38.連絡


 昼間でも薄暗い古びた平屋の八畳間で、家主であるトガイは携帯電話を耳に当て、呼出音を聞きながら火を点けた煙草の先端を見つめていた。


 五コールを数えたところで、相手が電話に出る。



「お、久しぶり。俺だよ、俺。いやあ、仕事で大損こいちゃってさあ、ちょっとヤバいことになってんだ。取り敢えず百万ほど貸してくんね?」



 すぐに電話は切られた。だが負けじと即かけ直す。



「おい、俺の渾身のギャグを嫌な感じに受け流すんじゃねえよ。結果報告、要らねえのか?」



 今度はすぐに応答した相手は、トガイの脅迫めいた言葉に大人しく通話を続けた。



「セラは、確かにここにいた。例の事件も、恐らく奴の仕業だ」



 煙草の灰を落とすついでに、灰皿の横に無造作に置かれた新聞記事のコピーを眺めつつ、トガイは淡々と事実を告げた。



「……だが残念ながら、もうどこかに移動した後だった。調べてみたんだけど、消えた奴らはどいつもこいつも問題あり難ありな人物だったみたいでさ……たまたま事件に巻き込まれて『自衛で食った』のか、『ニシメ』求めて『自主的に食った』のか、その辺は定かじゃねえな」



 トガイの喉から、くく、と愉しげな笑いが漏れる。



 ――『ニシメ』どころか『オニギリ』を見付けたと知ったら、『こいつ』はどんな顔をするだろう。想像するだけで、堪らなく愉快だった。



「ま、そう遠くに行ってはないと思うから、引き続き、ここに残って捜索してみるわ。リヅキ? 相変わらずだよ。連絡ねえの? あ~、わかったわかった、伝えとく」



 面倒だと言わんばかりに顔を歪めたトガイだったが、すぐに無表情になった。



『…………』



 受話口から流れたのは、呪文のような低い囁き。


 それを聞き終えると、トガイの口元に酷薄で残忍な笑みがじわり、と滲み出た。



「へえ……お前さん、えらく大層な口を聞くようになったねえ。こちとら、お前にゃ何の義理もない。『初代』と違って、お前には俺らを縛る権限なんざねえんだよ。協力してやってるのはセラのためってこと、忘れないでくださいねえ? わかったか、『おぼっちゃま』」



 蔑みを露わにした口調で嘲笑えば、相手が押し黙る。


 その反応に満足して、トガイは電話を切った。



「……こんな感じで良くって?」

「結構」



 目の前で茶を飲んでいたサラギが、くちびるを吊り上げ頷く。その隣で黙って会話を聞いていたリヅキも、押さえていた笑いをくすくすと零した。



「おぼっちゃま、だって! その呼び方はあんまりじゃない? あいつだって、もういい年なのに」


「そお? 俺にとっちゃ、幾つになってもいつまでも鼻垂れ小僧のまんまだ。それに、こうやって釘差して緊張感持たせといた方が、あいつのためにもいいんだよ」



 急須から茶のお代わりを注ぎながら、トガイも笑う。



「同意ですね。彼は昔から、性格に不安定な部分があります。幾年にも渡って熱心に鍛錬に打ち込み続けるのも、自信のなさの裏返し……せっかく良い資質を持っているのですから、もう少し頑張っていただきたいものですな」


「そうね、あたしも思うわ。願わくば彼の力で、あたし達を解き放ってくれたら…………なんてね」



 サラギに続きリヅキが漏らした言葉は、積年の彼女の本音であり、そしてこの場にいる全員の総意でもあった。


 陰鬱に澱んだ家の空気の中、三人は暫し沈黙した。



「…………セラ、お前はこれからどうする?」



 やっと口を開いたトガイが、一番気になっていたことを尋ねる。サラギは、すぐにいつもの微笑で答えた。



「私はナナセさんの傍にいます。あの方は私の『オニギリ』……ですが、一切の説明はしていないので安心して下さい」


「え? あの子、本当に何も知らないの?」



 リヅキが驚きの声を上げる。トガイも同じく、目を丸くした。



「ええ、私が人を食らおうと死ななかろうと、あの方にとってはどうでも良いこと。例えるなら、私は猫という名の置物といったところでしょうか。何でも中に収納できる上に非常に頑丈な、ね」



