25.正義


「…………こいつは、俗に言う、引きこもりってやつだ。さっき、訳のわからんことを、言ってただろ? あんなことばかり、抜かすから……誰にも、相手されなくなったみたいでな」



 山崎やまざきが途切れ途切れに話した内容によると、五十嵐いがらしは裕福な家庭の一人息子で、中学途中から登校拒否となって以来、二十も半ばを越えた歳になる現在まで、働きもせずぶらぶらしていたという。


 幼い頃から甘やかされて育ったせいか、自尊心と自己顕示欲ばかりがとんでもなく高く、それ故『自分は特別な存在』だと言い張り、あらゆる他人を見下していた。


 その内に、自分を評価しない世間を恨み始めた。


 だからといって、どうにもできず持て余していた五十嵐が彼らに出会ったのは、そんな時だった。



「俺と、上杉うえすぎが……一緒に、動物を痛ぶり殺してたところを…………見られたんだ」



 年が近くプライベートでも仲の良かった二人は、勤務時間が被らない日に片方がパトロールに出ると待ち合わせ、小動物を嬲り殺して遊ぶ楽しみを共有していた。


 最初はこっそりと、しかし段々と物足りなくなって刺激を求め、手口が大胆かつ残虐になり始めた頃、その現場を五十嵐に目撃されてしまった。


 それは、毎日を苛立ちと焦燥で無為に消費していた五十嵐にとって、光明が差した瞬間でもあった。


 以来、五十嵐は二人を脅迫し、制服を借すよう強要して、自らも『粛清』と称した虐殺に手を染め始めた。


 五十嵐の手口は、山崎達以上に凄惨を極めた。


 また、発覚を恐れて野生生物や野良を標的にしていた山崎達と違い、五十嵐は大型動物や血統書付のペットばかりを狙った。


 そのため、彼らの所業は事件として大きくメディア等で取り沙汰されるようになり、山崎達は自粛を余儀なくされた。


 しかし、取り締まりが強化されて街での活動が困難になっても、五十嵐だけは近隣の地区に出掛けてまで殺戮行脚を続けた。



 そして、彼はついに、人間を手にかけた。


 いや、動物はデモンストレーションに過ぎなかったのだろう。こちらこそが、本来の目的だったのだ。



 警察が容疑者としてしょっ引いたリキに目を付けたらしく、保釈を待ち、用意周到に準備した上で彼を嬲り殺した。


 警官の制服が気に入っていた五十嵐はいつも汚れには気遣っていたのだが、その時に返却された制服には血痕に加え、袖の部分に妙な傷があった。問い質すと、彼はリキ殺しを嬉々として認めた。



『小汚いゴミを処理してやったんだ。ゴミのくせに諦め悪くてさあ、あの野郎、僕と僕の大切な制服に傷を付けた。もちろん、僕に楯突いた生意気な腕には、よりをかけてお仕置きしてやったぞ。うふふ、ざまあみろ、正義の鉄槌だ』



「正義、ねえ……」



 くく、とサラギが喉を鳴らして笑う。侮蔑も多少含まれていたけれども、くだらない冗談にうっかり失笑を漏らしてしまったというような雰囲気だった。



「五十嵐さん、とおっしゃいましたか。つまり、リキさんはあなたの正義にそぐわず粛清されるべき対象だった、と。確かに、いつの時代も流れ者は淘汰される傾向にあることは否定できません。ですが、五十嵐さんの正義とは何です? 賛同者もいない正義を振り翳し、粛清とやらを施しても良いという考えをお持ちなのでしたら、私にもその権利があるということになりますよねえ」



 それを耳にした瞬間、五十嵐の呼吸が止まった。サラギの言わんとすることの意味を理解したからだ。



「仰る通り、粛清は正義の元に行われます。でもそれは、粛清という行為によって、近しい意見を持つ多数の者を守るためです。たとえ間違っていても、望む者が勝るから正当化される。ですが、あなたはどうです? 数々の粛清とやらで、誰があなたの正義に付き従いましたか?」



 サラギは五十嵐を見つめながら、山崎の腕を引き上げて立たせた。



「正義とは力だという者もいますが、それは間違いです。正義は個々に宿るものであって、どれ程の力も通用しません。力で変えられるのは所詮表面上だけ、押さえつけられた分、内部には強い反発が溜まりいずれ爆発する――だから恐怖政治は長く保たないのです。孤高を貫く、それもいいでしょう。しかし、ならば何のための粛清だったのかという話になりますよね。賛同者を得られるまで、殺戮を続けるおつもりですか? 既に賛同者以上に反発者の数の方が勝っておりますが……となると、あなたの方こそが粛清の対象となるのでは? 今がまさに、その縮図ともいうべき状況でしょう。ここにいる全員が、あなたのことを異分子だと思ってますからねえ」



 五十嵐は、何も言えなかった。



 実はこれまでにも、何度か傷害事件を起こしたことがある。


 金の力で揉み消してくれた親も、話を聞いた弁護士も、武勇伝として事件の詳細を語って聞かせてやった者達も、誰一人として『お前は正しい』とは言ってくれなかった。


 これまで、ずっとそうだった。


 同じ趣味を持つ山崎も上杉も、やはり受け容れてはくれなかった。



 見開きっ放しの五十嵐の目から、苦痛や恐怖とは別の滂沱の涙が溢れた。



 ひどく悲しかった。

 この上なく寂しかった。

 誰にも必要とされず、誰にも悼まれないまま死を迎えるのだと思うと、とてつもなく怖かった。



 小刻みに全身を震わせ泣きじゃくる五十嵐の姿に今更罪悪感が湧いたのか、サラギは軽く狼狽えながら、今度は口調を和らげて言った。



「え? 五十嵐さん、どうして泣いているんですか? 少しきつく言い過ぎましたかね? ええと、安心してください、殺したりなんかしませんよ。あなたは、法で裁かれるんです。その両手両足ではもう、誰も何も殺せないでしょうから」



 そして、背もたれのようにして背後から支えていた山崎に顔を寄せ、耳元に囁いた。




「それで……あなた方は、何故動物を殺したんです?」




 その声色は優しげでありながら、奥底に秘めた狂気が滲んでいた。

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