5.観覧
遅れてイベントの行われる会場に到着した
「ライブって何ですか?」
「生演奏を披露すること」
「バンドって何ですか?」
「それぞれが受け持つ楽器で一つの音楽を作る人達の集団」
「ナナセさんは物知りですねえ」
「サラギくんは物知らずだねえ」
不毛な会話をして待つこと三十分、予定時間をかなり過ぎて、漸くライブ開始の放送が流れた。
同時にスピーカーから、爆音が溢れる。
予想外の大音量に顔を歪めて耳を押さえたサラギだったが、ステージからその音を届ける連中を目にすると、今度は驚いて大きく仰け反った。
「ナナセさん、あれ何ですか!? 皆、衣はまともですが顔が……あの人、目が三つあります! あの人、人魚ならぬ魚人です! あの人は口の中にまた顔があります! あの人なんてもう、何と形容していいやら訳のわからないことになってますよ!?」
「バンドコンセプトは、過去と未来の融合、だっけ」
質問に答える代わりに、七瀬は筒見から聞いた知識をぽつりと呟いた。
ステージに立つメンバーは皆、各々が思う未来人の姿を形にしたという奇怪な面を被り、その下は揃って和服姿という奇抜な格好をしている。
楽器も様々。難解な形状で並ぶキーボードやDJ機器、ギターやベースにドラムといったお馴染みのものから、三味線やコンガやオーボエといった変わり種まで、多種多様だ。
それらの奏でる音楽に耳を傾けている内に、サラギも落ち着いてきたようだ。
音と音とが相反し衝突し共闘し、そうして不協和音は鬩ぎ合い混じり合って一つの楽曲へと収束していく。
ただの見掛け倒しかと思っていたが、奏者一人一人にしっかりとした実力がなければこれ程の一体感は生み出せないだろう。最前列近くで熱狂の渦にいるはずの筒見達を始め、ここに集う多くの人々に支持されるのも納得できた。
そういえば、彼らのコンセプトに似た言葉を聞いた覚えがあった。それに思い当たった七瀬は、不思議な旋律に呆然と聴き入るサラギの襟首を掴んで耳打ちした。
「あれ、さっきサラギくんと仲良く話してた人じゃない? ほらあの、黒鉄のロボットみたいなやつ」
進化した甲殻類にバイザーを付けたような仮面の人物は、ソフトクリームこそ除去されていたけれども、確かに先程見た者と同じ髪型と髪色をしていた。
「ええ? トガイは、あんな顔ではなかった気がしますが……」
「アホ、ありゃお面だ。お前だってペン子してるけど、ペンギンじゃないじゃん」
七瀬の説明にサラギはやっと合点がいったらしく、目を閉じて演奏に耳を澄ませた。
「…………ああ、確かにトガイですね。この吹き癖、懐かしいですな」
「聞いただけで、わかるの?」
七瀬が尋ねると、サラギは見上げる彼女に視線を落とした。
「彼とは昔よく一緒に楽器を始め、色々と遊びに興じ合ったものですから」
心なしか、その瞳も声もどこか哀しげだった。らしくもなく物思いに沈む彼を横目に眺めながら、七瀬はサラギが以前自分で語った境遇を思い出していた。
サラギはずっと長らく、人里離れた山奥深くで暮らしていたという。誤ってそこを出るまでは、専用の付き人達に隅々まで世話をされ、何不自由なく過ごしていたらしい。彼の並外れた世間知らずは、それに起因するようだ。
大切に扱われ続けていたはずなのに、しかしサラギはその地の住所も場所も知らされていなかった。そしてそれを不思議にも思わず、当然のように受け止めていた。
本人も薄々、いや明確に感じていたのだろう。何から何まで行き届いた優雅な生活は、檻の中で自由を奪われているだけに過ぎなかった、と。
知りながらその境遇に甘んじていたのは、彼自身がその最たる理由をよく理解していたからだ。
それでもサラギは『戻ろうとも戻りたいとは思わない』と七瀬に告げ、囚われの身に戻ることを拒絶した。
それは単純に自由を満喫して味を占めたからなのか、それとも。
「…………トガイくん、だっけ。あの人、もしかして」
昔馴染みなら、元いた場所を知っているかもしれない。そう言おうとした七瀬だったが、サラギの低い囁きに遮られた。
「帰そうとするでしょうねえ。このまま放置しておいてくれるとは思ってませんでしたから、当然といえば当然です」
まだ出会って間もない頃、七瀬はそんなようなことを彼の口から聞いていた。『一族は必死になって探すだろう』とか何とか。
サラギという人物がいなくなるというのは、彼を世話し続けていたその一族とやらにとって一大事らしいので。
「サラギくんは、場所がわかっても帰りたくないの?」
七瀬は一応、尋ねてみた。
「はい、戻りたくありません」
毅然と答えると、サラギは優しいような冷たいような、形容し難い薄い微笑を七瀬に向けた。
「今の私が帰る場所は、ナナセさんの元です。私はあなたの猫、あなたの傍が私の居場所。これだけはトガイであろうが誰であろうが、決して譲れません」
「わかった」
長く垂れた前髪の隙間で、不穏な色を帯び始めた琥珀色の瞳を見つめたまま、七瀬は頷いた。
「サラギくんが戻りたくないなら、私もあの人にそう言ってあげる。飼い猫の意志を尊重するのも、飼い主の役目だもんね。だからサラギくん」
真っ直ぐに自分を見据える鳶色の瞳から、サラギは彼女の言わんとすることを察知し、肩を竦めて吐息を落とした。
「わかってますよ、もう喧嘩腰にはなりません。仲良く話し合いで解決します。それに」
そして困ったように眉を寄せ、ステージでオーボエを吹き鳴らす旧友を指差すと、再び淡い笑みをくちびるに宿した。
「彼、ロウゼトガイは、私にとっても大切な数少ない『親類』ですからね」
七瀬は軽く目を瞠ってから、白く長い指の先が示す方向に視線を向けた。
飾り気のない骨組み剥き出しの舞台では、『
その中に紛れるトガイを眺め、七瀬は厄介なことになりそうな予感に大きく溜息をついた。
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