17.空巣


「二人共、今日は遅くまでホントにありがとう。おまけに疲れてるのに家にまで送ってもらっちゃって……迷惑かけっ放しだね」



 申し訳なさそうに眉を下げて、筒見つつみが陽に焼けた肩を竦める。何とか終電には間に合ったものの、最寄り駅からのバスはもうなかったので、三人は取り敢えず一番近い筒見の家まで歩くことにしたのだ。



「迷惑なんかじゃないよ。楽しかった」



 筒見と違い、きっちり着込んでいた上に日焼け止めを何度も塗り直していた七瀬ななせは、燦々と浴びた強い紫外線の名残など微塵もない白い顔を筒見に向けて答えた。


 そして、この男もまた日焼けとは無縁のようだ。



「お食事と花火と景色は最高でした。しかし何ですか、あの娘達は……慎みはないわ恥じらいはないわ、姿格好言動行動全てにおいてとても女性とは思えない、寧ろ女性としてあるまじきものでした。あそこまで酷いと、最早手の施しようがありませんね。彼女達は自分の性別を理解していないのでしょうか? それとも退化し、原始に回帰するつもりなのでしょうか? 全く、嘆かわしい」



 サラギが溜めに溜めた愚痴を零す。すると七瀬は、聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でぽつりと漏らした。



「…………おっぱい見て、喜んでたくせに」



 その台詞を耳聡く聞き付け、サラギはきっと七瀬に向き直った。



「聞こえましたよ! 私は断じて喜んでませんからね! 逆に嫌悪感を抱いてましたからね!」



「嘘つけ。本当はこっそり隠れて揉み倒してきたんじゃないの? おっぱい大魔人」


「変なあだ名付けるの止めてもらえます!? そんなことしてません! 元はと言えばナナセさん、あなたがおかしなことを言ったからでしょう!?」


「おや、おっぱい大魔人が何か言ってるようだ。しかし私にはおっぱい語は通じないぞ。どうする? おっぱい大魔人」


「いい加減に女性の胸部を卑猥な表現で連呼するのはおやめなさい! あなたまで毒されてどうするんです!? 何なら私が再教育して差し上げましょうか!?」


「再教育? おっぱい育成の?」


「だから! その呼び方をやめなさいと言ってるんです! 幾ら私でも、それ以上言ったら泣きますよ!?」



 テンポ良く運ぶ二人の会話の応酬を聞きながら、筒見は笑い過ぎて既に筋肉痛になっている腹筋を更に駆使して笑った。



 おかしいのと痛いのとで涙目になる視界の中、いつもと変わらないサラギが映る。それがとてつもなく心地良くて、嬉しかった。




 筒見のアパートは、駅から徒歩十五分程の場所にある。近所にある大学に通う学生向けに建てられたらしく部屋は1DKと決して広くはないが、駅から近い立地のため交通の便が良い上に防音性が高く、騒音で困ることがないのが売りなのだとか。


 車が擦れ違うのがやっとという狭い路地に犇めくアパート群の一つ、チョコレートカラーの二階建ての建物。そこが彼女の城だった。



「送ってくれてありがと。せっかくここまで来たんだし、上がっていきなよ。ナナちゃんも疲れたでしょ? お家までまだ歩くなら、少し休んでいった方がいいよ」



 二階の端にある自室扉前まで来ると、筒見は二人を振り返り笑顔で言った。


 今日は七瀬もいることだし構わないだろうとお誘いしたのだが――鍵穴に差し込んだキーを回した瞬間、彼女の表情が強張った。



「嘘……鍵、空いてる。ちゃんと閉めたはずなのに」



 七瀬に促され、サラギは呆然とする筒見に代わり中へ入った。



「…………空き巣、でしょうか」



 サラギの呟きを聞くと、筒見は慌てて室内に飛び込んだ。



 内部は酷い惨状だった。家電製品は尽く薙ぎ倒され、ガラステーブルは割られ、クローゼットは荒らされ、チェストは中身をばら撒かれ、ベッドやソファまでもが引っ繰り返されている。キッチンも物色されたらしく、床には食材までも散らばっていた。



「窓から入ったようですね。なのに出て行く時は扉を使うとは……礼儀知らずにも程がありますな」



 シェイカーでかき混ぜられたカクテルのなり損ないのような惨憺たる状況の中、立ち尽くす家主に向けてサラギは割れた窓を指差して悠長に述べた。



「筒見さん、ほら、しっかり。何か盗られてない? 現金とか通帳とか、そういう狙われやすそうなものは無事?」



 七瀬は電話で警察を呼んでから、心ここにあらずといった状態の筒見の両肩を掴み揺さぶりながら尋ねた。



「……う、うん、そういうのは部屋に置いてないから。え、あれ? どうしたんだろ、何で」



 正気に戻ると、筒見の瞳から涙が溢れ始めた。


 震える足に任せてよろめき泣き崩れる彼女を支えつつ、七瀬は二人など眼中にないというように興味深げにあちこちを眺め回しているサラギに告げた。



「サラギくん、サイレンの音が聞こえたら先に帰って。これから警察が来て色々調べると思うけど、身分証もないお前がいるとややこしくなるかもしれないから」


「疑わしきは罰する世の中ですからね。わかりました、すぐにでも退散します」


「やだやだぁ! サラギくん、行かないで! 怖い、怖いよぉ……傍にいてよぉ…………」



 七瀬の腕の中で、筒見が駄々をこねる子供みたいに嫌々をする。七瀬は眉を寄せ、サラギに目で訴えた。



「なるほど、だからサイレンの音が聞こえたら、というわけですか。確かに、こんな物騒な場所に女性だけでは危険ですね。お巡りさんに交代するまでは、この私がお二人をお守りしましょう」


「うぇぇん、サラギくぅん……」



 サラギが近付くと、待ち構えていたように筒見は七瀬から彼の胸に飛び移った。



「おや、おかしいですな? 私の予想では、ナナセさんが飛び込んでくるはずだったのですが」


「ねーよ。黙っておっぱい押し付けられて喜んでろ、おっぱい大魔人」



 何事か喚くサラギなど無視して戸口へ出て、サイレンの音に耳を澄ませながら――七瀬は筒見を彼から引き剥がす時の労力を考え、早くも軽い疲労感に襲われた。

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