15.画伯


 主要道路の角にある『ボブ&サム日間杉ひますぎ店』は、今夜も大盛況だった。


 支店名こそ閑古鳥の巣を連想させるが、恵まれた立地条件に加え、新商品から変わり種まで豊富な品揃えとポップや配置でセンスを凝らした店内、そして礼儀正しくも個性豊かなクルーが揃っているおかげで、辺り一番の人気店である。


 そのクルーの中でリーダーを務める筒見つつみは、夕方のピークを過ぎ客足が落ち着いた隙間に、陳列棚を整理しつつ売れ筋を再確認しながら発注数を見直す傍ら、後輩の教育に勤しんでいた。



「二人共、どお? 出来たあ?」



 菓子類の発注を終えて彼女がレジスペースに戻ると、懸命に画用紙と睨み合っていた二人のクルーがペンを握る手を止め向き直った。



「こんな感じでいいんですか? 私、美術苦手なんでメッチャ下手ですよ」



 恥ずかしそうに描いた絵を掲げ、その背後に顔を隠したのは三ヶ月程前からここでバイトを始めた女子高生、吉橋よしはし亜里沙ありさだ。茶髪で化粧も濃い目だが根は真面目で、明るく仕事が出来る筒見のようになりたいと公言し、日々頑張っている。



「ヨッシー、すごい! 下手だなんてご謙遜を〜、色使いもいいし文章も上手じゃん。この双子ウサギ超可愛い! ウチの店のマスコットキャラにしたい〜!」



 センスの良さでも尊敬している筒見に絶賛されると、吉橋はポップの影からやっと顔を出し、照れ笑いを見せた。


 彼女が先輩に命じられたのは、今週リニューアルして新発売したばかりのシュークリームのポップだった。ポップの類はいつも筒見が描いているのだが、自分だけでなく他のクルーにも携わってもらうことで、店の雰囲気を盛り上げていこうという狙いがある。


 生クリームとカスタードをイメージした二匹のウサギが手を繫ぐ可愛いイラストと女子高生らしい丸文字の謳い文句が躍るカラフルなポップは即採用することにして、筒見は問題のもう一人に視線を向けた。



「さあナナちゃん……お次は君の本気を見せてもらおうか」



 良からぬことを企む悪代官のような笑みを向けられた七瀬ななせは、しかし予想外にすんなりと作品を披露した。



「言っとくけど、私のは自信作だよ。ぶったまげるがいい」


「ぶふぉ!」



 それを一目見た瞬間、筒見は激しく吹き出し、仰け反った勢いでレジカウンター背後に設置された煙草の陳列ケースに頭を打ち付けた。


 だが、そのくらいの痛みでは笑いの発作は収まらない。筒見があまりに笑い転げるものだから、吉橋もどんなものかと覗き込む。結果、先輩と同じ運命を辿った。



「うはははは! 何だこのモンスター! B級スプラッタ映画の宣伝かい!」


「ないないない! 七瀬さん、これはないです! あはははは!」



 七瀬に任せたのは、この頃売り上げが伸び悩んでいるコンビニコーヒーのポップだったはずだ。


 それがどうして、頭に二つ棘を付けた何だかよくわからない黒い物体が口と思しきから茶色の液体を吐き『うまし』と呟く絵になる?



「…………それ、黒猫なんだけど」



 ぼそっと七瀬が補足説明をする。しかし火に油を注いだも同然で、二人は更に悶絶する羽目となった。


 腸が捩れるほど笑いに笑った筒見は、色画用紙一枚と引き換えに、親友には絵心がないということを新たに覚えた。




 午後十時前になって吉橋が退勤すると、すっかり静かになった店内で筒見と七瀬はそれぞれの仕事をしながら、恒例の如く合間合間に雑談を交わした。



「ヨッシーって、可愛いねえ。頑張り屋さんだし。あの子、ここでバイトしたお金、語学留学するために全部貯金してるんだって。偉いよね」


「おまけに絵もうまし」


「やめて、ナナちゃん……やっと収まったのに、思い出させないで……っ」



 七瀬の相槌で、筒見がぷるぷる震える。しかし思い出し笑いを炸裂させる直前で、お客様の来店を知らせるジングルが鳴った。



「いらっしゃいませ、こんばんは〜。ボブ&サムへようこそ〜」



 即座に余所行きの声と表情で挨拶をした筒見を見て、七瀬は感心の吐息を漏らした。


 どれだけ取り乱していても、お客様を前にすると筒見は『ボブ&サム日間杉店』の優秀なリーダークルーに変貌する。馴れ馴れしく口説く男性客にも言いがかりに近いクレームをつける客にも、笑顔を絶やさず上手くあしらう、まさにクルーの鑑だ。


 ところが、そんな彼女が唐突に素に戻った。



「……って何だ、アリーじゃん。こんな時間に来るなんて珍しいね」


「うん、バイト暇だったから早めに上がらせてもらった」



 筒見と言葉を交わすと、有ヶ谷ありがやはその隣に立つ七瀬に紙袋を差し出した。



「こないだはバタバタしちゃってごめんね。これ、昨日届いた『タマキ』の最新のファンクラブ会報。良かったらと思って」


「ううん、こちらこそ変なの相手させてごめんね。わざわざありがとう、アリガタヤくん」



 七瀬は会報が入った袋を受け取り、頭を下げた。そしてロッカーに置いてくると二人に言い残し、早足で裏に駆けて行った。



「およよ、バイト先まで押しかけるとは積極的ですねえ〜。押せ押せ作戦ですかぁ?」


「うるさいな、いいだろ別に。ちゃんと買い物もするし」



 筒見にからかわれ、有ヶ谷は顔を真っ赤にした。そこに七瀬が戻ってくる。


 すると筒見は、すかさず彼女に告げた。



「あ、ナナちゃん。アリーが買い物するからオススメ教えてって。これも勉強の一つってことで、お相手して差し上げて。騙して売れ残り押し付けるのも有りだよ!」



 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべて命じる先輩に、七瀬は敬礼を返した。



「筒見リーダー、了解しました。任せて下さい、今夜は廃棄ゼロという偉業を達成してみせます」


「えええ〜……何だよ、二人して。お腹壊したら看病させるからね?」


「その時はお見舞いに行くよ。また廃棄直前の弁当持って」



 こちらの冗談に返した冗談だとはわかっていたけれども、お見舞いにやって来る彼女を妄想するだけで、有ヶ谷は有頂天となった。

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