16.髭剃


 店内を巡りながらあれこれと商品の説明を受け、食料品だけでなく足りない日用品まで物色していると、あっという間に時間は過ぎ、ついには七瀬ななせと入れ替わりに深夜勤務に入るオーナーが現れた。



「お疲れ様、七瀬さん……っと、接客中だったのか。すみません、失礼しました」



 入り口からすぐの場所にある男性用化粧品のコーナーにいた七瀬に声をかけて近寄った瞬間、オーナーはその隣にしゃがむ有ヶ谷ありがやの姿を見付けて、パグ似の顔を慌てて引っ込めようとした。



「オーナー、お疲れ様です。ちょっど良かった。こちら、筒見つつみさんと共通の知り合いの方なんですけど、ひげそりの剃り心地なんてわかんないから困ってたとこで」



 七瀬の訴えを聞くと、オーナーは満面の笑みを浮かべた。


 基本的に、お世話好きで頼られ好きなのだ。嬉々として駆け寄ってくる姿は、好物を発見したパグそのものだった。



「そうだったのかあ。あ、私、オーナーの坂上さかがみと申します。筒見さんにも七瀬さんにも大変お世話になっております。ええと替刃かな? だったら手持ちの本体にもよるけれど、売れ筋はこれ、肌が弱いならこっち、切れ味を求めるなら断然これだね」



 てきぱきと商品説明されて面食らいながらも、有ヶ谷は売れ筋を選んだ。そしてそれを既に一杯になっているカゴの隙間に押し込む。


 やっと会計にやって来た有ヶ谷と七瀬を、筒見の笑顔が出迎えた。



「おお、買わせたね〜。ナナ屋よ、お主も悪じゃのう。キッヒッヒッ」


「筒見代官様程ではございませんよ、エシャシャシャシャ」



 二人は親友ならではのやり取りをすると、筒見がレジ入力した品物を食料と雑貨に仕分けして置き、七瀬はそれを手早く綺麗に袋詰めしていくという絶妙のコンビネーションを見せた。



「じゃ私、時間だから上がるよ。お疲れ様、筒見さん。アリガタヤくんも、会報と買物ありがとね」



 有ヶ谷が支払いを終えたところで制服に着替えたオーナーが出てきたので、七瀬は二人にそう告げ、退勤するためスタッフルームへと消えていった。



「アリー、何かあたしにお願いしたいことあるんじゃないの?」



 細い背中を見送っていた有ヶ谷を小突き、筒見が意味深な目を向ける。すると有ヶ谷はやや逡巡してから頷き、彼女とオーナーに頭を下げた。



「すみません、荷物少しの間預かっといてもらえませんか? 七瀬さんを送って来ますので」



 筒見はもちろん、オーナーも有ヶ谷の申し出にふくふくとした頬を綻ばせた。



「そうしてくれると僕も嬉しいよ。近くとはいえ、女の子の夜の一人歩きは心配だからね。僕からも是非お願いします」


「ナナちゃんのことだから大丈夫だって断るかもしれないけど、オーナーが言ってくれるなら奴も逃れられやしないぜ。頑張れ、アリー!」


「……何を頑張るの?」



 いつの間にか制服からパーカーに着替えて店内に戻っていた七瀬が、有ヶ谷の背後から尋ねる。


 だが尋ねてみただけで興味はないらしく、焦り狂う有ヶ谷をよそに彼女は食料品ばかりを詰めた買い物カゴをレジに置いた。



「うお、今日も大量ですな」

「食い汚い猫がいるんだもん」



 二人の会話から、彼女の家にはサラギがいるのだということを有ヶ谷は思い出した。ならば、送り狼を警戒されることはないはずだ。


 有ヶ谷は奮起し、一つ深呼吸してから七瀬に話しかけた。



「あの、七瀬さん……お家まで送ろうか? もう夜も遅いし、荷物も沢山だし、色々と危ないよ。危険が一杯、デンジャラスナイトだよ」



 緊張し過ぎて、訳のわからないことを口走ってしまったようだ。視界の端に、筒見が懸命に笑いを堪えようと俯いて肩を震わせている姿が映る。七瀬もぽかんとしてこちらを見上げていた。



「危険ってほどデンジャラスなとこに住んでるわけじゃないけど……家に来てくれるなら助かるかな。お願いして借りたグッズ、返さなきゃって思ってたとこだったし」



 拍子抜けするくらいあっさり承諾すると、七瀬はカードで支払いを済ませて有ヶ谷に目で付いてくるよう促した。


 有ヶ谷は暫し呆然としていたが、筒見に背中を叩かれて我に返り、さっさと荷物を持って出て行く彼女を追いかけた。




「……え? ここ? ここが、七瀬さんの家なの……?」



 知る人ぞ知る、辺りでも有名な高級マンションのアプローチを進む七瀬の背に、有ヶ谷は恐る恐る声をかけた。



「そうだよ。何か文句あんの?」

「……いえ、ありません」



 ホテルのような洗練されたエントランスも丁寧に挨拶をするコンシェルジュの存在も、有ヶ谷にとっては別世界同然で、空気に呑まれるばかりだった。


 家が金持ちなのかとも考えたが、それについては口に出さなかった。『知ろうとしてはならない』という筒見の助言を胸に刻んでいたからだ。


 エレベーターで最上階に到達すると、七瀬は奥突き当たりにあるフロア唯一の扉へと進んでいった。彼女の荷物を持ったまま、有ヶ谷も必死に後を追う。


 ドアを開いた七瀬に促され中に入った瞬間、有ヶ谷はその広さに圧倒されるより先に、奥の部屋から流れてくる二つの音色に耳を奪われた。


 振り向いて目で問うも、七瀬の方も心当たりがないようで肩を竦めるのみだ。


 しかし、危険なものではないと判断したのだろう。戸惑う有ヶ谷を置き去りに、七瀬は音の発信源であるリビングに向かった。

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