2.飛翔
「うっそ、もう発見されたの? すんごい嗅覚だね! しかも討伐してきたって、ナナちゃん強すぎ! その勢いでペン太奪っちゃえよ! 昼ドラ真っ青の三つ巴の愛憎劇繰り広げちゃいなよ! ファー!」
フードコートのオープンテラスの隅に潜伏していた計画発案者・
彼女と一緒に行動していた
おまけに、筒見は有ヶ谷のことすら応援しているんだか遊んでいるんだかといった感じである。そんなわけで、楽しいはずのダブルデートは早くも雲行きが怪しくなっていた。
まだ来園して一時間足らずだというのに既に消沈している男二人をそっちのけて、七瀬は筒見に詰め寄った。
「よくわかった。ローキックミドルキックハイキック、好きなの選ばせてあげる」
「やだやだナナちゃん、驚かせようと思って黙ってただけで、意地悪したんじゃないよ? だから親友にそんな乱暴しちゃ、イヤイヤ」
「親友だったら騙すな。陥れるな。玩具にするな」
可愛く誤魔化そうとしたものの、無表情で迫る親友の圧力には敵わない。筒見はごめんごめんと謝りながら抱きつく振りをして、小さな声で七瀬の耳に囁いた。
「ね、アリーと何か話した?」
「たまたまがどうとか言ってきたから、たまたまは猫のふぐりって答えたけど?」
本名はまだちゃんと覚えられないものの、アリー=有ヶ谷という図式はできていたので、七瀬は素直に答えた。
「……あ、そう。ならいい」
震え声で返し、筒見がそっと離れる。しかし堪え切れず、すぐに笑いを暴発させた。
残された三人は『よくわからないけどまた何かがツボに入ったようだ』と目配せし合い、飲み物を口にしながら彼女の発作が収まるのを待っていたのだが――――そこへ不意に、晴天の陽射し満ちる四人用のテーブルセットに日除けの如く黒い影が落ちた。
「やはりこちらでしたか。覚えのある声が聞こえたので伺ってみれば……筒見さん、あなたは相変わらず慎みが足りないようですね。その下品な笑い声、通りにまで漏れてましたよ。全く、みっともない」
突如として現れたのは、黒いフォーマルスーツを纏った背の高い男だった。そいつは椅子を引っ繰り返さんばかりに悶絶していた筒見に容赦ない言葉を浴びせると、次に七瀬へと視線を向けた。
「……さっきのは、幾ら何でもあんまりではありませんか?」
口角こそ薄く上がってはいるが、笑ってはいるのではないことは明白だった。背筋を震わすような低い声同様、流麗な切れ長の眦の下で輝く琥珀色の瞳は、暗く澱んだ光――確たる憤りに燃えている。
彼の放つ怒りの冷気に当てられ皆が凍り付く中、七瀬は平然と吐き捨てた。
「どちら様ですか」
「…………え?」
「ぶふぁ!」
七瀬の言葉を聞いた男が唖然とし、唖然とした男を見た筒見が吹き出す。この奇妙なコンボが何故かツボに入った有ヶ谷と宍戸の二人も、顔を見合わせると同時に吹き出した。
「ちょっと、皆さん何がおかしいんです? これは一大事ですよ! ナナセさん、本当に私が誰だかわからないんですか? 私のことを忘れてしまったんですか? どうか思い出して下さい、出会ったあの瞬間を。共に過ごしたあの日々を。この私という大切な存在を」
傍らに跪き、男が懸命に訴えかけるも、七瀬はもう姿すら見えなくなってしまったかのように無視してコーヒーを啜るだけだ。
流石に可哀想になって、筒見は笑いすぎて滲んだ涙を擦り擦り、立ち上がって男の傍に駆け寄った。
「アリー、宍戸くん、紹介するね。こちら、サラギくん。サプライズで用意した、本日の飛び入り参加者だよ。ホントはもっと遅くなる予定だったんだけど、思ったより早く来られたみたいね。すっごく面白い人で、あたしとナナちゃんの共通の友達なの」
「友達なんかじゃないし」
「友達などではありません」
七瀬とサラギの台詞が綺麗に重なる。サラギが発した大切な存在という言葉から嫌な予感に襲われつつあった有ヶ谷は、恐る恐る口を開いた。
「え、じゃ、もしかして、七瀬さんの……」
「猫です」
先程とは打って変わって穏やかな声で返された答えは、有ヶ谷の恐れていたものではなかった。しかし想定範囲の圏外を飛び抜け過ぎていて、最早、理解不能だった。
