12.降参


「で?」



 コンビニのアルバイトから帰宅して早々、眉間に皺を寄せて七瀬ななせが短く尋ねる。


 サラギは申し訳なさそうにこちらも眉を寄せ、アンバランスに長く残した横髪を掻いて俯いた。



「…………連れて来てしまいました」



 怒りに任せて七瀬がサラギの頬を容赦なく抓り上げた瞬間、部屋の奥から歓喜の雄叫びが轟いた。



「うひゃっほぉぉう! 何コレ、超すっごぉぉい! お風呂が二つ、トイレが三つ、お部屋が四つ! 部屋数は俺ん家と同じだけど、広さも美しさも設備も何もかもが全然違うよぉぉぉ!? これが現代の高級家屋ってやつか!? そうなのか!? ひゃっはぁぁぁぁ!!」



 奇声を上げてあちこちを走り回っているのは、言わずと知れたトガイだ。今日は彼の家にお邪魔になり、帰りに送ってもらったらしいのだが、そちらのお宅も拝見したいと言われて断り切れなかったという。


 七瀬はサラギから標的を向こうに移すと、ついに訳の分からない踊りを始めたトガイの顎先目掛けてハイキックを食らわせた。



「突撃お宅訪問は済んだかな、流血ヘッドくん。満足したなら出てって。目障り且つ耳障りなので」



 打撃を受けた下顎と思い切り噛んだ舌の痛みを堪え、トガイは不躾にも程がある言い方で退出を命じる家主の姿を仰いだ。しかし、最初に会った時のように突っ掛からず、ふにゃりと頬を緩ませる。



「ナナセ、おかえりなさいニャン」

「なっ!?」



 驚きの声を上げたのは七瀬ではなく、サラギだ。即座に駆け寄り、トガイの両肩を掴んで揺さぶる。



「ちょっとトガイ! それは飼い猫である私だけに許された挨拶ですよ!? あなた、何を考えてるんですか!」


「うるせえ、言ったもん勝ちだ! ナナセ、こんな帰り道もわからなくなるアホより俺の方が賢いし若いし、可愛いと思うんだ。だから、俺もお前の猫にしてくれ」


「失礼な! 若いって、たった数ヶ月でしょうが! それに私の方が断然可愛いです! ナナセさんも出て行けと言ったでしょう!? さあ帰りなさい、今すぐ即刻速やかに!」


「嫌だ! 俺もここに住む! お前ばっかこんないいとこ住むなんてずるい! 俺も優雅な飼い猫暮らしがしたい!」


「バカを宣うのも大概になさい! あなた、あの自宅をとても気に入っていると自慢げに言ってたじゃないですか!」


「お前だって落ち着くっつってたろうが! だったらお前が住め!」



 揉み合う二人など放置して、七瀬は四十畳はあろうかというリビングと一続きになったキッチンに向かった。そしてコーヒーメーカーを立ち上げ、一応三人分の飲み物を用意する。


 その間、カウンター越しに飼い猫達が仲良く戯れる様を何とはなしに眺めた。


 親類だと聞いていたが、やはり友人に近い存在なのだろう。遠慮なく感情を剥き出して暴言を吐き喚くサラギを見るのは、初めてだった。

 そこで七瀬は今になってやっと、空気が読めない彼なりにこれまでずっと気を遣っていたのだと気付いた。




 目の前に置かれた大皿に並べ立てられた不格好な球体の品々を長々と見つめてから、トガイは強張った笑顔で尋ねた。



「あのナナセ様、こちらは何でございますか……?」


「見てわかんないの? トガイくん、やっぱり目が悪いんだね。それとも悪いのは頭の方かな?」



 小首を傾げて見上げるという可愛い仕草とは裏腹に、七瀬は抑揚ない口調で辛辣な言葉を吐きつけた。途端にトガイのこめかみが青筋立ち、辛うじて保っていた笑みも引き攣り始める。


 するとその隣からサラギが手を伸ばし、グレープフルーツ大のそれを一つ取ってトガイの前に掲げた。



「ナナセさん特製の『オニギリ』ですよ。先駆的且つ前衛的な造形美に満ち溢れているでしょう? 見惚れるのも無理はありません。お味もまた、格別でしてねえ」



 力強く握られたせいで餅のように米粒が潰れ、見た目以上に重量のある歪な塊の正体が食物だと明かされても、トガイにはとても手が出せなかった。



「オニギリって……えっと、握り飯のことだよな? 何でこんな変な色してんの……?」



 米の隙間から垂れ落ちる茶色の粘液を指差し、トガイが問う。七瀬はそれを覗き込み、少し考えてから答えた。



「これは多分、温かい内に握ったから中から溶けたチョコが出てきたんだと思う」


「こっちの赤いのは?」


「ラズベリージャムとキムチの汁かな」


「この米からトゲトゲが飛び出してる青い物体は?」


「それは星形の固形入浴剤。香りは良かったけど、肌に合わなかったから」



 トガイの全身から血の気が引く。だが、隣のサラギは手に取ったオニギリに躊躇いなく歯を立てた。



「うわあ、口の中に静電気が起こったみたいになりました! 何ですか、これ!?」


「それはパチパチキャンディかな。簡単に言ったら、食べる炭酸水みたいなもの?」


「いやはや、新食感ですねえ。こし餡との相性も抜群ですよ!」



 やけに赤い舌先で己のくちびるを軽く舐め上げ、サラギが笑う。


 彼女の飼い猫となれば、この手料理を毎日振る舞われるらしい。それを目の当たりにしたトガイは両手で顔を覆い、即座に降参の意を表明した。



「ごめんなさい……。ナナセの飼い猫になりたいなんて、もう二度と言いません。俺が間違ってました。本当にごめんなさい。どうか忘れて下さい…………」



 突然謝罪を始めたトガイに、七瀬は無表情の裏で何だかよくわからないが丸く収まって良かったと思い、サラギは笑顔の裏で何だかよくわからないが食料を横取りされなくて良かったと考え、それぞれ別々の意味で安堵した。

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