16.夕凪


「ナナちゃん、すんごいフォローだったね……どんな演説より胸に響いたわ。おっぱい、だけに……っ!」



 思い出し笑いに、筒見つつみが声を震わせる。



「るさいな。適当にかました話に文句言わないでくれる?」



 七瀬ななせは無愛想に答え、持参した栄誉補助食品をまた一口齧った。



「んもー、褒めてんのに。皆も褒めてたよ。可愛いし面白いし、いい子だって。おかげでモテモテだったじゃん。盛り上げてくれて、ホントありがとね」



 筒見は心からの感謝の気持ちを込めて、雰囲気を壊さぬよう皆を気遣い、肉を焼く匂いから逃れて岩場の影でこっそり食事を摂る功労者にお礼を告げた。



 このバーベキューパーティーは、できたばかりの恋人についてあまり多くを語らない筒見に焦れて、友人達が結託し仕組んだ、いわば『お披露目会』のようなものだった。皆がこんな手の込んだ真似をしてまで、彼氏を紹介して欲しがったのも無理はない――外見も性格も問題ないどころか飛び抜けて優れているにも関わらず、筒見にはこれまで全くといっていいくらい浮いた噂がなかったのだから。


 しかし、彼氏同伴での参加を強制されたものの、筒見は友人達の目を欺く自信がなかった。送迎の間は二人きりだしそれっぽく振る舞っていればいいが、実際に観衆の前で演じるとなるとやはり勝手が違う。


 そこで七瀬が、不安を訴える筒見のために共に参戦してくれたのだ。バーベキュー最大の醍醐味である食事を楽しむこともできないだけでなく、主治医の藤咲ふじさきに思いっ切り嫌な顔をされたのに、それを強引に押し切ってまで。



 申し訳なさもあったが、それ以上にどれだけ感謝してもし足りない。



「モテてた? 好みのタイプは身長七十センチ以下体重十キロ以下の去勢済って言ったら、蜘蛛の子散らすように誰も寄ってこなくなったけど」


「ぶふっ……そ、それは理想がお高いことで……」



 道理で女と見れば誰彼構わず口説き回る連中ですら、客観的に見ても上等な部類に入るこの少女には付き纏わなかったわけだ。付き合う条件に圧縮され、男性機能を奪われては堪ったものじゃない。


 目の前に広がる海と空は、暮れなずむ夕陽に橙に染まっていた。辺りは薄闇に包まれ始め、吹き抜ける潮風も心地良い冷気を孕んでいる。



「もう少し暗くなったら花火するんだって。ナナちゃん、大丈夫? 疲れてない? 眠くない? 怪我とかしてない? 無理だけは禁物だよ」


「大丈夫。もう、それ聞くの何回目だよ」


「藤咲先生に言われてるんですぅ〜。ナナちゃんに何かあったら絶縁させるって脅されてるんだから、協力してよね」



 筒見は今後の予定と共に、七瀬を連れ出すに当たって藤咲から再三注意された項目を確認した。


 何があっても彼女に無理をさせるな、健康管理はしっかりしろ、少しでも異常が見られたら即連絡して病院へ連れて来い――――電話越しに聞いた藤咲の声は真剣で深刻で、遠回しに何度も止めるよう促してきた。



 そこそこ長い付き合いではあるが、筒見も七瀬がどんな病を患っているのか詳しくは知らない。


 知っている事実といえば肉類は魚も含めて一切口にしないこと、感情の起伏と表現に乏しく表情をうまく作れないこと、そして己の名前を呼ばれることに激しい拒絶反応を示すこと、そのくらいだ。



 恐らく過去に起因となった出来事があるのだろうが、それだけは聞いてはならないと筒見は理解していた。自分も同じだからだ。


 完治のお墨付きをいただいたとはいえ、当時のことは誰かに打ち明けるどころか、思い出したくもない。



 七瀬は食べ終えた固形食品の空き箱を畳んでバッグに仕舞うと、橙から漆黒へと飲まれていく水平線に鳶色の目を向けた。


 夕陽に同化して透ける虹彩は、純日本人のものではない。今は染めているが、地毛も淡い赤茶だと筒見は知っている。


 そして過去だけでなく、血統についてもまた、彼女が語らない限りは踏み込んではならない領域なのだとも。



「景色も堪能したし、そろそろ戻ろう。そういえばサラギくんはどうしたの? 放っといて平気?」



 ぼんやりしている筒見の隣で先に立ち上がった七瀬は、伸びをしながら彼女の恋人役を仰せつかっているはずの飼い猫について尋ねた。



「皆と一緒に夕飯食べてるよ。ナナちゃんの姿が見えなくて不安がってたから迎えに来たのに、すっかり忘れて長居しちゃった。それにしても、あの時のサラギくん…………怖かったね」