 サラギは含み笑いを零しながら、七瀬ななせと初めて出会った時へと記憶を馳せた。


 可愛がっていた小さな黒い野良猫の亡骸を抱いた七瀬は、それを貪り食っていた自分にも等しく、無機物のような何の感情も温度もない、虚無の眼差しを落とした。


 あの目を見た瞬間、久しく凪いでいた彼の心臓が不穏な音色を奏でたのだ。



「やはり外界は素晴らしい。これほどまでに様々な未知に出会えるとは……この私が、こんなにも心を動かされるものがまだあろうとは、思ってもみなかった」



 サラギの琥珀色の瞳に、内より溢れ出した狂気が満ちていく。


 包み隠す相手もいないので、それは質量すら伴って感じられる程に重く濃く、トガイとリヅキの身にも纏わり付いた。



「素晴らしい主ですよ、あの小娘。如何なる時も、私の心を安らがせてはくれない。知れば知るほど、嫌悪感と不快感が募る。惰性で生き永らえる屍以下の分際で、なのに死ぬことが最も恐ろしいのだという。何をしても死ねぬ私の前で、平然とそう言い切ってくれた。嗚呼、実に愉快だ。実に不愉快だ」



 そこでサラギは改めて同朋達に目を向け、ひどく優しい口調で宣言した。



「私はこれからもあの人の傍で、あの人を守っていきます。あの人が、なるべく長く生きられるように。私が、この最高の心地をなるべく長く味わい続けるために。しかし何より一番の楽しみは、あの人の最後の最期の瞬間です。どんな表情でどんな気持ちで逝くのか…………想像するだけで、激しく昂りますねえ」



 トガイの脳裏に、いつか見た七瀬の無機物の如き一瞥が蘇る。



 自分も、あの目には胸騒ぎにも似た感覚を覚えた。飛び掛かり、押さえ付け、細い喉笛を噛み裂きたい獣じみた衝動に襲われた。


 その時、彼女はどんな顔を見せるだろう?


 死を最も恐れているのだというのなら、命乞いをして泣き喚くのか。それとも、諦め投げやりになってあの虚無の眼差しを向けるのか。


 それを思うと、トガイもまた、背中を走る戦慄じみた快楽に身が震えるのを感じた。



 サラギも同じ、いや自分以上に激しい欲望をあの娘に抱いているらしい。


 それは最早、憎悪と呼んでも差し支えないまでに深く強く、大きく膨れ上がってしまっているようだ。


 こうなればもう、誰にも止められない。止められないなら、彼が納得するところまで行かせるだけだ。彼の望む『最後の最期』に、辿り着くまで。



 肩から大きく嘆息し、トガイはリヅキに目配せして頷き合った。



「わかったよ、お前の邪魔はしない。好きにしろ。どうせ束になったとこで、太刀打ちできねえんだからな。昔からそうだ、学術でも体術でもお前に勝てた試しはなかった。下賎な分家の民は大人しく見守らせていただきますよ、っと」


「ですわね。格下は格下らしく、小汚い面を上げてお目汚ししないようにひれ伏しておりますわ。高貴なる血筋を引いていらっしゃる『次期ご当主様』はどうぞご自由になさいあそばせ」



 トガイとリヅキが嫌味な言い方で返すと、サラギは途端にしゅんとして肩を竦めた。



「……まだ根に持ってるんですか? あんなに謝ったのに。二人共、血統に関して卑屈になり過ぎですよ。もう我々の一門は存在しません。仮に絶えず残っていたとしても、私達に上下など関係ない……昔からそうだったでしょう? 私達は同じ、『珠護タマゴ』なのですから」



 二人の顔色を窺うように、サラギが項垂れた前髪の隙間からそろそろと目線を上げる。


 幼い頃から見慣れた、喧嘩した時の彼の癖だ。



 先に吹き出したのは、リヅキだった。



「やあね、セラってば全然変わってないじゃない。やり合った時は、また『珠護狩り』に目覚めたらどうしようなんて心配したけど……安心したわ。というか今更だけど、何なのよ? その髪にその格好。似合わなさ過ぎて、最初見た時は笑うよりも引いたんですけど〜」



 ころころ笑い転げるリヅキに、トガイもげらげら笑いながら賛同した。



「だろ? セラの短髪洋装なんて、気色悪い以外の何物でもねえよな。しかしまあ、誤解して先に噛み付いたのはこっちなわけだし、許してやんよ。あ、でも」



 トガイは言葉を区切り、しょんぼりしながら不揃いな髪をあちこち触っていたサラギに顔を寄せた。



「一つお願い、聞いてもらっちゃおっかなあ?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る