17.協奏


「おい、また音外したぞ。随分と腕が落ちたもんだな」


「仕方ないでしょう、もうどれくらいぶりになるやらわからないんですから」


「何してんの。てか何でいるの」



 夢中になっている二人に、七瀬ななせが尋ねる。トガイとサラギはそこで初めて彼女の帰宅に気付いたらしく、同時に驚き飛び上がった。


 有ヶ谷ありがやも、彼女の後ろからそっと顔を出して様子を窺う。


 すると、譜面と思われる用紙が散乱したグレーブラックのフローリングに、黒いスーツを着た上品な男と赤髪に迷彩柄のジャージという派手な身なりをした男という奇妙な取り合わせの二人組が、それぞれ見慣れぬ楽器を手に座り込んでいた。



「ナナセさん、おかえりなさいませニャン」

「おかえりニャン、ナナセ」



 笑顔で挨拶してから、サラギとトガイは目配せし合い、揃って土下座した。



「すみません、久々の笛に没頭するあまりお出迎えを忘れてしまいました」


「ごめんなさい、笛を届けたらすぐに帰ろうと思っていたのに長居してしまいました」


「この龍笛りゅうてき篳篥ひちりきは、トガイが私のために、知人の方にお願いして借りてきてくれたのです。昔のように協奏したいなどと、我儘を言った私が悪いのです。ですからトガイに非はありません」


「いや、元はと言えば俺ん家でやれば良かったものを、連絡先を知らないからって飛び込みで訪問して、挙句に居心地良さに甘えて居座った俺が悪いんだ。だからこいつのことは許してやってくれ」



 要するに、久しぶりに一緒にやる楽器遊びが楽しくて時間を忘れてしまった、というわけらしい。


 肩から大きく溜息をつく七瀬の隣で、しかし有ヶ谷は目を輝かせて二人にそろそろとにじり寄った。



「……ねえ、今の曲、『タマキ』の『輪恩ワオン』だよね? すごい、すごいよ……龍笛と篳篥っていったっけ? 二種の和楽器だけで演奏してるとは思えない迫力だった。ええと、そちらも『輪胞ワホウ』なのかな?」



 トガイに掴み掛かる頃には、有ヶ谷の瞳に渦巻く熱狂は最高潮に達していた。


 危機感を覚え、助けを求めようとトガイはすぐ傍にいるはずのサラギを見た。が、ファミレスの一件で懲りていた彼は、既に七瀬の背後に逃げた後だった。



「『環胞』って、確か『環』のファンの呼称、だっけ? えっと、ファンっていうのか…………好きっちゃ好き、だけど」


「そっかあ、ファンなのかあ! 俺、有ヶ谷竜樹。ファン始めてまだ三年だけど、よろしくね!」


「さ、三年……? でも『環』って結成して五年だけど、今のリーダーになって音楽の方向が固まったのってそのくらいだったから、まだってより古参の部類じゃ……」


「よく知ってるね! うわあ、嬉しいなあ。『環』って公に活動しないから知名度低くて、なかなかファンの人に出会えないんだよ〜。ライブも単独では殆どやらないから初めて見たって人ばっかりで、結局同じ面子のファンオフで愛を吐き出すくらいしか出来なくてさ。ホント寂しかったんだ」


「あ、ああ、そうなの……寂しかったの。ファンも大変なんだね……?」



 押し倒すに等しい体勢で迫りくる有ヶ谷に、トガイは引き攣り笑いで答えながら、その隙間から必死に目で救助を要請した。


 サラギはそんな彼からさっと目を逸らすと、龍笛を手に取り眺め回している七瀬に向き直った。



「プラスチックなんだ」


「初心者の練習用のものだそうです。トガイの篳篥も同じですよ」


「へえ、そういう手頃で手軽なのもあるんだね」


「吹いてみせましょうか? まだ勘を取り戻してないので、聞き苦しいところもありますが」



 七瀬は素直に頷いて、サラギに龍笛を手渡した。慣れた手付きでそれを横に構えると、サラギは軽く目を伏せ息を吹き込んだ。


 細い風の音に似た音が、背を擦るようにして響く。音色は伸びやかに舞い上がり、かと思えば高度を落とし、掠れて這いずり回る。不規則な上昇と降下を繰り返す様は、幻の存在と言われる昇竜の乱舞を彷彿とさせた。


 ――とそこに、雄々しく力強い音が割り込む。


 七瀬が振り向くと、有ヶ谷から逃れたらしいトガイが篳篥を奏でていた。


 確固たる重さで大地を踏み刻むようなトガイの篳篥に、サラギの奏でる龍笛が絡み付く。一歩間違えば不協和音となるぎりぎりの瀬戸際で、互いを挑発し翻弄し合う二つの音は、協奏というよりは闘奏と形容した方が正しい気がした。



「……お、やっと調子戻ってきたか。今のはなかなか良かったんじゃね?」


「やはり観客がいると、気分が高揚するせいでしょうかねえ」



 一曲を披露し終えた二人が、満足げに笑い合う。有ヶ谷はもう掴み掛かるどころではないようで、フローリングにへたり込んだまま陶然と目を潤ませていた。


 そんな三人――正確には二人と一匹に、七瀬は取り敢えず演奏料と資料レンタル料としてコーヒーを振る舞ってやることにした。

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