 筒見の脳裏に、サラギがリオに向けた冷たい眼差しが蘇る。記憶をなぞるように、再び戦慄が背中を走った。


 七瀬と喧嘩したと聞いた時は、彼が怒るなんて想像も出来ないと思っていた。けれど、実際目の当たりにしたその様は、これまで見てきたあらゆる怒りの表現を凌駕し――異質で異様なものだった。



「そう? 誰でも怒ったらあんなもんじゃない? 何が気に入らなかったんだか知らないけど」



 しかし七瀬は慣れているようで、平然としている。


 流石は飼い主といったところか。あの空気の中でも平気で冗談を飛ばして皆を和ませ、尚且つ怒れる本人を容易く鎮めたのだから。



 もし七瀬がいなかったらどうなっていたかと思うと、筒見はまた小さく震えた。



「ねえ……何がサラギくんの逆鱗に触れたんだろう? リオの言葉のせいだってのはわかる。ご主人様を妹扱いされたから? それとも……」


「やめときなよ」



 膝を抱えて蹲ったまま思案を巡らせる筒見を、七瀬はやや強い口調で諌めた。



「誰でも触れられたくないことはあるよ。私達は、それを普通の人より知ってる。だからやめよう。本人が言わない限りは知らん振りして、その話題には触れない。それが私達ができる精一杯の気遣い……だと思うし」



 そして語尾を緩め同意を求めると共に、手を差し伸べる。筒見は顔を上げ大きく頷くとその手を取り、立ち上がり様、華奢な友の体に抱きついた。



「ごめん、ごめんね。あたし、自分がされて嫌なことしようとしてた。人のこと陰で詮索するなんて最低だ。でも…………怖かったの。言い訳みたいだけど、本当に怖かったの。サラギくん、怖かった。あんなサラギくん、もう見たくないって思ったから……」



 自分の肩口に顔を埋め、弱々しく繰り返す筒見の髪を撫でながら、七瀬は出来る限り優しい口調で囁いた。



「怖くないよ、大丈夫。奴が何かしようとしたら、私が全力で止める。実はちょっとだけ、空手習ったことあるんだ。中学三年間部活でやった程度だけど、筋がいいって先生に勧められてフルコンの教室にも通ったくらいだから、そこそこは渡り合えると思う」



 すると筒見は顔を上げ、大きな目を真ん丸に見開いた。



「うっそ! ナナちゃん、武闘派なの!? そういえばサラギくんにすっごい強烈な蹴りをお見舞いしたことあったけど……やっぱ見えねえええ!」



 つい先刻までのしおらしさはどこへやら、しがみついたまま仰け反って笑う親友の姿に七瀬はやれやれと空を仰いだ。


 よく知る分、サラギのことで一番ショックを受けていたのは彼女だったのだろう。しかし、蟠りが解けたようで何よりだ。




 花火が始まると、サラギはロケット花火を手にした女子達に追い回され、男子達と火のついた花火を使って波打ち際でチキンレースをしたり、足元に放たれた鼠花火を避けて飛び跳ねてみたりと、子供のようにはしゃぎ回った。七瀬も線香花火のゲームに参加し、火種を落とした方が負けというルールを全て勝ち抜いて賞賛を浴びた。


 敗北者達に『パラソルで物ボケ十連発』『蛇花火で一人コント』『シャチ浮き輪で砂浜五十メートル遊泳』等という過酷な罰ゲームを課したせいで、サラギに対する態度もあり、超ドS認定されていたけれども。



 最後に用意された打ち上げ花火は大層豪華で、その時ばかりは皆が申し合わせてサラギと筒見を特等席に並んで座らせ、残った花火でライティングしながらロマンティックなムードを演出した。


 色とりどりの光に照らされ、花火を見つめる二人はこの上なく楽しげで幸せそうで、事情を知っている七瀬の目にも、本物の恋人同士のように映った。

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