7.熱弁


 平日とはいえ、昼の繁忙時に迷惑な客がやってきたものだ――運悪く、その日その時そのファミレスでシフトに入っていた店員達は、メニュー全てを制覇する勢いでオーダーを入れたその客に白い目を向けた。


 どうせよくある罰ゲームの類いだろうと呆れ半分憤り半分で注がれていた眼差しは、しかしやがて好奇と驚愕に満ちたものへと変わっていった。二人用の狭いテーブルでは足らず、忙しい隙を縫って空いた席を繋げてまで並べた大量の料理を、大食漢といったイメージから大きくかけ離れた細身の男が、たった一人で綺麗に平らげたからだ。


 店員が引き攣った愛想笑いで空になった皿を下げていくと、有ヶ谷ありがやは目の前で優雅にコーヒーを口にするサラギに、恐る恐る話しかけた。



「…………見た目によらず、よく食べるんですね」


「ええ、何事も体が資本と言いますからね。アリガタヤさんこそ、あれだけでは足りないのではありませんか? まだお若いのですから、もっと食べて栄養を摂らなくては。もしかして、お金のことが心配なのですか? ならばここは、私がご馳走しましょう。ご心配なく、貯まったお給金の使い途に悩んでいたところなのです。ほら、遠慮せず今からでも追加で注文なさい」



 有ヶ谷も日替わりランチにライス大盛りをおかわりし、加えてサラダとポテトも頼んだのだが、サラギからすれば前菜にも満たない微々たる量であったらしい。小さな親切大きなお世話というやつで、サラギはまるで育ち盛りの子供を諭すような口調で再びメニューを開き、その中からあれこれと勧めてくる。だが、指し示された肉類を見るだけで、有ヶ谷の膨れた腹からは食物が逆流しそうになった。


 サラギの勧めを必死にお断りしながら、有ヶ谷は早くもげんなりしていた。七瀬ななせに会えると思って喜び勇んで来たのに、どうしてこうなったのか。



「ええと、そうそう、これですよね」



 話題を逸らそうと、有ヶ谷は筒見つつみ経由で依頼された品々をバッグから取り出した。そしてナプキンで念入りにテーブルを拭いてから、一つ一つ丁寧に並べる。


 まるで宝物のように扱われているそれらは、『タマキ』に関するグッズや書籍だった。殆どがファンクラブ限定で販売配布されているため、一般ではなかなか目にすることができない。というのも、彼らはメジャーデビューどころか音楽事務所にすら在籍しておらず、『好きな時に好きな音楽を奏でる』というスタンスのグループだからだ。



「ありがとうございます。早速拝見させていただいて宜しいですかな?」



 有ヶ谷が頷くのを待ってから、サラギは『環解体新書』という彼らの活動歴を纏めた冊子を手に取った。しかし苦手とする横文字が多かったため、すぐに音を上げて、有ヶ谷に解読をお願いした。



「ふむ……『環』というのは、基本はお二人なのですね。彼らを中心に、その時々に応じて様々な分野から助太刀をお呼びする、と」



 サラギの言葉に、有ヶ谷は頷いた。


 有ヶ谷の補足説明によれば、『環』はキーボードを担当する者とミキシングの二人がメインメンバーであり、その他のサブメンバーは流動的に変化するのだという。作りたいライブの雰囲気、奏でたい楽曲の組み合わせ、また本人達のスケジュールの都合などを考慮し、その都度メンバーを構成するそうだ。


 サラギが興味深げに声を漏らす。有ヶ谷は、更に解説を続けた。



「ライブごとに面子が変わるから、ちょっとややこしく感じるかもしれないけど、サブメンバーもほぼ固定なんだ。出てくるか出てこないかっていうだけで。ギター、ベース、ドラムはそれぞれ数人いて、ライブの日程に合わせて交代したり、得意な曲に合わせて選ばれたりする。問題は、特殊な楽器。こっちはサブとはいえ、相応の技術を要する上に替えが利かない。でも『環』のライブパフォーマンスには欠かせない存在なんだ。サラギさんもこないだ見たでしょ? あの時のライブは、オーボエが特にすごかったよね!」



 気付けば、有ヶ谷の口調から敬語体が消えていた。草食動物のように優しく穏やかな目に、情熱の炎が燃えている。結成初期の頃からファンだというだけあって、その表情からも声からも並々ならぬ熱意が感じられた。


 身を乗り出して語る有ヶ谷に曖昧に頷き返し、サラギは開かれたメンバー紹介の頁に視線を落とした。



篳篥ひちりきに似たあの楽器……オーボエ、というのですね」



 そこには、先日見た知人の仮面の写真と共に、担当する楽器と名前が記されていた。メンバーは全員イニシャルを名乗るそうで、彼は『TR』と呼ばれているらしい。



「他にもクラリネットだとかバイオリンなんかもいるよ。彼らが揃うとオーケストラみたいで、それもまたカッコイイんだ。サラギさんは和楽器が好みなの? 篳篥はいないけど、和太鼓とか三味線とか……あ、あと一応、琴もいるよ」


「…………琴?」



 訝しげに眉を寄せ、サラギは手元の冊子を捲った。しかし多数いるサブメンバーの中に、琴を担当としている者はいない。すると有ヶ谷はライブ風景を中心に纏めた写真集を開き、そこに掲載されたカラー写真を指差した。



「琴の人はメンバー紹介には載ってないんだ。滅多に出てこないからサブメンバーっていうより、スペシャルゲスト的な扱いみたい。俺も一回しか見たことないけど、『環』初の女性メンバーってことで超盛り上がったよ。腕前も物凄かったし、もしかしたらプロの方なのかもしれないね」



 ステージ上で飴色の琴に繊細な指を這わせる、のっぺりと凹凸のない仮面の人物を見て――――サラギは軽く目を瞠った。



「…………リヅキ」



 音声になったかも怪しい小さな呟きは、有ヶ谷には届かなかったようだ。



 それからも熱心に、有ヶ谷は『環』というバンドグループの素晴らしさを夢中になって説いた。


 制御を失った機関銃に等しい彼の熱弁は、凄まじいものであった。空気読めない代表といつも飼い主に詰られているサラギですら、口を挟むことはおろか目を離すことも許されず、勢いに圧倒されるがまま、延々と『環』烈伝を聞かされ続ける羽目となった。

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