36.大根
「…………カットぉぉぉ!」
突然降って湧いた大声に、
「いやあ、いい
デジカメを向けたトガイが、大袈裟な口調で誉め称える。
「あたしも感動しちゃったわあ! すっごぉく良かった! 素敵! 最高! ワンダフォウ!」
隣に立つリヅキも学芸会よろしく、大根演技で激しく身をくねらせる。果たしてこれは何事か。
「…………まさか、これ全部、芝居だったの?」
屋根から降りて倉庫の陰から様子を窺っていた
どうやらこの二人に聞かせるために、わざと大きな声を張り上げていたようだ。
「お、おう! ニラニラ動画に投稿しようと思ってさ。皆にたくさんコメントもらって、ニラニラしたいんだ〜」
「ええ? アップするならチューユーブでしょ? 有名チューユーバーになって、世界進出するのよ!」
有名な動画サイトの名を出して、二人はキャッキャウフフと笑い合った。しかしトーテムポールのように壁から出した首を並べた有ヶ谷と昴は勿論、七瀬とサラギの目も冷たい。
これまでのことを全てフィクションに仕立て上げようなんて、どう考えても無理がありすぎる。
「いつから始まってたの? どこまでが演技だったの? どうやって撮ってたの? てか、知らなかったのは俺だけっていうドッキリ企画? そういや昴が七瀬さんのマンションにいるなんて、おかしいもんな……」
微妙な空気が漂う中、有ヶ谷はついに昴にまで疑惑の眼差しを向けた。
「や、やめてよね! あたしがあの場に居合わせたのは……ぐ、偶然! そう、偶然よ! それに、知ってたらこんな怪我するはずないでしょ!?」
「そっか……だよな、疑ってごめん。で、七瀬さんとサラギさんは知ってたの?」
次に問い質された七瀬も、首を横に振った。
「私も今初めて知った」
その間にトガイとリヅキから必死のアイコンタクトを受け取ったサラギは、頭を掻きながらしどろもどろに説明した。
「私はその、ここに来てから知らされました……。何でも、ええと、実際の記録映像のような現実的な雰囲気で? 血湧き肉躍る非現実的な? 何というかですね、そんなような空想作品を作るのだとか……そう言って、あの二人は意気込みを語ってくれまして。それで、まあ、熱意にほだされたといいいますか……あ、そうそう、主人公をさせていただけると聞いて、私なりに奮闘してみたのですよ! あの……私の演技、どうでしたか?」
「…………あ、うん。すごく、真に迫る演技、だったと、思うよ……?」
まだ半信半疑といった風に頬を強張らせる有ヶ谷に、トガイは手を合わせて赤い髪を下げた。
「タツキ、マジごめん! あんな強く蹴っ飛ばすつもりじゃなかったんだ。スバルちゃん、だっけ? その子の乱入も予定外だったし、何とか撒こうとしたんだけど……」
その言葉を聞くや、昴は有ヶ谷を押し退けて壁の影から飛び出し、トガイに猛然と噛み付いた。
「そうよ! あんた、どんな脚してんの? あたし、こう見えて自転車じゃ全日本大会出たことあるくらいなんだよ? それを徒歩で引き離すなんて、おかしいじゃないの!」
これは流石に言い訳できない。
鬼の形相で詰め寄る昴を前に、どうしようどうしようどうしようと冷汗ばかりをだらだら流すトガイだったが――そこに、颯爽と助け舟が現れた。
「そういえばトガイくんのお父さん、発明家だって聞いたことあるな〜。その靴も、きっとお父さんの発明品だったんじゃないかな〜。よくわかんないけど、何かすごい仕掛けがされてたんだろうな〜。空くらい余裕で飛べるくらいの、ターボエンジンみたいな〜?」
ありえない事実はありえない方法で誤魔化せばいいとでもいうのだろうか、七瀬が平然とありえないことを言う。しかも、リヅキ以上の大根演技ときた。
いやいや、いくら何でもそれじゃ誤魔化せないだろう……とトガイが泣きそうに顔を歪めた瞬間、意外な声が落ちた。
「なあんだ、発明品かあ。それなら追いつけなくても仕方ないよね。ちょっとあんた、そんなセコい真似で、このあたしに勝ったと思わないでよ? あんな高いとこから飛んで着地できたのも、その靴のおかげってわけね。ふん、あんたは卑怯者だけど、その発明のすごさだけは認めてあげるわ」
有ヶ谷に肩を固定してもらったおかげで痛みは緩和したらしく、昴はいつもの調子で鼻を鳴らし、そっぽを向いた。しっかりしていそうな見た目によらず、案外騙されやすいタイプのようだ。
「ごめんね、スバルちゃん……だったかしら? 故意ではなかったとはいえ、酷い思いさせちゃったわね。本当にごめんなさい。責任持って、治療費は全額出すわ」
リヅキも昴に近付き、謝罪を述べる。
