21.恋敵


「んもう、ヤマトヤマトって……相変わらず馬バカなんだから」



 ぶつぶつ文句を言いながらも、すばるは手慣れた調子で大きなパラソルをテーブル脇にセットした。



「さあどうぞ、お姫様」

「まあどうも、女王様」



 昴の嫌味をそっくりそのまま跳ね返し、七瀬ななせはアリーナを駆け回る有ヶ谷ありがやとヤマトを眺めた。視力は良い方なので、楽しげに走る彼らの様子は離れていてもしっかり窺える。


 有ヶ谷も彼女がこちらを見ていることに気付いたようで、時折手を振ってみせた。それに七瀬が手を振り返していると――不意に、隣からか細い呟きが降ってきた。



「…………ねえ、あんた竜樹たつきの彼女なの?」


「あれ、まだいたの」



 用を済ませたら持ち場に戻ったとばかり思っていたため、テーブルに片手を付いて見下ろす昴の存在に、七瀬はここでやっと気が付いた。



「何よ、いちゃ悪い?」


「悪いよ。仕事はどうしたの。サボりならもっとこっそりやれば」


「サボってないわよ。竜樹が来るって聞いたから受付にいただけで、あたしはバイトじゃありません。オーナーの娘です」


「へえ、あのオジサン、こんなでかい娘いたんだ。あ、サイズじゃなくて態度ね」



 元々短気な質であるのに加え、このところ少し体重の増加が気になっていた昴は忽ちに頭に血が昇り、感情の赴くまま声を荒げた。



「何なのよ、あんた! 失礼なことばっか言う口はあるのに、あたしの質問には答えられないってわけ!? 少しは礼儀ってもんを弁えなさいよ!」


「そっちこそ何なんだよ、鬱陶しいな。私は馬を見に来たんであって、喧しい人間の相手をしに来たわけじゃないの。意味不明なこと喚き立てたいなら、穴でも掘ってそこで叫んでてくれるかな。目障り且つ耳障り且つ邪魔だから」



 だが、七瀬も売り言葉に買い言葉そのままに口汚く罵り返し、昴にしっしっと手であっちへ行けとジェスチャーした。


 体が弱いなら気も弱いだろうと高を括っていたけれども、どうやら相手は物言わぬ人形のような大人しげな外観を裏切り、なかなか好戦的なタイプらしい。


 ならば、と昴は作戦を変えることにした。



「あたしとしたことが、熱くなっちゃってごめんなさいね。七瀬さんだっけ? あたしは司馬しばすばる、竜樹とはもう十年近い付き合いで、あちらの親とも仲良しなの。趣味も似てるから気が合って、ずっと仲良くしてるわ」



 本当は知り合って五年くらい、有ヶ谷の両親など彼がクラブ入会をしに来た折に一度見たきりなのだが、盛っただけで嘘ではないと言い訳し、昴は不敵に微笑んでみせた。


 婉曲にじわじわ『お前などお呼びでない』と責め立て、排除しようという試みだ。



「ふうん。趣味が似てるってことは、あなたも熱狂的な『環胞ワホウ』なの?」



 七瀬が嫌そうに眉を顰めて『タマキ』のファンの呼称を口にする。すると昴はきょとんとした。



「ワホウ? 何それ?」

「知らないの?」



 七瀬は単純に聞き返しただけだ。そこに他意などない。


 しかしその言葉は、昴にとって一番の逆鱗だった。



「何よ……だったらあんたは竜樹の何を知ってるっていうの? あたしは竜樹の色んなこと知ってるわ。ぽっと出のあんたなんかより全然、竜樹のこと知ってるし想ってるんだからね!」



