22.花火


 夕刻の色が濃くなり大気に漂う熱気も少し和らぐと、夏祭りの会場である公園は更に人が増え、老若男女大勢の人々で溢れた。


 近隣で一番の夏の目玉イベントだけあって、ずらりと軒を並べた屋台の間を、夏休み真っ盛りの子ども達や会社帰りに立ち寄った者、カップルに親子連れに友達同士仲良く連れ立つ学生達等など様々な人間が犇めいている。その中にはこの日のために用意した浴衣に身を包む娘達も多く目立ち、この季節ならではの華を添えていた。



「ねえ、あれすごくない?」

「ホントだ、何あれ。キモカワ」



 前を歩く女子高生二人組の声に、俯いて歩いていた七瀬ななせはやっと顔を上げた。


 連なる屋台が途切れ、やや高台となった広場に、何やら人が集っているのが見える。そこに探し人……もとい探し猫はいるらしい。



 いや、今は探しペンギンか。



「ペン太さん、とても素敵ですよ〜なの〜。ペンギンなのにこんなに飛べるなんて、惚れ直しますね〜なの~」


「ひいやぁあああ! もう無理無理無理!」



 円状に詰めかけた人垣の真ん中で、水色のペンギンが空中に舞っていた。相方よりも巨大な桃色ペンギンは、最後列に近い七瀬の位置からでも不細工な頭部が見える。



「ペン太さんへの愛の証に、ペン子も飛びますよ〜なの~。恋人同士、仲良くいきましょう〜なの〜。では!」



 一体どんな腕力と脚力をしているのか、ペン子はそう告げ様、愛しのペン太を力任せに天高く放り投げると、自身も助走を付けて跳躍した。



「ぎゃあああああ! てめ、おい、嘘だろおおおお!」



 中の人物がペン太の仮面すらかなぐり捨てて本気で絶叫する。


 カップルでフライハイするなんて大技は、予定どころか練習したこともない。要するにぶっつけ本番だ。


 しかしペン子は慌てず焦らず狼狽えず、きっちりペン太を空中でキャッチして胸にしっかりと抱き締め着地した。



「ほら、大丈夫ですよ〜なの〜。ペン子がペン太さんを離すはずがないでしょう〜なの〜」



 そして足腰が立たなくなったペン太を押し倒し、例の決め台詞を吐く。



「では、私達は仲直りのタマゴの時間なので、これにてお別れですなの。今日は、素敵な団扇をどうぞなの。扇風機や冷房も良いですけれど、やはり団扇は風流があって素敵だと思いますなの。それではペン子はこの後、大切な予定があるので先に失礼させていただきますねなの。ペン太さん、後は頼みましたよ」



 上に乗っかりペン太と恒例の熱い抱擁を交わすと、ペン子はずかずかと人波を割って七瀬の元へやって来た。



「お待たせしました。まさかこんなところまでいらしてくださるとは……驚きましたけれど、とても嬉しいです。おや? お一人ですか? お友達は?」


「あ、うん……えと、ペン子さんにお会いできて光栄です。声をかけてくださり、感謝の言葉もありません。それじゃ」



 飛び上がった時に、発見されてしまったらしい。


 周囲の好奇の視線に耐え切れず、七瀬はくるりと踵を返し、一目散に逃げ出した。彼の問いかけからもう用は済んだも同然なので、ここにいる意味はない。寧ろ、いたくない。



「え、あの、ちょっと!? 待って下さい、何故逃げるんですか!?」



 しかしペン子が追う。追いかける。追い縋る。追い詰める。


 七瀬も何とか撒こうとしたものの体力脚力持久力忍耐力全てに於いて敵わず、結局公開羞恥プレイを大多数の人々に晒しただけとなってしまった。




筒見つつみさんが引っ越し、ですか……おまけに連絡も全く取れない、と」


「オーナーと藤咲ふじさき先生にも聞いたけど、誰も何も聞いてないみたいで。それで、もしかしたらこっちに来てるかもって思ったんだ。大きなお祭りだし、一応サラギくんは恋人だし」