すると昴はコロッと態度を変えてにこやかに笑った。
「やだぁ、このくらい平気ですよぉ。お姉さんこそ、すごい演技でしたね! 格好良かったですぅ、ホント憧れちゃいますぅ。良かったら今度、ゆっくりお話しましょう、そうしましょう。治療費は竜樹を蹴飛ばしたこのクソ野郎に出させますから、ご心配なく!」
実は昴にとって、リヅキは理想のタイプなのだ。中身はさておき、昴の目にはリヅキが『ずっと目標としてきた色気と知性を兼ね備えた大人の女性』に見えるらしい。
リヅキには笑顔で、トガイには逃げたら地獄の底まで追いかけるという脅し文句を食らわせながら連絡先を交換し終えると、昴は七瀬の元に駆け寄った。
「ちょっと、いつまでその男とくっついてんのよ。あたし、自転車押してかなきゃなんないし、一人でも大丈夫だから、あんたは
しかし七瀬は首を横に振り、未だ胸に収めたままのサラギの頭を撫でながら答えた。
「私はこれと帰る。有ヶ谷くんだって昴さんのこと、放っておけるわけない。気を遣わないで、弱ってる時くらい頼りなよ」
カメラ位置や特殊メイクについて、責め立てるようにして根掘り葉掘りトガイとリヅキから聞き出し、漸く満足した有ヶ谷も、ちょうどこちらにやって来た。
七瀬は彼に、一つ頷いてみせた。
有ヶ谷も頷き返す。それから彼は、サラギへと視線を移した。
「何ですか、羨ましいんですか? だったら、力づくで奪ってごらんなさい。手加減など無用、私も『この場所』を死に物狂いで防守しますよ」
こちらを見返した琥珀色の瞳は、声以上に冷ややかだった。
きっと彼には、伝わってしまったのだろう。
あの時、有ヶ谷は確かに七瀬を先に助けようと思った。だがそれは、純粋な想いのみではない。頭の何処かで、負傷した昴よりも彼女を助ける方が容易だと考えていた。また、あわよくば難航しそうな昴の救助に彼女の手助けがあれば、という打算もあったのだ。
そして一歩も動けなかった自分と違い、サラギは己の危機も顧みず身を犠牲にして七瀬を救った。
あの瞬間の光景を、有ヶ谷は忘れられないだろう。己の恋心が飼い猫以下の果敢ないものであると、彼女の傍にいるだけで幾度も思い知らされるだろう。
お前に七瀬は任せられない。見込み違いだった、この人を二度と欲しがるな――――サラギの氷のような目付きは、言葉より如実にそれを語っていた。
「…………昴、行こう」
有ヶ谷は昴の肩を叩き、促した。
「はああ? 竜樹、何言ってんの!?」
昴が驚き、素っ頓狂な声を漏らす。
「お前、俺が付いてかなきゃ病院行かないだろ。昔から、医者嫌いだったもんな。固定しとけばその内に治る、な〜んてバカなこと考えてんの、見え見えなんだよ」
「それはまあ、そうだけど……」
口籠りながらも抗議しようとする昴を制し、有ヶ谷は二人に頭を下げて背を向けた。
「…………有ヶ谷くん、昴さん、ありがとね」
二人の後ろ姿に向って、七瀬が感謝の言葉を投げかける。
昴は思わず振り向きかけた。だが、隣を歩く有ヶ谷がくちびるを噛み締め、涙を堪えるかのような厳しい表情をしているのを見てやめた。
何か言おうとしたが言葉にならず、昴は代わりに大きな背中をポンポンと軽く叩いてやった。苦しい時や悲しい時、いつも彼がしてくれた元気の出るおまじないだ。
寄り添い合いながら遠退いていく二人の背を眺め、七瀬もまた一つ、心に区切りを付けた。
「…………あの二人、これから付き合うのかもね」
付き合うイコール、裸で夜なべしてお洒落な言葉で語り合かし、朝にコーヒーを飲むという生活を毎日続けるものだと信じて疑わない七瀬だったが、有ヶ谷と昴ならばそんな苦行じみた日々も乗り越えていけそうだと思った。
「突き合い? 刀でですか、槍ですか? ナナセさんなら正拳一択でしょうけれど」
サラギも七瀬が発した言葉の意味をよく理解していないようで、とんちんかんな相槌を返す。
己を棚上げして盛大に溜息をつく七瀬に、サラギは普段とは真逆に彼女を見上げる姿勢から優しい笑顔を向け、表情以上に柔らかな声音で言った。
「ナナセさんにも今にきっと、良いお相手が現れますよ。しかし、単に『良い』というだけではいけません。あなたと生涯を共にするならば、欠点一つ見当たらぬまでに素晴らしい人物でなくては。そこはこの私が、入念に厳選しましょう」
「何でお前が選ぶの」
嫌そうに眉間を強く寄せ、七瀬が問う。
サラギは平然と答えた。
「あなたの、飼い猫ですから」
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