15.砂浜


「そっかあ、ナナちゃんもサラギくんもバーベキューは初めてなんだね。だったら尚更早めに仲直りしてくれて良かったよ。やっぱ、あたしのおまじない効果かなあ?」


「おまじない?」



 筒見つつみが悪戯っぽい笑みで漏らした単語に反応して、七瀬ななせが問い返す。すると、反対隣から焦り狂った声で異議が上がった。



「ちちち、違います! おまじないなんかじゃありません! そんなもの知りません! 私は存じません!」



 真っ赤になって首を振り全否定するサラギの姿を見て、筒見が盛大に笑う。七瀬は白けた目を向けつつ、嫌そうに尋ねた。



「何? サラギくん、やらしいことでもした? 私の愛梨あいり姫に手ぇ出したら、か弱い乙女蹴りくらいじゃ済まさないよ。鍛え直して、本気でぶちのめすから」


「は!? いやいやいや、あれのどこがか弱いんです!? 鍛え直す必要なんかありませんよ! というより私、何もしておりません! 寧ろ被害者です!」


「二人共、あたしのために争わないで。愛梨姫は皆のものよ? だから仲良くしましょ、ね?」



 筒見が華麗に締めたところで、目的地である駅名の到着を告げるアナウンスが流れた。


 電車がレールを軋ませ走る心地良い揺れに身を任せ、横並びに座席に腰掛けていた三人が顔を見合わせて立ち上がる。開いた扉からホームへと降り立つと、すぐに潮の香りが鼻孔をくすぐった。


 電車に乗って彼らがやってきたのは、近隣で一番大きな海水浴場から程近い駅だった。筒見の学校の友人達がバーベキューをするというので、サラギと七瀬も相伴に与ったのだ。


 食材全て食べ尽くしかねない大食漢のために筒見と七瀬はそれぞれ弁当を作ってきたのだが、肝心のその人は電車を降りてから頻りに口元やら胃の辺りを押さえていた。聞けば電車に乗車するのは初めてだったそうで、独特の振動に酔ったらしい。


 このままずっと食欲が減退したままならいいのだが。



「サラギくん、分かってると思うけどお前は筒見さんの恋人なんだからね? ずっと筒見さんの傍にいるのが役目ってことだけは忘れないでよ? 私は共通の友達ってことになってるから、おかしなことを口走らないよう気を付けて。この件に関する礼は、また後で考えとく」



 集合地がある砂浜手前の防砂林まで来ると、七瀬は筒見を先に行かせ、ふらふらと黒松の木に凭れかかったサラギの背中を擦りながら小声で最終確認をした。



「はい、飼い猫であることは秘密にして、飼い猫として頑張ります……。またお礼についてですが、私から幾つか提案がありますので、後程お伝えします…………」



 何やら願い事があるらしい。どうせ碌でもないことだろうと七瀬はげんなり肩を落とした。



「嫌な予感しかしないけど、考慮はする。大丈夫? 一発殴って、気合い入れてみる?」


「ああ、なるほど。苦痛で悪心を飛ばすというわけですね。確かにこのままでは埒が明きません、やってみましょう……」



 サラギの返答を受け、七瀬が構えて蹴り足を抱え込んだその時、筒見が戻ってきた。



「サラギくん、冷たいお水と薬貰ってきたよ……って、どうしたの? さっきより具合悪くなってない!?」



 救助は間一髪で間に合わず、胃の真上に強烈な中段蹴りを食らって蹲るサラギを見下ろし、七瀬は肩を竦めてみせた。



「さあ? 愛しの彼女と離れ離れになったからじゃない?」


「ええ……おかげで少し楽になりました。さあ、行きましょう」



 打撃を受けた患部を擦り擦り立ち上がると、サラギは二人に向ってくちびるを仄かに吊り上げ、愉しげとも冷ややかともつかない例の笑みを見せた。どうやら具合の悪さは、七瀬の蹴りと姫君の登場のおかげで、遠いお空に飛んでいったらしい。




 昼を過ぎて灼熱と化したビーチは、既に大盛り上がりだった。屋台や海の家やシャワー設備などがある海水浴場とはかなり離れた場所を取っているため、一般の海水浴客はおらず、まさにプライベートビーチ状態だ。


 テントの下でドリンク片手に談笑する者を始め、水着姿で波と戯れる者、ビーチバレーを楽しむ者、砂浜で思い思いの造形物を作る者――ただの野外食事会だと考えていた七瀬とサラギは、目一杯に海遊びを満喫する学生達の姿に圧倒され、揃って呆気にとられた。


 際どいビキニ姿ではしゃぎ回る娘達を指差し、切れ長の眦を一層吊り上げて何か言おうとしたサラギだったが、



「サラギくん、はしたないとかだらしないとか、そういうの今日は無しね。これが今のあたし達の文化なんだから、合わせてくれなくちゃ。いっそ、そういうお国柄だと思って、割り切って」


「そうだそうだ。それでなくても『何あいつ、このクソ暑い最中に黒スーツで来るとか頭沸いてんの? バーベキューだからって火でも熾しに来たのか、あのアホ』って目で皆に見られてるんだよ? 恋人なら、ここで気遣いを示すべきだ」



