8.会合
広い河川敷に架かる寂れた道の橋の下、伸び放題の草むらに埋もれたその場所は、彼らにとって絶好の隠れ家だ。
梅雨時になると河川の増水で危険が及ぶため、今は住まいを移動しているが、そこに長らく居を据えている
そして、何かあればここに集い、話し合いをする掟となっている。
その夜も福沢を中心に、暗闇に身を潜めるようにして数人のホームレス達が集まり、真剣な顔で会議をしていた。
しかし張り詰めた空気は、突然橋から降ってきた訪問者によって破られた。
「フクちゃん、どうもこんばんは」
「何だ、サラちゃんか。驚かせるなよ、行政の手入れかと思っただろ」
福沢が無精髭に覆われた口元を、盛大に歪める。
数メートルもの高さのある橋の上から飛び降りて参上する役人がいたら、逆に拝みたいものだ。だが今は、そんな冗談を叩く気にもなれない。
それでも、お土産だといってサラギに好物の焼酎を手渡されれば、通り名の由来となった高額紙幣似の仏頂面も幾らか和らいだ。
「いつも悪いね、仕事は上手くいってるのかい?」
「はい。紹介してくださったフクちゃんには、感謝してもしきれません。本当に良い仕事を与えていただき、ありがとうございます。フクちゃんの恩に報いるためにも、頑張りますね」
心からの謝意を込めて、サラギはぺこりと頭を下げた。対して福沢は複雑な表情をして、屈託なく見つめる瞳から目を背けた。
人手を求める会社に日雇い労働者を斡旋して謝礼を貰う、それが福沢の仕事の一つである。
仕事がないというサラギに紹介したのは、中でも過酷な労働を強いると悪名高いイベント会社だった。ところが一日限定という契約だったにも関わらず、彼は今も尚、労働量に見合わぬ賃金で働かされている。底なしの体力と抜群の運動神経を併せ持つせいで、不幸にもイベント会社に気に入られてしまったのだ。
サラギの演じる『ペン田ペン子』は、意味不明でダイナミックなパフォーマンスに加え、昨今のゆるキャラブームが相乗効果をなし、街の人々の間で人気と注目を集めているという。おかげで今や、あちこちのイベントに引っ張りだこなのだとか。
イベント会社にとってもこれは嬉しい誤算だったようで、福沢に対していつも上から目線で偉そうだったくせに、紹介を感謝する旨をわざわざ丁寧に述べ、大した額ではないが追加の謝礼金まで寄越してきた。
この掘出し物は、一体どれほど酷使されることか。単発のつもりで紹介したのに、自分への恩義のために続けているのかと思うと、福沢はひどく気が咎めた。
「ところで随分と深刻な雰囲気ですが、何かあったんですか?」
「……リキやんが警察に拘束されたんだよ」
静かに答えたのは、まだホームレス歴の浅い、ジョージと名乗る三十路過ぎの男だった。
「ここ最近、犬やら猫やらが殺される事件が頻発してるだろ? リキやん、残飯にありつけなくて雀獲って焼いてたらしいんだ。それだけなのに通報されて、連れてかれて……」
語尾に憤りが滲む。拳を握りしめ怒りに震えるジョージを、隣に座っていたやや年嵩の男、ルーが優しく宥めた。
「仕方ねえよ、何かあったら、真っ先に疑われんのは俺らみたいな持たざる者だ。疑いが晴れりゃすぐに解放されるさ」
すると、ジョージの真向かいで胡座をかいていた小柄な男が、小狡い面立ちを歪めて反論した。
「だがよルーさん、おかげで明日は我が身だぜ。リキが迂闊なことしたせいで、これからは俺らも目を付けられる。前から頭の弱い奴だとは思ってたが、ちったぁ考えて行動しろってんだ」
「てめえ! 仲間が理不尽な目に遇ってるってのに、その言い草は何だ!?」
「ジョージくん、落ち着いて。
通称、大臣なる老人が二人の間に割って入る。
年若く血気盛んなジョージに胸倉を掴まれ、目を白黒させていた田中は大臣の一睨みで更に蒼白し、しゅんと小さくなった。
この地で最も路上生活歴が長い大臣は、福沢と双璧を成し、ホームレス達を統べる幹部の一人なのだ。
「取り敢えずは暫く、下手な動きはしないことだな。食うに困っても動物に手出しはせず、皆で助け合おう。一番いいのは例の事件が解決するまで、この街を離れることだろうが……逃げるみたいで悔しいし、その間に縄張りが荒らされる可能性も高い。この街は、本当に住み良いからな」
全国を転々としてここに辿り着いたという福沢の言葉は、ひどく説得力があり重く響いた。皆、押し込められたように黙り込む。
そこに、これまで傍観に徹していたサラギが小さく零した。
「ふむ、皆様も困っていらっしゃるわけですか。となると利害は一致しますね」