 イベントスタッフ用の仮設事務所で着替えて戻ったサラギは、貰ったばかりの賃金で買ったいちご味のかき氷を掻き混ぜながら苦笑した。



「一応、ですからねえ。私に連絡手段などありませんし、ナナセさんが存じ上げないならば私もお手上げですよ。警察には知らせましたか?」


「うん。でもあんまり期待できなさそうな雰囲気だった。本人が自らいなくなったんじゃないかとまで言われたし……」



 七瀬が言い淀む。


 あのストーカーは伏線だったのだろうか。だとすれば、あの時正体を吐かせようとしたサラギを止めるべきではなかったのではないか。


 それでもあの選択は正しかったと今も信じている。筒見の危機を回避できたのだとしても、あの女性は間違いなく無事では済まなかったはずだから。


 どちらの身を優先するかと問われれば、迷うことなく筒見を選ぶ。けれども、目の前で起きると知れている惨劇を見過ごすことなどできなかった。



「…………何か、私に出来ることはありますか?」



 河川敷の芝生に体育座りし、膝頭に顔を埋めて黙り込んだ七瀬に、サラギはらしくもなく遠慮がちに伺いを立てた。



「……ないな」



 小さく漏らしてから、七瀬は少しの間を置いて言葉を続けた。



「…………差し当たって、今のところは」



 それは、サラギにとっては思いもよらぬ返答だった。



「いつか、出番が来るかもしれない。だからそれまで、爪研いで待ってて」



 かき氷を飲み込み、サラギはくちびるから合成着色料で更に赤く染まった舌先を覗かせ、今度は挑発的な口調で言った。



「爪、ですか? 噛み付く方が、得意なんですがね」


「そう……だったら歯磨きもしっかりしなきゃね」



 しかし七瀬は顔を伏せたまま、適当に相槌を打つだけだ。


 流石にサラギもかき氷どころではなくなり、彼女ににじり寄った。



「ナナセさん、筒見さんのことは心配でしょうけれども、まだ何が起こったかわからない内は投げやりになってはいけませんよ。ほら、元気出して下さい。景気づけに、一緒にかき氷食べましょう」


「…………投げやりになんて、なってないよ」



 そこで七瀬は漸く、自分の膝からサラギに視線を移した。ついでに、彼が差し出した氷塊の乗ったスプーンに食らいつく。



「サラギくん、筒見さんに『犯人を捕まえるのに協力して』って言われたんだよね? 彼女が許可したなら、私も従おうと思っただけだ」



 喉から脳天へと突き抜ける冷たさに頭を振り振り、七瀬は立ち上がった。



「よし、景気づいた。お前の言う通り、心配してても仕方ないよね。明日は筒見さんの学校に行って、皆にも聞いてみる。やれることやりながら果報を待とう。じゃ、帰るよ」


「そうですね。でも、少し待って下さい」



 しかし河川敷から舗道へ戻ろうとした彼女を、サラギがパーカーの裾を掴んで引き止めた。



「もう暫く……ほら、始まりましたよ」



 彼の指差す方向を七瀬が仰ぐと、はかったかのようなタイミングで黒い空に炎の華が咲いた。続いて、腹腔を響かせる低い破裂音が轟く。



「何だ、花火か。もしかして、これを見るためにここに来たの?」


「ええ、良い場所でしょう? この花火を楽しみに、今日一日頑張ったんですからね」



 サラギはそう言って嬉しそうに笑い、七瀬を隣に座らせて夜空を染める鮮やかな光のアートに真剣に見入った。


 前もって最適な観覧場所を探したのだろう、やや距離はあるものの、確かにここなら混み合う人や遮蔽物に邪魔されることなく、綺麗に花火の全容が見える。



 かき氷すらもう眼中になかったようなので、七瀬は溶け切ってしまう前にこっそり全部食べ尽くしておいた。花火が終わった後でぎゃんぎゃん喚かれたのは、無論言うまでもない。

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