11.詰問


「何でお前がここにいるんだよ!?」



 スタジオから出たトガイは、表で待ち受けていた人物を見るや、噛み付く勢いで食って掛かった。



「オオボケの音が聞こえたので」



 サラギが例の如く飄々とした笑みで受け流す。スーツの下襟を掴み、自分より十センチ以上背の高い相手を睨み上げながらトガイは苛立ちに頬を引き攣らせた。



「何がオオボケだ! それを言うならオーボエだろ、どアホ! スタジオは完全防音になってますけれど!?」


「私の耳が良いことを忘れましたか? ついでに言わせていただくと、鼻も良いです」


「てめえ、俺が臭うって言いたいのか?」


「それは黙秘しておきます」



 どんどん目的からずれて、ただの口喧嘩となった言い合いを続ける二人に、様子を窺っていたメンバー達を代表して三浦みうらが声をかけてきた。



「トガイ、俺ら皆それぞれ予定あるからもう行くな。次の練習も来られそうなら来いよ、また連絡する。あの……それでは、失礼します」



 最後の挨拶は、サラギに向けたものだった。思わず敬語になってしまったのは、上等なスーツ姿に上品な佇まいの男が纏う貴族然とした雰囲気に流されたせいであり、また自己紹介もそこそこに退散したのは、揃いの琥珀色の瞳からトガイの親類だと判断したためだ。


 サラギは取り留めのない微笑みで、トガイは苦々しい表情で彼らを見送り、そして誰もいなくなると、二人は顔を見合わせて溜息を吐き合った。




 秋の夕焼けは薄紅の色味を落葉樹の葉にだけ残し、素早く夜の黒に溶けていった。強い風が、素肌に冷たい余韻を刻んで吹き抜けていく。


 その風の香に、サラギは嗅ぎ覚えのある成分を微かに感じ取った。だが、黙って先を行くトガイに付いていく。


 スタジオから歩くこと二時間強、到着したのは住宅密集地から離れた場所にぽつりと建つ、古い木造家屋だった。聞けば一家心中のあった訳有物件だそうで、住み着く者がいないため、格安で借りられたのだという。平屋とはいえ、家族向けに造られた間取りは一人で暮らすには充分過ぎる広さだった。


 四つある和室の内、居間として使っている八畳間にサラギを通すと、トガイは手慣れた調子で急須から茶器にお茶を注いだ。



「ボロ過ぎて雨漏り凄いわ、夜中に妙な人影うろうろするわで面倒臭いこともあるけど、楽器鳴らしても飲んで騒いでも近所から文句言われないし、気に入ってんだ。それに……こういうとこ、やっぱり落ち着くんだよな」



 勧められるがままに器を手に取り、茶葉の芳香を楽しみつつ、サラギも薄っすらと口元を緩めた。



「ええ、わかりますよ。そこはかとなく『オデン』に通じる雰囲気があるせいでしょうな」



 古い木の匂いとどこか陰鬱な空気漂う部屋を見渡し、二人はどちらともなく頷いた。市販の茶を高級品のように丁寧に味わうと、サラギは器を置き、向かい合うトガイに改めて揃いの琥珀色の目を向けた。



「ですが、私は『あちら』へは戻りませんよ。今の生活が気に入ってますのでね」


「気に入ってるのは生活じゃなくて、あの生意気なガキだろ」



 間髪入れずに返したトガイの語調には、明らかな嘲りが混じっていた。


 サラギは驚いたように大袈裟に眉を顰めてみせてから、仄白いくちびるに淡い笑みを浮かべた。



「おや、そう見えましたか? 単純なところは変わってませんねえ。では、そういうことにしておいてください。それで私を連れ帰るのを諦めてくれるなら、構いませんよ」


「ふざけてんのか、お前」



 鋭く吐き捨てると、トガイは卓袱台の上に何枚かの用紙を叩き付けるようにして置いた。


 それは、様々な新聞記事をピックアップしたコピーだった。日付こそバラバラではあったが、共通して行方不明者の捜索を報じている。


 一瞥するや、サラギの表情が消えた。心当たりがある証だ。



「隠れたいなら、少しは自重するべきだったな。こんだけ派手にやらかしといて、戻りたくないで通用するか、ボケ。お前のせいで、たまたま近くに住んでた俺まで疑われたんだぞ? いい迷惑だっつうの」