「サラちゃん、何かするつもりなのかい?」
貰ったばかりの焼酎を落ち込む皆に振る舞おうと紙コップを探していた福沢が、リュックを漁る手を止め、サラギを見遣る。
「ええ、犯人を探そうと思っているんです」
飄々とした笑みを湛えたまま、サラギはさらりと告げた。
その言葉に、集っていたホームレス達が俄にどよめき始める。
「探すって、どうやってだ? 警察も血眼になってるってのに、手がかりすら発見されてないんだぞ? あんただって俺らと同じ、その日暮らしの路上生活者だろう。そんな身の上で何が出来る?」
ルーが冷静に問うと、田中もそれに賛同して大きく頷いた。
「やめとけやめとけ。無茶してリキの二の舞になったらどうする。あんた、ここに来てまだ間もないんだろ? 新入りとはいえ、大したことも出来やしねえのに余計な手出しして悪目立ちされちゃ、こっちが迷惑なんだよ」
小馬鹿にするように言い捨て、配られた焼酎を我先にとばかりに煽る田中に反感を抱いたのか、ジョージが勢い良く立ち上がった。
「俺はサラさんに協力するぜ。何もせず、じっとやり過ごすなんて耐えられねえ。リキやんみたいな被害者を出さないためにも、やれることがあるならやるべきだ。弱虫の玉無し野郎は、新聞紙でも被って隠れてるがいいさ」
ジョージの挑発的な物言いに、またも一触即発の空気となったが、サラギは構わず皆を見渡し、続けて言った。
「協力していただけるなら助かりますけれど、無理強いはしませんよ。これには、私の個人的な感情も絡んでおりますので」
「そういや利害がどうとか言ってたが……サラちゃん、俺ら以外にも誰か困ってる知り合いがいるのか?」
福沢が尋ねる。すると、サラギのくちびるがじわりと吊り上がった。
「ええ…………簡単に言うと、復讐ですよ」
薄いくちびるから、鋭く尖った犬歯とやけに赤い舌が覗く。
白い頬に深々と刻まれた彼の笑みは、ぞっとするほど冷酷で無慈悲で――殺気よりも質の悪い、底知れぬ狂気を滲ませていた。
凍り付く皆を尻目に、サラギはすぐ口角を元の位置に戻すと、福沢に向き直った。
「宜しければ、前向きに考えておいて下さい。お断りされても、皆様に迷惑をおかけすることはありませんよ。ではもう遅いですし、私は帰りますね」
いつもと同じ泰然とした表情、穏やかな口調であるにも関わらず、ひどく甘やかに感じられたのは福沢だけではないだろう。
「フクさん、どうする? サラさんはああ言ってはいたが……」
サラギが立ち去るのを見届けると、大臣は隣の福沢に恐る恐る話しかけた。不意の戦慄の名残で、福沢の短く刈り上げたこめかみからは、蒸し暑さによるものではない汗が流れ落ちていた。
「サラちゃんは、悪い奴じゃねえはずだ。でなきゃ、見ず知らずの浮浪者を助けたりなんかしねえ。少し……変わってるかもしれんが、だからこそ、俺らに出来ねえことでも出来るんじゃねえかと思うんだ」
祈りの形に固く手を組み、福沢は一言一言噛みしめるように吐き出した。
福沢が初めてサラギセラと出会ったのも、この場所だった――――ホームレス狩りに遭い、不良少年達に暴行を受けていたところを、たまたま橋の上を通りがかったサラギが見付け、彼らを撃退してくれたのだ。
福沢自身も腕っ節には自信はあったが、相手は子供とはいえ明らかにケンカ慣れしており、しかも五人という大人数ではまるで太刀打ちできず、ひたすらサンドバッグにされ続けた。
だが、その中でもサラギの強さは別格――というより出鱈目だった。
軽く肩を叩いただけで、関節が外れるものか?
蹴っただけで、人一人を河の向こう岸に吹き飛ばせるものか?
デコピンしただけで、頭蓋骨をあっさりと陥没させられるものか?
実際に目の当たりにしたのだから、それは夢でも幻でもない。現実に起こったことだ。
何度も殴られ倒れては痛い酷いと喚いていたくせに、気力を失いもせず立ち上がり続けたのも、強い意志や闘志などとは異なる、形容しがたい気味の悪さを覚えた。
かといって、彼を恐れたわけではない。
何より大切な事実は、サラギという男が自分を助けるため、身を呈して戦ってくれたことだと福沢は思っている。
だからこそ、サラギに協力しようと暗に訴えかけたのだ。たとえ、彼が何者であろうとも。
そんな思いを込めた福沢の強い眼差しに打たれると、迷っていた皆も顔を見合わせ頷き合い、満場一致で選択は決定された。
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