18.宿泊


 警察の現場検証と事情聴取を終え、七瀬ななせが自宅マンションに戻ったのは、深夜零時前だった。


 いつもならもう眠る時間である上に、半日出かけ通しだったので疲れているはずなのだが、あまりにも衝撃的な事件に遭遇したせいで目も頭も冴えている。これは七瀬にとって大変に幸いだった。



「何してんの、早く入りなよ」


「お、お邪魔します……」



 先に自動ドアを通過した七瀬に促され、恐る恐る筒見つつみはエントランスに足を踏み入れた。


 筒見が七瀬のマンションに来訪するのは、今回で二度目になる。しかし友人のマンションは、自分が暮らすアパートとは内装から規模まで大違いの桁違いの段違いで――――エントランスに常時控えているコンシェルジュに挨拶されただけで、筒見は圧倒され萎縮した。



 エレベーターに乗って最上階に到着すると、七瀬は突き当たりにあるこの階唯一の部屋である自宅のドアを開けた。しかし筒見は緊張に満ちた面持ちのまま佇むばかりで、なかなか中に入ろうとしない。


 五秒だけ待ってから七瀬は友の腕を引き、強引に玄関へと押し込んだ。



「ナナセさん、おかえりなさいませニャン……おや、筒見さんもご一緒ですか?」


「ただいま。筒見さんには、今日ここに泊まってもらうから。妙齢の男女が一つ屋根の下で共に過ごすなんてはしたないとか抜かすなら、そっちが出てって」


「言いませんよ。だって私、お家では猫ですし。故に恋人役は免除、ただの可愛い飼い猫です。いつも通り、伸び伸びニャンニャンさせていただきますよ」


「だったら問題ないね。お風呂上がったら明日の予定決めるから、それまでニャスレチックで遊ぶかテレビ観るかしてて」


「了解しました。うたた寝してしまっていたら、撫で撫でモフモフして起こしてください」



 筒見を間に挟んだ状態で、サラギと七瀬はさっさと話を纏めてしまった。


 筒見は俯いて二人の会話を聞いていたが――――やはり我慢し切れず、盛大に吹き出してしまった。



「あっははははは! お、おかえりなさいませニャンて! 伸び伸びニャンニャンて! てか何そのカッコ、パジャマ戦隊ホワイトかよ!? ひゃははははは! もうアカン、腹痛ええ!!」



 パイル地の白いガウンに揃いのナイトキャップ、そして猫ぐるみスリッパという姿のサラギを指差し、筒見は咳き込み舌を噛み、苦しみ悶えながらも笑い続けた。




 七瀬は午前に病院で診察の予約が入っているので、筒見もその時間に合わせて起床し、片付けのために一旦自宅に戻るという。サラギはペン子の仕事があるため、同伴はできないとのことだった。


 どちらにしろ、この男に片付けなど出来そうにないし、何より筒見が『下着だとか出しそびれたゴミだとか見られたくないものも沢山あるから』と自ら拒否した。



「じゃ明日は朝八時に起床ね。九時半にタクシー呼んで筒見さんを送ったら、私はそのまま病院に行く」


「あ〜、あたし一時間半じゃ支度終わんないかも。寝起き悪いし。一応七時に目覚ましセットしとく」



 メイクとヘアセットの時間を逆算し、筒見が申し立てる。


 今夜初めて披露された素顔の彼女を見ると、七瀬も頷くしかなかった。


 すっぴんの方があどけなくて可愛いと思うが、いつもの顔が気に入っているというなら、それを作り上げるには確かに時間がかかりそうだ。



「私もそのくらいに家を出ますから、寝過ごすようなら猫パンチで起こしましょうか?」



 すると地べたに座り、ソファに腰掛ける七瀬の膝に頭を預けていたサラギが空に向かって拳を振ってみせた。飼い主に甘える猫の格好……のつもりらしいが、繰り出されたパンチは猫らしからぬ勢いで鋭く空気を鳴らす。


 筒見は一気に蒼白し、懇切丁寧にお断りした。猫パンチと偽装表記されたヘビー級ボクシングのストレートを食らっては、起きる以前に昇天してしまう。



「それじゃ明日の予定は決まりだね。筒見さん、部屋はアホの隣になるけどいい? 気持ち悪いなら、私が使ってるマスターベッドルームと交代するよ?」



 七瀬の言葉に、筒見はまた首をぶんぶん横に振った。



「ご主人様のお部屋をお借りするなんて滅相もない! 私めのような下賎の者は、お猫様と同等でも勿体のうございます」


「何なら、私がナナセさんの部屋で寝るというのは如何でしょう? ナナセさん、愛猫を抱っこして眠るのもたまにはいいんじゃないですか?」



 嬉しそうに見上げるサラギの額に肘を叩き込み、ついでに立ち上がって彼を振り落とすと、七瀬は嫌悪感を剥き出しに吐き捨てた。



「何が抱っこだ、気持ち悪い。気色悪い。気味悪い。朝早いならとっとと寝ろ、クソ猫」



 そしてリビングと一続きになっているキッチンに向かい、カウンター越しに筒見にも声をかける。



「筒見さんも色々あって疲れたと思うし、早めに休んでね。私の部屋は少し距離がある、から、わかんないことあったらお隣のクソ猫に聞いて。じゃ、おやすみ」



 それだけ告げると、七瀬は手を振ってマスターベッドルームの方へと消えていった。


 壁に掛かる時計を見れば、時刻は既に深夜ニ時過ぎ――のんびりしている内に随分と遅くなってしまった。取り残された二人も時刻に気付くと慌ててリビングを出て、それぞれ割り振られた部屋に収まった。

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