ、飼い猫ちゃんの育成と、付き合うってことの定義を……ぶふっ……少し学んだ方がいいんじゃ、ない、かな……っ、ファー!!」



 語尾を震わせると襲い来る腹筋の痙攣に堪え兼ね、ついに笑いを爆発させてしまった筒見を見やり、七瀬は全く意味がわからないとでも言うように肩を竦めた。




 七瀬がサラギという妙な男を飼い猫として引き取ってから、二週間――七月も半ばを過ぎて、季節はすっかり夏へと移り変わっていた。



 彼と初めて遭遇したのは、六月始め。


 その頃の梅雨独特の陰鬱に湿った空気は、燦々と注ぐ陽光によって霧散していた。耳朶に残るほど打ち続けた雨音も、けたたましい蝉の声に塗り替えられている。昼間に蓄積された熱気の残滓は夜になっても消えず、肉体を苛むようになった。


 しかし季節が移ろいでも、その場所はほとんど変わっていなかった。


 纏わり付く湿気も、踏みしめる柔らかな土の感触も、漂う草の匂いも、さざめく木々の音色も、時が止まったかのように七瀬の記憶のままだ。


 野良の小さな黒猫に餌をやりに通った雑木林の中は、最後に訪れた時と変わらぬ佇まいで七瀬を迎えた。歪んだ三叉の木に辿り着くと、その根元に猫缶を供える。筒見と別れた後、立ち寄ったディスカウントストアで買ったものだ。



 小さな缶詰を見つめ、七瀬は亡き黒猫に思いを馳せた。


 ――――あの猫を連れ帰りかったはずなのに、随分とおかしなものを拾う羽目になってしまった。



 先日漸く解決に至った小動物連続虐殺事件の犯人に深手を負わされ、やっと逃げ帰ったここで、生を終えた子猫。そしてその子猫を食べて飢えを満たしていた、宿無しの奇妙な男――それがサラギセラであり、七瀬が最初に見た彼の姿だった。


 常識知らずで世間知らず、度を超えたマイペースと吹っ飛んだ思考回路を持つ非常におかしな奴ではあったが、彼は事件に巻き込まれた七瀬を犯人達から助けた、一応の恩人でもある。


 それでも、七瀬は有り難いと思うどころか、何故あんな男と関わってしまったのかと、いまだにそればかりを悔やんでいた。自分と仲良くなりたい等とほざいていたけれども、いくら人生の経験値が低いとはいえ、鵜呑みにするほど愚かではない。


 あの甘いとも冷たいともつかない、何とも形容し難い微笑の裏に隠された真意は何なのか。飼い主となった今も、七瀬には彼が何を考えているのか全く読めない。


 その内に飽きて余所へ行くだろう――興味を失った玩具に、見向きもしなくなる猫のように。



 それまでは戯れに噛み付かれないよう、精々やり過ごせばいい。噛み付かれたとしても、死なない程度に留めてくれるならば構わない。


 七瀬があの男に望むことといえば、その程度。


 相手が自分に何を求めていようと、それを知ろうとも知りたいとも思わないくらいなのだから。

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