13.性癖
オニギリはサラギが全て食べ尽くしてしまったので、仕方なく
ついでとばかりに入浴の許可まで得た彼が最新型の浴室に狂喜乱舞しながら長湯している間に、七瀬はテレビを観て眠りかけていたサラギにそっと声をかけた。
「トガイくんに、言った?」
お気に入りの寝間着に着替えた身をソファに預けて目を閉じていたサラギは小さく頷き、蒼みがかって見える程に白い瞼を薄っすら開いた。
「ええ、きちんと自分の意志は伝えましたよ。何やらぐずぐず文句を垂れてましたが、知ったことではありません。無理矢理力づくで、というのも難しいでしょうし」
「そっか……トガイくん、どうするんだろうね」
淹れたばかりのコーヒーを手に、七瀬は定位置である彼の右手側、テレビと真向かいのソファに腰を下ろした。
「おや、私よりトガイの心配ですか。薄情な飼い主ですねえ」
わざとらしいぼやきを零すとサラギは七瀬の足元に跪き、先端にポンポンの付いたナイトキャップに包んだ頭を彼女の膝に乗せた。
本物の猫は飼い主の膝で丸くなるものだが、二人の体格差では不可能――ということで行き着いたのが、この格好である。
しかし七瀬はいまだに、この『甘える猫スタイル』を快く思っていない。飼うと決めたのだから可愛がらねばと我慢して付き合ってはいるけれども、愛情が深まるどころか気持ち悪さが勝り、最長でも十分が限界なのだ。
束の間の触れ合いを喜び、白い頬を緩ませる猫とは対照的に、七瀬は早くも込み上げてきた嫌悪感を堪えつつ、冷ややかな声を落とした。
「薄情も何も、お前に情なんか一欠片もないよ。それにトガイくんだって、じゃあ諦めるって言ってくれたわけじゃないんだよね?」
「そうですねえ、そう簡単には引き下がらないでしょう。いや、引き下がることができないのでしょうな。何せ、『デンガク』では私の居場所を既に突き止めたも同然のようですから」
「『デンガク』?」
七瀬が膝上のサラギに尋ねる。鳶色の瞳を見つめ返し、サラギは薄い傷口の裂け目のような笑みを浮かべた。
「私達が住んでいた、山の中にある建物の呼称です。その中でも、私が生活していた場所は『オデン』と呼ばれておりました」
「変な呼び名。食べ物の名前みたい」
そう呟いた瞬間、七瀬はふと『オニギリ』という単語を初めて聞いた時に、サラギがひどく狼狽えていたことを思い出した。もしかして『オニギリ』も、彼らの中では何か別の意味がある言葉として使われているのだろうか?
だが、七瀬は問わなかった。
『デンガク』と『オデン』についてはあっさり話したけれども、サラギは『オニギリ』については全く触れようとしなかった。ならば、追求すべきではない。言及しないということは、知らせる必要がない、若しくは言いたくないということなのだろう――――秘密を抱える自分と同じように。
「ナナセさん、また指噛んでますよ? 考え事ですか?」
サラギの声に、無意識に親指を噛んでいた七瀬は我に返った。こちらを仰ぎ見る琥珀色の瞳には、面白がっているようでありながら冷徹に観察しているような、相手を試して愉しむ煽動的で悪趣味な色が見て取れた。
恐らく、七瀬が『オニギリ』について何か察知したことに気付いたのだろう。そして巣に堕ちる獲物を狙う蜘蛛の如く、彼女の方から問うのを待ち構えているのだ。
「……うん、我が家の猫の変な手癖について少しね。膝で寝かせると必ず、踵の骨を掴んでくるんだよ。おっぱい大魔人のはずなのに、これも新手の性癖なのかな」
「えっ!?」
言われて初めてサラギは七瀬の踵上の骨を人差し指と親指で摘んで弄っていることに気付いて慌てて跳ね起き、手を引っ込めた。
「いつもやってました!? す、すみません……手持ち無沙汰で、つい」
「あれ、ナナセ、知らねえの? セラは昔から、超が付くほどの足フェチだぞ」
そこに丁度良いタイミングで現れた風呂上がりのトガイが、愉しげに笑いながら猫に関する新たな秘密を明かした。
「しかもただの足フェチじゃなくて、足の指だとか膝頭だとか大腿骨の角度とか、そういう足の骨の形が好きっていう、捻くれ曲がった性癖の持ち主な。ナナセの足、気に入られてるみたいから、気を付けた方がいいんじゃないかな〜? その内ペロペロされちゃうかもよ〜?」
それを聞いた七瀬は、さっと正座して両足を隠した。そして目の前にいるサラギにではなく、トガイに尋ねる。
「……おっぱい大魔人じゃなくて?」
「俺は聞いたことないけど、ナナセが言うならおっぱいも嗜むようになったんじゃね? 今時の子は発育いいし、目覚めたとしてもおかしくないもんな」
「うっわ、気持ち悪……不能で二冠の変態とか救いようないね」
「あ、セラのセラがセラしないってのは知ってんだ? そうなんだよ、勃ちもしないくせして理想ばっか高くてさ。あれは骨盤が歪んでるから駄目だとか、あれは長さが非対称だとか、あれは膝が不細工だとか、クッソ生意気に上から目線で抜かしよるんだよな」
「最悪だね」
「最低だよ」
井戸端会議の奥様のように二人が眉を顰め合うと、懸命に言い訳を考えていたサラギがついに爆発した。
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