 トガイの抗議にもサラギは返事をせず、視線を用紙に落としたまま、掲載された文を隅々まで念入りに黙読し続けた。どの事件も、犯人の手掛かりは何一つ発見されていないらしい。それどころか、行方不明者が自らの意志で失踪したものとして扱われている事件の方が多かった。


 だが、そうではないことはサラギ自身が一番良く知っている。



「…………『食った』のか」



 トガイが低く漏らす。問いかけにもなっていない言葉に、サラギは微笑みで返した。いつもの曖昧なものではない、冴え冴えとした笑みは、頷くより明確に肯定を示していた。



「一つ聞いておくが…………食ったのは『タマゴ』か?」



 だが、次にトガイの口から恐る恐る吐き出された質問に対しては、サラギは静かに首を横に振った。



「いいえ。ただの屑肉です。『タマゴ狩り』はもう辞めたんですよ。あなたもよく知っているでしょう?」



 それを聞くと、トガイは大きく溜息を吐き出し肩を落とした。呆れたのではない。最も危惧していた事態には陥っていなかったと知り、安堵したのだ。



「…………だとしたら、何でこんなことしたんだ? お前、『オデン』に籠ってる間に常識すら忘れたのか? 屑でも消えりゃ騒ぎになる世の中だってのに、こんな無茶苦茶やらかしてさ。俺はてっきり『デンガク』に戻るために敢えて暴れたんだとばかり思ってたんだ。なのに、戻りたくないとか言うし……もう意味わかんないんですけど?」


「確かに少々、やり過ぎたようですな。私も静かにしているつもりだったんですが、色々とありましてね。仕方なかったのですよ」



 悪怯れた様子もなく、サラギは素直に自分の仕業だと認めた。項垂れていたトガイは途端に卓袱台に身を乗り出し、彼に詰め寄った。



「仕方ないで済む問題じゃねえだろ。俺にこの記事送って『確認しろ』って言ってきたくらいだ、まだ確信はしてないとはいえ、お前がこの辺りにいるってのは『向こう』にバレてるも同然なんだよ。取り敢えず一旦戻って、自分で話せ。何ならあの小娘も持ってけばいい。所詮は『ニシメ』だろ?」



 トガイが最後の単語を口にした瞬間、室内の空気が一気に低下した。


 サラギはトガイの胸倉を掴み、その冷却源である絶対零度の視線を突き刺しながら静かな声音で告げた。



「トガイ…………あなた、殺されたいんですか」



 切れ長の眦を台座にして輝く琥珀色の瞳には、危険な光が宿っていた。深淵の奈落の如き漆黒の瞳孔の奥から、憤怒が強い憎悪と化して込み上げては黄金に近い虹彩を満たしていく。


 トガイは久々に目の当たりにする昔馴染の怒りに打たれながら、それでもこれだけは訊かねばならないと問い質した。



「セラ…………まさかとは思うけどよ、あのナナセって娘を『オニギリ』に仕立て上げるつもりじゃねえだろうな? 違うよな? いくら何でも、それは」


「違います。ナナセさんは『そういうもの』とは一切関係ありません」



 皆まで言わせず冷然と言い放つと、サラギはトガイから手を離して立ち上がった。



「お茶をご馳走様でした。では、皆様にはそのようにお伝えください。戻りたくなれば戻ります。それまでは放っておいてください。これが私の返答です。特にリヅキには、よく言って聞かせなさい。あなた方、今も交流があるんでしょう? 『タマキ』でも一緒に演奏したそうですし……その上、彼女は私が来る直前までここにいたようですしね」



 背中越しに淡々と述べるサラギを、トガイは身動き一つできずに、ただただ呆然と見つめていた。


 そのまま振り向きもせず、サラギは出て行った。



 が――――すぐに戻って来た。



「すみません、トガイ。最寄り駅を教えていただけませんか? というか、どうやって帰ったらいいんでしょう? ここ、どこでしたっけ?」



 泣きそうな表情で訴えるサラギを見て、トガイは脱力感のあまりがっくりと頭を垂れた。方向音痴も相変わらずのようだ。

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