14.道標


「何ですか、あなた方! 出会って間もないのに、随分と息が合ってません!? ……ってトガイ、それ私の寝間着の替えじゃないですか! 勝手に着ないでくれます!?」



 純白のポンポン付きナイトキャップにナイトガウン、更にニャンコスリッパというお揃いの格好をしたトガイは、掴み掛かってきたサラギにガウンを引き剥がされそうになりながらも必死に応戦した。



「置いてあったんだから別にいいだろ、減るもんじゃあるまいし! 酒が入る度にお気に入りの足の形について熱く語って、皆をドン引きさせてたお前にゃ過ぎた服だろうが! そんなに骨が好きなら、てめえも服だけじゃなくて肉も皮も脱ぎやがれ! 足骨偏執愛好家!」


「そういうあなたこそ、とんでもない変態ではありませんか! 髪好きが嫌な具合に高じて、昔は自宅に『お宝』と称して山程の毛を置いていたでしょう!? 髪の毛くらいならまだしも、何だかよくわからない部分の毛やら挙句は動物やら虫やら体毛まで! おかげで皆に『八百万遺毛地獄やおよろずいもうじごく』なんて呼ばれて、清掃を恐れるあまり夜逃げ者まで出してましたよね!」


「何だ、そのムカつく呼び名は! あの理想と浪漫溢れる館のどこが地獄だ、ふざけんな! 地獄は足への変愛が狂い咲いたてめえの頭ん中だろうが!」


「失礼な、私の脳内は整頓されてます! だから理路整然と理想を語ることができるんです! 地獄に相応しい汚宅と汚心をお持ちのあなたと違ってね! そんな家に素晴らしい呼び名を付けてやった私に感謝なさい!」


「やっぱりてめえだったか! 今日という今日はぶっ殺す!」


「望むところです! 返り討ちにしてやりますよ!」



 揉み合いながら互いを貶し詰り罵り合っていた二人だったが――そこへ不意に、透明な液体が注がれた。



「うひゃっ!」

「冷たっ!」



 身を襲った冷感に慌てて飛び退き、揃ってフローリングを転げ回る。慌てて二人が顔を上げると、水の入ったガラスのデカンタを手に立つ七瀬ななせの姿が映った。



「うるさいんだよ、どっちも変態同士だろうが。気持ち悪い」



 仮面に似た面を軽く歪め、七瀬は呆然としている二人にタオルを投げた。



「暇人のお前らと違って、私、もう寝なきゃなんないんだよね。トガイくん、いたいならまだいてもいいけど、サラギくんが寝る時には帰ってくれる? 見知らぬ人を泊めるのは、流石に抵抗あるから」



 冷水攻撃に耐え兼ねてガウンをはだけた二人の素肌には、微妙に異なってはいるものの、よく似た形状の複雑な紋様の入墨が刻まれていた。


 サラギは黒と灰、トガイの方は黒一色と色合いもやや違うが、どちらも手首から足先まで全身に模様が入っている点は同じだ。目の色といい、これも二人が親類である証なのだろう。



「ふうん、セラのことは信用してるんだ?」



 トガイが挑発的に舌なめずりする。だが、七瀬の表情は微塵も動かなかった。



「そう思うの? おめでたい頭だね」



 同じような台詞をサラギからも聞いたことを思い返し、トガイは小さく舌打ちして立ち上がった。



「大丈夫ですよ、ナナセさん」



 衣類を置きっ放したバスルームに向かおうとした彼の背を追うように、サラギがやけに静かな声で告げた。



「トガイはあなたに手出しなどできません。私が野良になって困るのは誰なのか、理解できないほどバカではないはずですからねえ」



 狂気を孕んだぞっとするような笑みが、振り向いたトガイの目を射る。


 思わず飼い主の方を伺えば、彼女はあらゆる感情が抜け落ちたガラス玉じみた瞳でサラギの放つ不気味な空気を跳ね返していた。


 それを見た刹那、トガイは、じり、と胸が粟立つのを感じた。不快感ではない。寧ろ、これは――。



「だったらサラギくんが責任持って請け負ってね。これは『貸し』だよ。元はと言えば、お前が連れて来たんだから」



 抑揚のない音声を吐くと、七瀬はデカンタをテーブルに置き、流れるような足取りで自室の方へと消えていった。流れるというより流されるがままといった、意思も実体も感じさせない幽鬼を思わせる動きだった。



「…………確かに、面白そうな奴、ではあるな」



 姿が見えなくなっても尚、彼女の後ろ姿の軌跡に視線を向け続けていたトガイが、虚ろに呟く。するとサラギは彼にそっと近付き、その耳元にくちびるを寄せ、密やかに囁いた。



「横取りはいけませんよ? 私が先に見付けた、私の『飼い主』なのですからね」


「んな無粋な真似するか。取り敢えず、お前の言い分は理解できた。それだけで良しとしておく」



 トガイは大きく溜息をついた。


 どうやら昔馴染の男は、新たな『しるべ』を見付けたらしい。その標は、これまでとはひどく毛色が違う。そのせいで多少面食らったけれども、本質は何も変わっていないようだ。


 トガイはよくよく知っている――サラギセラという男は、己の立てた標に縋ることでしか生きられないのだと。たとえその標への道程が、如何なる業苦に満ち溢れていようとも、果敢なく散る花を追う行為にも似た無益なものであろうとも。



「おや、帰るんですか? 私はまだ起きていますよ?」



 再びバスルームの方へと歩き出したトガイに、サラギは不思議そうに問いかけた。



「誰が帰るもんか。水ぶっかけられた腹いせに、もう一回風呂入るんだよ。それに、客間見た時から、あのふかふかなベッドで最高の睡眠摂りまくってやるって決めてたんだ。何が何でも決行してみせるぜ! てことで可愛い可愛い猫ちゃんは、俺の見張りを寝ずに頑張れよ? 愛しのご主人様のためにな」



 そう言って不敵な笑みを返すと、トガイは二度目の極楽タイムを楽しむべく、悠々たる歩みでバスルームへと出陣した。

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