4.衝突


 サラギを探すため一人グループから離脱した七瀬ななせは呼び寄せるには餌があった方が良いと思い付き、まず目に付いたソフトクリームの屋台に並んで名物だという濃厚チョコソフトを二つ購入した。


 巨大に盛られたクリームが落ちないよう、慎重に歩きながら辺りを捜索を試みるも、それらしい人物は見当たらない。無駄に背が高いからすぐに見付かるだろうと高を括っていたが、彼を見付け出すのは意外と骨が折れそうだった。


 というのも、筒見つつみ達が最後に彼と一緒にいたというのは、この遊園地で一番の人気を誇る絶叫マシンの行列だったせいだ。


 辺りは、他のアトラクションとは比べ物にならないほど多くの人で溢れ返っている。もしかしたら、置き去りにされたことにも気付かず、一人で並び続けているのかもしれない。


 すれ違いになる可能性を考えて、元いたベンチに戻ろうと七瀬が踵を返したその瞬間――――運悪く、弾丸のように突っ走っていた者と衝突してしまった。



「あ」

「んぎゃ!」



 何とか持ち堪えて転倒を免れた七瀬だったが、両手に握ったコーンからは本体のソフトクリームが消えていた。



「いってえな、このガキ! どこ見て歩いてんだよ、間抜け!」



 うろうろとソフトクリームの行方を追っていた七瀬の前に、ぶつかってきた人物が立ち塞がる。


 パイソン柄のブーツに箔加工の細身のパンツ、シャドウプリントのカットソーに首元を彩るシルバーアクセ、そして顔半分を覆う大きなサングラスと徐々に下から見上げ、七瀬はそれが若い男だと知ると同時に、部分的にブレイズを入れた真紅の派手な長い髪の頂点に探し物を発見した。



「あ、あった」

「何があっただ……ってうおお、冷てっ! 何!? 何してくれちゃってんの、あんた!」



 前頭部後頭部と盾に並んで頭に乗った二つのチョコソフトの存在に気付くと、青年は七瀬に掴み掛かった。



「は? そっちからぶつかってきたんだろうが。カッコつけ目的見え見えのクソだせえサングラスなんかしやがって。前見て歩けもしないくせにお洒落な僕ちん気取りかよ、気色悪い。頭から流血してないで、とっととアイス弁償しろ。脳味噌噴水ヘッド」



 だが七瀬は微塵も怯まず、真っ向から受けて立つ。


 まさかの倍返しの反撃に、青年は呆気に取られて固まった。が、気を取り直して負けじと応戦する。



「あらあら、このヘアスタイルに込められた進化と懐古の調和ってコンセプトがわからないの? まあ、お前みたいなセンスの欠片もなさそうな小便臭いアホタレに理解求めても仕方ねーわな。心が貧しいって、本当に可哀想でちゅね〜え?」


「わかりたくないし。寧ろわからなくて幸せなくらいだし。あと赤ちゃん言葉、超気持ち悪い」


「いつもは普通に喋っとるわ! お前がとんでもなくアホそうだから、わかりやすいように砕けた感じで言ってやったんだよ! そのくらい理解しろ、このドアホ!」


「あんたの普段なんて知らないし、どうでもいいし。で、私が赤ちゃんに見えるの? わあ、そのサングラスすごいね。前が見えないだけじゃなくて相手の年齢もわからなくなるなんて、超優れものじゃん。時代先取りしすぎじゃない? 最先端バカ一番星なの?」


「そんな未知の能力が秘められたサングラスなんてあるわけねえだろおおおお!? こんのガキ、マジでしばくぞ!!」


「…………おや、ナナセさん! 良かった、迷子になって困ってたんですよ」



 怒りに任せて青年が、間近に引き寄せた七瀬に火を噴く勢いで浴びせた怒声に重なり、何とも呑気な声が降ってきた。


 七瀬が振り仰ぐと、最凶を謳うジェットコースターに続く階段の上から、サラギが心底安堵したような表情で人波を押し退け掻き分け、降りてくる姿が映った。


 青年が、再び固まる。


 だがそれは、喧嘩を売り買いした相手に助太刀が現れたと尻込みしたせいではなかった。



「…………セラ、か?」



 夢現のように彼が呟いた言葉は、確かにサラギの名前だった。二人の元に到着したサラギの方も目を瞠り、青年を真っ直ぐに見つめる。



「…………トガイ?」



 彼の口からも、名前と思われる単語が零れた。


 二人は互いの存在が此処にあることが信じられないとでも言いたげに、そのまま時が止まったかのように長らく見つめ合い続けた。



「……セラ、お前、何だよその頭。それに、その格好。見慣れなさ過ぎて気持ち悪いったらねえな」



 緊迫感漲る静寂を打ち破ったのは、トガイなる青年の溜息混じりの罵倒だった。そしてフロントとサイドばかりが長く、ひどくアンバランスな印象を与える黒髪を指差し、くく、と喉を鳴らして笑う。