 と、筒見に宥められ、七瀬に嗜められてしまっては、渋々頷くほかなかった。



 それを確認すると、筒見は大きな声で皆に呼びかけた。



「皆ぁ、お待たせ〜! この二人が、今日参加するあたしの知り合いだよ〜!」



 すると思い思いに遊びに耽っていた連中が、わらわらと集ってくる。二十人はいるだろうか、土曜日だけあって参加率も高いようだ。



「こちらが愛梨の噂の彼氏だね! 初めましてぇ、ユキです」


「あたしはマアサ。アイとは学校でよくつるんでるよ、よろしくね!」


「リオだよ〜。わ、近くで見ると更にイケメンだなぁ〜」


「はあ、どうも……筒見さんと、お付き合いさせていただいております、サラギと申します。本日は宜しくお願いいたします……」



 肝心な部分を覆っただけの布切れのみといった出で立ちの娘達に群がられ、サラギは引き攣りかけながらも、何とか笑顔を保って挨拶を返した。



「で、こっちの子は? 俺らよりちょい下くらいかな? 可愛いね〜」


「確か愛梨のバイト先の友達なんだっけ? こんな可愛い子いるなら俺も働こうかな」



 サラギの自己紹介など無視して、見るからに軽そうな青年達が七瀬に近付く。しかし、筒見がすかさずガードした。



「コラ、ヒロもショウもおいたしないの! こちらはナナセさん。あたしはナナちゃんって呼んでる。ちょっと体が弱くて人見知りするけど超いい子だから、皆優しく接してね」



 七瀬が小さく頭を下げる。その隣からサラギの視線を感じて、筒見は二人の関係も説明せねばならないことを思い出した。



「あ、そうそう。で、ナナちゃんはサラギくんと……」


「わかった、妹なんでしょ!」



 筒見の説明を遮り、リオと名乗った小麦色の肌の娘が元気よく手を挙げる。


 本当は『サラギはバイト先の常連客で、その縁で来店の時間帯がよく合う二人と仲良くなった』という設定を用意していたのだが、そう見えるのならそれでもいいか、と筒見は肯定しようとして――――制止された。




「…………そんなわけ、ないでしょう? あなたの目は、付いてるだけの飾りですか?」




 脊髄を震撼させるような低い声が落ちる。


 驚いて筒見がそちらを見上げると、サラギが真夏の太陽すら凍て付かせるまでに冷酷な目でリオを睨み付けていた。


 彼が発する凄まじい冷気に打たれ、渦中のリオは勿論、皆一同に蒼白して押し黙る。筒見も言葉を発することはおろか、身動きすらできなくなった。



 ただ一人を除いて。



「こんな限界突破の殿堂入りしたアホに兄なんて務まるわけないよ。これは弟。で、私が姉」



 いきなり飛び出た七瀬のとんでも発言に、筒見は目を剥いた。



「気合い入れて若作ってるけど、実は私、こう見えて三十路過ぎてるの。ところが焦燥感に急き立てられながら婚活始めて、早数年。知人関連は全滅、合コン大破、会費制パーティでも毎回ぼっち、見合いするも連敗記録驀進中。ストレス発散のために生意気なリア充弟を理不尽にしばき回して、飽きたら手酌酒しながら少女漫画を読んで、夢の中だけでもいいから白馬の王子様とイチャコラしたいと願って眠りにつく毎日。そんな典型的な哀れで悲しいお局様ですが、何か?」



 淡々と嘘八百を並べ立ててから、七瀬は周りを見渡して軽く眉をひそめた。



「何で誰も突っ込まないの。もしかして、信じてないよね?」


「ぶふぁ!」



 耐え切れず筒見が噴出する。すると、皆も釣られて解凍されたように笑い出した。



「今のは冗談として、サラギくんとは……えっと、その、うん、住んでるマンションが同じで、幼馴染みたいなものなの。それでお店にも常連として来てたんだけど、筒見さんを見初めたって相談されたから私がキューピットになったんだ。言っとくけど、さっきのは本当に冗談だからね? リア充滅せよって理不尽にしばき回すってところ以外は」



 げらげらと笑い転げる皆に向けて一応の補足をし、七瀬は依然として固い表情のままのサラギの腕をべしべしと叩いてみせた。



「こいつは何ていうか、昔から理想ばっか高いんだよ。女は清く正しく美しく、そして慎ましやかでお淑やかでなきゃ駄目なんだって。真逆の系統突き進む私に、ずっと虐められてるせいかも……っていうか多分、いや間違いなくそのせいだね。だから姉妹どころか、私を女友達呼ばわりされるのも嫌がるの。だから全然気にしないで。こいつが心狭いだけだから」



 解凍し切れず、虚ろに曖昧な笑みを浮かべていたリオにもしっかりフォローも入れる。


 それから七瀬は、サラギのシャツの襟元を掴んで、目を見据えた。



「いつまで小さいことでプリプリしてんの。今日は筒見さんともっと仲良くなれるチャンスだって息巻いてたじゃん。言われた通り邪魔しないから、しっかりおっぱい揉んでおいで」



 途端にサラギは耳まで赤くなった。



「は!? 私、そんなこと言ってませんよ!?」



 慌てふためくサラギから手を離し、七瀬は軽く目を泳がせてみせた。



「あ、ごめーん。そういや内緒だったね。じゃそういうわけで皆さん、聞かなかったことにしてくださーい。特に筒見さん、忘れて揉まれてやってね?」


「ヤバイ、た、助けて……も、揉まれ、揉まれるー!」



 笑い過ぎて酸欠気味なのか、裏返った声でようよう救助要請すると筒見は悶絶しながら胸を両手で覆い隠した。



「ちょっとナナセさんに筒見さん! 何てことを言っ……え、皆さん、何故そんな目で私を見るんです? ち、違いますよ? 違いますからね!?」



 湧き上がる大爆笑の中、リオを含む皆に冷やかされ倒すサラギと、もう立ってもいられないのかお腹を抱えて砂浜をのたうち回る筒見を眺め、七瀬は一人ほっと安堵の吐息をついた。

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