23.慟哭
専門学校で聞き込みをしても芳しい成果は得られず、
しかしそこで、一緒にシフトに入ったチーフから、思わぬ進展を告げられた。
「会った? 本人にですか?」
「私じゃなくて、オーナーが、だけどね」
些細なことでは動じないチーフも、不安げに顔を曇らせている。
彼女の話によると、昨夜の夕方過ぎ、
そういえば空き巣に入られた時『重要なものは部屋には置いていない』と言っていたが、筒見はそういった金品の類を全てオーナーに預けていたらしい。
そして今日の朝早くに貴重品を店に取りに来ると、お世話になりましたと一言告げ、待たせていたタクシーに乗ってさっさと去って行った。
オーナーだって、元は精神科医。様子がおかしいとは感じたが、彼女の全身から攻撃的とも取れる凄まじい拒絶の空気が発せられていたため、何も聞けなかったそうだ。
「どうしたんだろうね……心配だよ。こんなこと、ずっとなかったのに」
チーフが漏らした小さな呟きは、しかし、七瀬の耳には棘の如く深く強く突き刺さった。
だが、問い質すような真似はしない。そんなことをすれば相手が警戒心を強め、今のような失言から得られる僅かな情報すら逃してしまうとわかっているからだ。
チーフの口ぶりでは、筒見がこのような状態に陥るのは初めてではないらしい。
では前はいつ、どんな時にこういった状態になったのか。
考えるまでもない、それはきっと彼女がまだ『精神病患者』であった時だ。
ならば尚更、オーナーは勿論、担当医だった
オーナーが筒見の様子が当時に近いと気付いたのなら、既に藤咲に相談しているだろう。二人が今後どのような対応を取るかはわからないが、何をするにしても、まず本人がいなくては始まらない。
だったら今の自分がすべきことは、本人の居場所を突き止めることだ。
レジを打ち、袋詰めをし、淡々と作業をこなしながら、七瀬は無表情の仮面の奥で思案を巡らせ続けた。
薄暗い部屋の中で、男は目を凝らし小さな文字で並ぶ桁数を数えて、それからげんなりした口調で吐き出した。
「何だ、このはした金は。お前、マジでこんだけしか持ってねえのか? 隠してるんじゃねえだろうな、おい」
男の足元に跪いていた筒見は、必死に首を横に振った。否定しようにもくぐもった声しか出せない。口の中に、彼の男性の象徴を含んでいるからだ。
「ま、コンビニ店員じゃ仕方ねえか。ったく、何が楽しくてそんなしけた仕事してたんだかよ。おまけに、テクニックもガタ落ちしてるじゃねえか!」
そう怒鳴ると、男は激昂のままに筒見の髪を乱暴に掴んで自身から引き剥がした。それから倒れた彼女をうつ伏せにし、背後から襲いかかる。既に全裸にされていた筒見は、あっさりと体内に男を受け入れた。
「おお、こっちは調子が戻ってきたようだな。やっぱりてめえは好き者だ、俺が見込んだだけの才能がある。何だかんだ言ってお前も俺を待ってたんだろ? だかららしくもねえ禁欲生活してたんだろ、なあ?」
ぼろぼろと涙を零しながら、筒見は何度も何度も頷いた。
違う、そんなわけがないと叫びたかった。しかし、そんなことをしたところで無駄に痛い目に遭うだけだ。
此処に連れ込まれてから、既にこの男を始め、何人もの男を相手にさせられている。最初こそ激しく抵抗したが、殴られ蹴られ、結局屈服させられを繰り返している内に、もう抗う気力もなくなっていた。
何より携帯電話を奪われ、逃亡を図ればその全員に動画を送ると脅しかけられている。
それだけなら自分だけの恥で済む。だがこの男は、更に筒見の携帯の電話帳に名を連ねる女を狙って同じ目に遭わせると言ったのだ。
この男ならやりかねない。
血が繋がらないとはいえ、仮にも娘である自分を無理矢理に犯し、それを撮影し脅迫材料にして『仕事』をさせ続けた、こいつなら。
男の律動に身を任せながら、筒見は朝会ったオーナーの目を思い出していた。
勘付かれただろうか、でも何も言わなかった。
助けて欲しかった、でも何も言えなかった。
もう逃げられない。もう戻れない。もう、諦めるほかないのだ。
「そういや、また『ナナちゃん』ってのから電話来てたぜ。他の友達より熱心だなあ、『ナナちゃん』……とってもいい子なんだろうなあ?」
最後の最後まで、自分を気遣ってくれた友人の声が蘇る。筒見の心臓がずきり、と軋んだ。
「…………あの子は、あたししか、友達が、いない、から……」
荒い吐息の間に間に答えると、男はわざと不思議そうにとぼけた口調で尋ねた。
「そうなのか? あんな可愛いのに……ああ、可愛すぎて逆に近付き難いってやつなのかねえ? けど、お前の彼氏とは随分仲良くしてるらしいじゃねえか。あいつら、友達じゃねえなら何なんだ? おっさんには、今時の若者の関係ってのはよくわからんもんだなあ」
筒見の背筋が総毛立った。
この男、まさか!
恐怖に満ちた目を向ける筒見に、男は酷薄な笑みを浮かべてみせた。
「そうだ、お前と男のことを尾け回してた奴らは、俺が雇った探偵だ。居場所がわかったからって拉致した程度じゃ、言うこと聞かねえだろうと踏んでな。愛しの彼氏様を脅しの材料に使おうと思ったんだが……しかし、お前の男には参ったよ。まさか、あんなえげつねえ野郎だとは」
「……どういう、こと?」
問い返すその表情から、彼女が全く知らないと理解した男は呆れたように肩を竦めた。
「お前、本当にあの男の本性知らずに付き合ってたのか? あいつ、とんでもねえサディストだぞ? 女の探偵の肩、笑顔で砕きやがったってよ。その場にいた『ナナちゃん』が必死に止めてくれなかったら、殺されてたかもしれねえって、その女、思い出すだけでガタガタ震えてたぜ。で、その『ナナちゃん』曰く『キレたら何をするかわからない危険人物』だそうだ。あんな奴と別れさせてやった俺に感謝しろよ、
男の声はもう、筒見の耳には届かなかった。
いつかサラギは、犯人を捕まえて問い質そうとして七瀬と喧嘩した、と言っていた。恐らくその時のことだろう。
落ち込んではいたけれども、そんな凶行の残り香など全く窺えなかった。至って普通だった。頬にキスされて、真っ赤になっていた。
だけど――失言したリオに向けた目付きは、確かに尋常ではなかった。筒見もその片鱗を見た。そして二度と見たくないと思った。
あれが、本性?
あれこそが、彼の、本性?
七瀬は、知っている?
知っていて、それでも彼を受け入れている?
何故?
何故って――それが彼女には可能だから。
『あなたに、何を求めるかわかりませんから』
あの夜サラギが発した言葉はもしかしたら、彼の本性を受け入れられないであろう自分に対する予防線だったのかもしれない。
上辺だけの彼に好意を抱き始めていた、自分を拒絶するための精一杯の優しさだったのかもしれない。
事を済ませて義父が出て行くと、筒見は声を上げて泣いた。泣いて泣いて、ひたすらに泣き続けた。
何が悲しいのかわからない。
あの二人は自分のことをとても深く思いやってくれていた。自分のことを思って、黙っていた。
だけどそれがとても悲しかった。悲しくて胸が痛くて痛くて、張り裂けそうだった。
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