 溢れる感情に任せて、昴の声がクレッシェンドで高まっていく。それから彼女は七瀬に顔を寄せると、至近距離から憎々しげに睨み付けた。



「竜樹が辛い時、苦しい時、側にいたのはあたしよ。竜樹がどんな思いで絶望のどん底から這い上がったも知らないくせに、彼女気取りはやめてよね。虫酸が走る!」



 有ヶ谷と会うために綺麗にアイラインを引き、流行のゴールドベージュのアイシャドウで飾った眼差しは、恋慕と憎悪に烈火の如く燃えていた。


 だが、七瀬は彼女の内に燃え滾る炎など綺麗に跳ね返し、冷めた目を向けた。



「ごめん、意味わかんない。要するに、アリガタヤくんに関する知識披露合戦しようって言ってるの? でも私、重度の『環胞』ってことと筒見つつみさんのお隣さんってことくらいしか知らないよ。負け負け、私の負け、これでいい?」


「アリガタヤじゃなくて、アリガヤ! あんた、彼氏の名前すら覚えらんないわけ!?」



 これまで恋愛事とはからきし無縁だった七瀬には、昴の真意など理解できるはずもない。


 また相手がそれ程までに恋愛偏差値が低いと知らない昴は、彼女がわざととぼけて煽っているのだと考えて、ついに胸倉に掴み掛かった。



「昴! 何バカなことしてるんだ!」



 そこへ、有ヶ谷が慌ててアリーナから駆け付けてきた。不穏な空気を察知し、早めヤマトとの時間を切り上げたのは正解だったようだ。


 彼は二人を引き剥がすや否や、昴の頬を容赦なく平手で打った。



「昴、七瀬さんは体が弱いって最初に言ったよな? なのに暴言を吐いた挙句、乱暴するなんてどういうつもりなんだ? 俺はともかく、彼女はクラブのお客様なんだぞ!? 司馬さんに迷惑かけるような真似はするな!」



 七瀬にとっては、初めて見る有ヶ谷の怒りだった。


 昴は叩かれた頬を押さえたまま震えていたが、ついに大粒の涙を零したかと思うと何も言わず走り去ってしまった。



「……ごめんね、七瀬さん。怪我はない?」



 長い栗毛色のポニーテールを揺らし、遠退いていく昴の姿を見送っていた七瀬に、有ヶ谷は申し訳なさそうな顔を向けた。



「服を掴まれただけだから、大丈夫。私より、あの子の方がダメージ大きいと思うよ。確かに面倒臭い絡み方はされたけど……殴るほどじゃなかったんじゃないかな」



 筋力的に圧倒的優位な男が女に手を上げるなら、相応の理由が必要だ。だが七瀬には、彼女がそこまで悪いことをしたようには思えなかった。


 彼女の言葉を聞くと、有ヶ谷は項垂れ、大きく溜息を吐き出した。



「うん……七瀬さんには、やり過ぎに見えたかもしれないね。でも実はあいつ、前にも俺が連れてきた子に食ってかかって、同じように追い出したことあるんだ。それも一回じゃなくて何回も。ここらで言って聞かせなきゃまた繰り返すだろうし、そのせいでクラブの悪い噂広まったりなんかしたら、お世話になった司馬さんにも悪いから…………ってのは、ごめん、建前。七瀬さんが心配で、ついカッとなってやっちゃったんです」



 後半の本音は、声が小さくなってしまった。


 ちらりと様子を伺ってみたものの、七瀬の表情は相変わらず読めなくて――しかし彼女は大きく頷き、納得の意を示してくれた。



「そう、ならちょっとくらい強めに叱られても仕方ないね。アリガタヤくんの言う通り、客にあんなふざけた態度してたら駄目だよ。私も接客業してるけど、愛想ない代わりに礼儀にだけは気遣って失礼のないよう心掛けてるし。あのスメルだかスカルだかいう子も、これに懲りて少しは客商売に対する姿勢、見直してくれるといいね」



 勇気を出して口にした言葉は聞いていなかったのか聞いても理解してもらえなかったのか、全く触れられず、有ヶ谷は空笑いした。



 それから二人は再びヤマトの上と隣に並んで散歩していたのだが――――幾ばくも進まない内に、有ヶ谷はヤマトの足を止めた。



「やけに遅いと思ったら……サラギさん、本気であれに乗る気なの?」



 有ヶ谷の視線の方向を追って、七瀬も厩舎からアリーナへと続く道に目を向ける。その先に、漆黒の馬を連れたサラギと司馬の姿が映った。

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