8.弁当


 何ということでしょう。

 グレープフルーツだと思っていたら、何とビックリ! 

 正体は、巨大なオニギリではありませんか!!



 ――と心の中で勝手にナレーションすると、筒見つつみは一人げらげら笑い転げた。



「どうしたんですか、筒見さん。泣いても笑ってもこれは私のものです。あげませんよ?」


「要らないって。あ〜おっかし〜、ナナちゃんの料理がここまでとは。こりゃ凄い、あたしもお手上げだわ」


「あげませんよ?」


「だから要らんっつうの」



 真剣に凄むほど大切な手持ち弁当を美味しそうに頬張る男を前に、筒見はもう一度笑みを零した。


 変人だと思っていたがそうでもないようで、話しやすい上にやはり安心感がある。テーブルに広げた料理の数々をサラギにおかずとして勧め、筒見は自らも箸を付けた。


 この前のファミレスでかなりの大食漢だと知ったので、作ってきた弁当だけで足りるか不安だったけれども、主食がこれだけあれば大丈夫だろう。


 昼食を摂りにやって来た学校近くの公園には、ちらほらと知った顔が見受けられた。しかし、東屋を占領している二人を遠巻きに見ているだけで、誰も近付こうとしない。筒見が前もって、彼氏との時間を邪魔しないでほしいと牽制しておいたからだ。


 興味を引かれた友人達がこっそり覗きに来ることが予想されたが、それこそ願ったり叶ったり。ついでに皆に広めてくれれば、いちいち自分でお知らせする手間が省ける。


 名付けて、二人の薔薇色世界は立入禁止大作戦――自分で考えておきながら、筒見はあまりのセンスのなさに失笑する気にもなれず、ひっそり却下した。



「ほう、筒見さんはお料理上手なんですね。この唐揚げなど絶品ですよ。ん? このミミズが束になったようなのは何です? それと、この内臓をぶち撒けた仔リスみたいなものは?」



 付け合わせのナポリタンと弁当用に小さめに作ったマカロニグラタンに、グロテスクな突っ込みが入る。筒見の箸を持つ手が停止した。


 前言撤回、やっぱりとんでもない変人だ。



「ご馳走様でした」



 食欲が失せた筒見の分もしっかり完食すると、サラギは手を合わせて頭を下げた。



「いいえ〜、お茶でも飲む? 粗茶ですが〜」



 筒見が力なく答え、自宅で作ってきた麦茶を魔法瓶から紙コップに注いで差し出す。サラギは笑顔で受け取った。が、すぐに驚いて手を離してしまった。



「サラギくん、大丈夫!?」


「すみません、熱いものだと思っていたら冷たかったので」



 頭を掻いて照れ笑いするサラギに、筒見は呆れた。このクソ暑い中、誰が熱い茶など振る舞うものか。



「笑ってないで脱いで、ほら! スーツに染みちゃう! 早く染み抜きしなくちゃ!」



 慌てて席を立って、サラギの肩からスーツの上着を引き剥がす。スーツの方は大した被害はなかったけれども、内側のワイシャツは胸元にかけてびっしょり濡れていた。



 だが、生地に透ける肌を目の当たりにした瞬間、筒見の顔が強張った。



「…………ああ、これですか」



 サラギはシャツのボタンを幾つか外し、ポケットから取り出したハンカチでその部分を拭いながら、苦笑いしてみせた。



 彼の胸部には、紋様のような黒と灰の入墨が刻まれていた。


 胸元だけではない。よく見れば白い生地を透かして腕から腹部、背中まで奇妙な模様が続いている。



 前屈みで覗き込んだまま凍り付いている筒見に、サラギは困ったように眉を寄せてみせた。



「不気味に見えるかもしれませんが、おかしなものではありませんよ。これは、私の一族の『印』です」


「一族の…『印』?」



 筒見が小さく繰り返す。



「ええ。当主となる後継者にのみ受け継がれる『証』とでも言いますか……一般的には財産だったり宝物だったりするようですが、私のところではこれを施すのが慣習だったのです。色が薄くなっている方はまた別物で、こちらはお守りのようなものですね」



 確かに、流行りのお洒落や威嚇目的で刺したものは勿論、志の証として彫った刺青ともまるで雰囲気が違う。全体像まで掴めないとはいえ、細部まで一針一針丁寧に描かれた柄は鬼気迫る威圧感があった。



「えっと……サラギ、殿は……名家のご子息様であらせられるの?」


「昔はそれなりでしたけれど、今はもう没落して見る影もありませんよ」



 今度は違う意味で緊張しつつ、筒見がたどたどしく尋ねると、サラギはそう答えて肩を竦めた。



「そうなんだ……何かごめん。あたし、てっきりそういうお家柄繋がりでナナちゃんと知り合ったのかと思ったんだ。ナナちゃんも、よく知らないけどお金持ちのお嬢様みたいし」



 サラギの穏やかな声を聞いている内に、筒見はつい余計なことまで口にしてしまっていた。


 同じ年の友人は高級マンションに暮らし、生活費用も全て『誰か』が賄っているという。『誰か』とは何となく親類だろうと予想していたが、そのことについて本人に問うたことはない。聞いてはならないことの一つだと、筒見も薄々わかっていたからだ。


 他者に対してガードの固い七瀬ななせのことだ、まだ知り合って間もないサラギになど話していないだろう。


 なのに、詮索するようなことをうっかり口走ってしまった。失態を悔やむと同時に、追求されたら何と誤魔化そうと焦り狂う筒見の不安を余所に、サラギはしょんぼり俯いて愚痴を零し始めた。



「ナナセさんに出会えたことは、私としても類稀なる幸運だと思っているんですけれどね……もっと仲良くしていただきたいのに、ナナセさんときたら私に全く興味を持って下さらないんですよ。この『印』を見ても素通りで、筒見さんのように聞いてもくれないんです……どうしたらいいんでしょう」



 あ〜、と気のない返事をして筒見は目を泳がせた。



 そして自分もまた、七瀬と出会って間もない頃を思い出す。


 いつも全くの無表情、加えて極端に無口。何を尋ねても『はい』か『いいえ』、何を話しかけても『そうですか』もしくは『そうですね』しか返さず、藤咲やオーナーに頼まれていたとはいえ自分には荷が重いと何度も挫けそうになった。しかし、随分と時間を要したけれども積み重ねた努力は実を結び、彼女は筒見にとってかけがえのない友達となった。


 気が付けば、午後の授業の始まる時間が迫っていた。


 筒見は少し逡巡したが、今日は悩める後輩の相談にとことん付き合ってやろうと決め、再び椅子に腰を下ろした。


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