「……トガイ、あなたこそどうしたんですか。そんなご機嫌な頭をして」



 対して、サラギは嫌そうに眉を顰める。頭皮を垂れ落ちるアイスの冷たさに今更になって状況を思い出し、トガイはぐるぐる首を巡らせた。



「うおわあ、そうだった! あのガキ、どこ行きやがったああ!?」

「待って、動かないで」



 いつの間にか彼の背後に立っていた七瀬は、静かにそう告げると、トガイの頭に手を伸ばした。


 てっきりアイスを取り除いてくれるのかと思いきや。



「よし、これで何とか。サラギくん、お土産。食べて」



 彼女は手に残っていたコーンを半ば溶け崩れたソフトクリームに乗せ、サラギに薦めた。しかしサラギは一層強く眉間に皺を寄せ、両掌をこちらに向けて拒絶のポーズを取った。



「いや、全然何とかなってませんよ……というかそれ、ソフトクリームだったんですね。私はてっきり」



 口元を抑えて言葉を濁したが、ひどく不快そうな視線から察するに、彼が濃い茶色のクリーム状の物体を何と勘違いしたかは明白だった。



「ちょっとおおおお! 何それ!? ご機嫌ってそういう意味!? お前、俺をどんだけ可哀想な奴だと思ってんだよおおお!?」


「随分と会っていない間に、色々と辛い思いをしたのだろうと……危うく涙が出そうになりました」


「哀れだな、脳味噌噴水ヘッドう○こ添え」



 サラギが気を遣って伏せた単語を、七瀬がはっきりと告げる。


 流石にこれには我慢ならず、トガイは再び七瀬のコートの胸倉を引っ掴んだ。



「てんめえええ! ふざけんなあああ!」


「…………やめなさい。トガイ」



 その背に、この上なく静かで暗い声が落ちる。


 静止画と化したかのように動きを止めたトガイの肩にそっと手を置くと、サラギは耳元に囁きかけた。



「ナナセさんに、手荒な真似をされては困りますな。いくらあなたでも、その方に手出しをすれば許しませんよ?」



 トガイが、ゆるゆると七瀬から手を離す。それから彼はサングラスを外し、ゆっくりとサラギを振り向いた。



「へえ…………お前に許しなんて、乞う気はないけどな?」



 サングラスに隠されていた刃の如き鋭利な目元には、サラギと同じ、琥珀色の瞳が妖しく輝いていた。


 紅を帯びた金色の視線が、至近距離でぶつかり合う。先程とは違い、片方は無間の深遠を、片方は無限の昂揚でもって互いを牽制し、束縛し、捕え合っていたが――――そこに、何とも力の抜ける奇妙な音楽が流れた。



 ね〜っこねっこ、ニャフンニャフ〜ン。ね〜っこねっこ、ねっこねっこねっこ、ニャフンニャフ〜ン。



「……あ、筒見さん。サラギくん? 見付かったけど何か変な男といやらしく見つめ合ってるから、見捨ててそっち行こうとしてたとこ。うん、わかった、置いてく」



 筒見からの着信を終えてスマートフォンをバッグにしまうと、七瀬は『ねこねこニャフニャフ』なる彼女お気に入りの愉快な着信音で毒気を抜かれた二人に、冷ややかな眼差しを向けた。



「それじゃ、お先に失礼するね。私、筒見さん達が大ファンのバンドのライブ観に行きたいから」


「お待ちなさい」



 吐き捨てるように告げ、立ち去ろうとした彼女を引き留めたのは――サラギではなく、トガイの方だった。



「ちょっとお聞きしたいのだが、お友達が大ファンというのは、もしかして『タマキ』というバンドだったりするかい?」



 何故か、口調までがらりと変わっている。


 不気味そうに後退しつつも七瀬が頷くと、トガイは途端に研ぎ澄まされた鋒を思わせる貌を人懐こく綻ばせた。



「そっかそっか、ファンだって言ってくれる人もいるのかあ……嬉しいなあ。っていけね やべ、こんな時間!? リハ間に合わねえ! じゃあな、セラ! それとナナセだっけ? お前もまた後で!」



 颯爽と走り去っていく彼のコーン付きの後ろ頭を見送った二人は、はて『後で』とは何のことやらと顔を見合わせ首を傾げ合った。

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