6.宣誓


「遊園地かあ……いいわねえ、若いって。私も昔はよく行ったけど、ここ数年は全然だわ」



 検査結果の報告を終えカウンセリングに入ると、白衣姿の女性は怜悧な顔立ちを柔らかに崩した。年齢は四十半ば過ぎ程だが、笑顔になると途端に年齢不詳となる。少女のような清い笑みと向かい合う七瀬ななせは、例えるなら彼女の愛玩人形といったところか。


 だがこれは、ままごとのお医者さんごっこではない。



「遊園地なんて、若くなくても行けるよ」



 微塵も表情を変えずに愛想なく返す患者に、長年の主治医である藤咲ふじさき杏子きょうこは笑みを消して真顔になった。



「あんなところ、年寄りが行っても疲れるだけよ。七瀬さんはまだ若いから理解できないでしょうけど。おまけに男女四人、ダブルデートですって? 全く、羨ましいったらありゃしないわ」



 相手から聞き出した内容を刺々しく突くと、藤咲は軽くくちびるを尖らせ、拗ねる仕草をしてみせた。


 無論、冗談ではある。しかし彼女達の若さを羨むと同時に、仕事にかまけていまだ未婚の身を嘆く本音も、ほんの少しだけ混じっていた。



「だったら先生も誘えば良かったね。実は飛び入りのせいで、五人になったんだ。男が余ってたから、もしかしたら出会い提供できたかも」


「からかわないでちょうだい。皆、七瀬さんと同じくらい年齢だったんでしょ? 私みたいなオバサン、相手にされないわよ」


「大丈夫、サラギくんだから。何なら今からでも紹介しようか?」



 さらりと流れる水のように七瀬が答える。だがその水は藤咲に辿り着くと忽ちに氷と化し、笑顔ごと凍らせた。



「七瀬さん……まだあの変な男を飼い猫にしてるの? もう三ヶ月にもなるけど」


「うん。取り立てて問題はないし、この頃は言う事を聞くようになってきたよ。おかげで、少し飼いやすくなった」



 七瀬はいつもの如く事も無げに言い、藤咲もいつもの如くがっくりと肩を落とした。


 藤咲は一度だけ、サラギに会ったことがある。七瀬が彼を猫として飼い始めて間もない頃、一度だけ病院に連れてきたのだ。


 容姿こそ淡麗で、育ちの良い御曹司といった風情であったが――藤咲は、彼から不吉な気配を感じ取った。物腰柔らかでありながら不遜で、愛想が良いのにどこか冷ややかで、優美で上品な空気を纏いつつ妖しく退廃的な香りを微かに漂わせる、矛盾の塊。精神科医として数々の人間と対峙してきた藤咲にも、あれ程までに掴みどころのない者は初めてだった。


 だからこそ、彼が『飼い猫』などという訳のわからないものに成り下がった理由がわからない。そして何故、人一倍警戒心が強いはずの七瀬が、素性も知れないあの男を平気で傍に置くのか、全く理解できないのだ。


 脳裏に蘇ったサラギの飄々とした笑みを、軽く首を降って散らすと、藤咲は改めて七瀬に向き直った。



「問題がないのなら、現状維持も仕方ないわね。でも、くれぐれも気を付けて。そうやって安心したところを狙われるってことも多いんだから」


「サラギくん、あんまりお金に興味なさそうだよ?」


「お金だけじゃなくて……他にも色々あるでしょう?」


「お金以外に狙われそうなものなんてある?」



 七瀬が不思議そうに首を傾げる。


 この娘は、これまで決して平穏とは言い難い人生を歩んできた。そのせいで心を病み、もう数年もの間、自分の元へ通っている。


 おかげで常に自分のことだけで目一杯という状態であるため、他人へ関心を持つ余裕がなく、こういったことにはとことん鈍いのだ。



「ほら、その、男女の関係、というか……生殖行為を、強要、されるとか」



 真っ直ぐに突き刺される純真な眼差しにたじろぎながらも、藤咲は今日という今日こそは相手にもはっきり伝わるよう、選びに選んだ言葉で答えた。


 肉体関係はあるのかと問えば『頭を撫でた』と返され、身体を触られたかと訊けば『座っていたら膝に頭を乗せてくるのが鬱陶しい』と言われ、毎度毎度撃沈させられてきたが、これまで大丈夫だったからといって、この先も安全だという保証はない。


 あの男がそういったことを目的に彼女の家に住み着いているとは思えないが、一応は成人男性。注意するに越したことはないのだ。



「…………生殖」



 七瀬が呆然と呟く。やはりそちらに関する危機感は抱いていなかったらしく、彼女は嫌そうに眉を顰めた。



「そっか、よく考えたらサラギくんも大人の雄だもんね。生殖は困るな……盲点だった。教えてくれてありがとう、藤咲先生」


「どういたしまして……?」



 殊勝に頭を下げる七瀬に釣られ、藤咲も性格を表すが如く綺麗に纏め上げた髪を首ごと縦に動かした。


 七瀬は変わらず無表情だったが、もう五年近く彼女を見てきた主治医には、その鉄壁の面に滾る強い決意のようなものが察知できた。



「七瀬さん、ついにサラギくんを追い出すことにしたの?」



 なので藤咲は湧き上がる期待を隠し、平静を装いつつ尋ねてみた。



「まさか。追い出したところでブーメランみたいに戻ってくるに決まってる。そんな無駄なことしないよ」



 藤咲の淡い期待を裏切り、七瀬はあっさり否定した――――が、続けて強烈な解決策を言い放った。



「飼い主として、責任持って去勢する」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る