「私、ナナセさんの飼い猫のサラギセラと申します。おや、あなたは先程、ナナセさんと二人でいらっしゃった方ですね」
立ち上がって一礼すると、サラギは混乱してフリーズしている有ヶ谷に目を留めて口元を仄かに綻ばせた。
「情けない姿を披露してしまい、申し訳ございませんでした。ですが、失神したおかげで大事を取るという名目で仕事から解放され、こうして皆様と早々に合流できたのです。これぞ怪我の功名というやつですな」
言われて初めて、有ヶ谷は気が付いた。
そういえばこの男、随分と背が高い。180センチ以上ある自分よりも目線が上にあるのだから、190センチは超えているだろう。つまり、あのペン子の中の人は、このサラギという男だったのだ。
しかし正体を明かされても、あまりにも意外過ぎて有ヶ谷には到底信じられなかった。
ペン子といえば彼氏ペンギンのペン太を振り回し、放り投げ、受け止めてハグするという、別名『ペン子の狂愛乱舞』と呼ばれる強烈な肉弾パフォーマンスが売りだ。なのに目の前に立つ男は、厳つさの欠片もなく、すらりとしてしなやかなモデルのような体型をしている。たおやかでなよやかな麗しい淑女を思わせる品の良い細面も、そのような肉体労働に従事する者のイメージからは遠くかけ離れていた。寧ろ『箸より重い物など持ったことがない』と言われた方が納得できる。
じっと見つめるばかりの有ヶ谷の視線から、彼が無言で何かを訴えていると悟ったサラギは小さく溜息をつき、肩を竦めてみせた。
「……ええ、言いたいことはわかりました。あなたもペン太さんのように、ペン子の愛を全身で味わいたいのですね?」
「はい!?」
的外れの推理に、有ヶ谷は声を裏返らせた。
「仕方ありません、良いでしょう。初対面で無様なところを見せてしまったことですし、忘れて下さいとお願いするなら、相応の要求を受け入れねばなりませんよね。特別に、あなたを愛して差し上げましょう」
「あ、あの、いやいやいや、ちょっと!」
甚だしい勘違いで勝手に話を進めると、サラギは必死に首を横に振る有ヶ谷の腕をがっちり捕らえた。
「ご安心下さい。一時の火遊びとはいえ、ペン太さんをあなたに重ねるなんて不義理をするつもりはありません。今だけは、あなた一人を愛します。ですので、お名前をお聞かせ願えますか?」
「アリガタヤ」
思ってもみなかった事態に見舞われ、戸惑い焦り狂う有ヶ谷に代わり、七瀬が答える。
「アリガタヤ? ほう、御利益あらたかそうな、何とも有難いお名前ですな。では愛しのアリガタヤ、いきますよ」
そう宣告すると、サラギは有ヶ谷を抱きかかえ、ぐるぐる回転し始めた。
彼らがいた場所はオープンテラスの一番端だったので周囲に人はいなかったが、座席同士の間隔が広いとはいえ、それなりに障害物はある。サラギはうまくその隙を見極め、ぶつからないように注意を払いながら勢いを付けると、それに任せて有ヶ谷を宙に放り投げた。
「うっぎゃああああ!」
「アリガタヤ〜」
想像以上の高さとスピードに、有ヶ谷が叫ぶ。サラギは彼の名を呼び受け止めると、先程以上に速度を上げて彼を振り回し、今度は更に力を込めて投擲した。
「あんぎゃああああ!」
「アリガタヤ〜」
そしてまた受け止め、回り、高々と放り投げる。繰り返す毎に回転速度、飛行高度は上がる。ひたすらに上昇し続けていく。
「もういやあああああ!」
「アリガタヤ〜、アリガタヤ〜」
「もうやめてええええ!」
「アリガタヤ〜、アリガタヤ〜、アリガタヤ〜」
離れてはくっ付き、くっ付いては離れる二人を眺めていた七瀬は、同じく口を開けて見守るばかりの筒見と宍戸に小さく呟いた。
「何これ、不気味な宗教儀式みたいだね。男同士熱く激しく抱き合って有難がるとか。超気持ち悪い」
彼女の心無い一言に、親友の気持ちを知る宍戸はこの日のために緩くパーマをかけたオレンジの髪をがっくり垂れ、筒見もまた苦笑いして濁す他なかった。
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