6.貸出


 真昼過ぎの強烈な陽差しは、この時期になると最早凶器に近い。遮光機能付きのロールカーテンでもその威力は防ぎ切れず、熱をしっかりと主張してくる。しかし効きすぎた空調で冷えた肌には、その熱が心地良く感じられた。


 場所は、近隣で最も人気が高いカフェの窓際の席。


 七瀬ななせは友が発した信じ難い言葉に自分の耳が聴力異常を起こしたのかと思い、耳元で手を叩いてみた。ちゃんと聞こえる。反対側も試す。こちらも大丈夫だ。



「ナナちゃん、何一人でフラメンコしてんの? あたしの話、ちゃんと聞いてた?」


「あ、うん……筒見つつみさん、少し休んだ方がいいよ。私が言うのも何だけど、精神的に疲れてるんだと思う」


「…………わかる?」



 そう吐き出すと、筒見は頬杖をついていた腕ごと崩れテーブルに顔を伏してしまった。



「実は…………変な人に付き纏われてるんだよね」



 キャラメルブラウンの巻き髪の中から放たれた呟きは、七瀬にとって悪い意味で予想外だった。この頃元気がないようではあったが、それでも皆に心配かけまいと頑張っていたのだろう。


 一人で耐え続けていたけれども、不安に押し潰されそうな心情を、彼女は重い口調で語った。



 始まりは、先週の校外学習の様子が写真付きで地元紙に掲載された翌日だった。


 その写真に、筒見は他の学友と共に保育園児と仲良く戯れる姿を収められた。個々の名前は伏せられていたが学校名は記されていたため、わかるのは顔だけといっても、探そうと思えば誰にでも特定できる。


 すると次の日から、おかしな人物に後を付けられるようになった。存在を察知されたと気付くとすぐに身を隠してしまうので、相手がどんな奴なのかも分からない。意を決して問い詰めようと逆に追い掛けたこともあったが、上手く逃げられてしまい、結局どうやら男であるらしいことしか掴めなかった。



 そして、そのまま付かず離れずの尾行が続き、一週間が過ぎて今に至る。



「まあ、あたしも、そこそこ悪さしてきたし、後ろ暗いことがないって訳じゃないけどさ……せめて、何がしたいのか教えてくれなきゃ、どうにも出来ないじゃん」



 テーブルから身を起こした筒見は、そう言って自嘲的に笑った。



「好きだって言うなら付き合ってやらなくもないし、憎たらしいってんなら殴ってくれりゃいいんだし。こういう意味わかんないことされるのが一番イラつくよ。怖いのもあるけど、それより心底ムカついてる、久々に」



 零れ落ちそうな程大きな瞳を忌々しげに側め、可憐に膨らむ頬を歪める様は、七瀬が初めて見る筒見の顔だった。


 以前は彼女も、藤咲ふじさきの治療を受ける患者であったという。二人が働くコンビニオーナーの坂上さかがみは、昔は優秀な精神科医だったそうで、新人の頃から目をかけていた藤咲を通じ、働くことで改善の見込みがあると判断した患者を受け入れていた。


 つまり七瀬にとって、筒見は仕事の上でも病を克服した先駆者としても、先輩に当たるのだ。


 とはいえ、彼女の詳しい事情等聞いたことはないし、また詮索するつもりもない。


 なので七瀬は相変わらずの人型を模しただけの面でさらりと受け流し、いつもと変わらぬ無愛想な口調で問うた。



「それで、何に使うの? あれを」


「いやあ、状況が変われば相手も動くんじゃないかと思ってさ。いつも一人で出歩いてるからなめられてんのかもしれないし」



 その声で我に返った筒見はバツが悪そうに照れ笑いし、それから祈りの形に手を組み、身を乗り出してきた。



「だから……ナナちゃん、お願い! サラギくんに、暫く彼氏の振りをしてって頼んで! 学校の皆には彼氏として紹介するけど、ホント送り迎えしてくれるだけでいいから。毎日とは言わないし都合良い時だけでもいいから!」



 必死に懇願する筒見を眺め、七瀬は空を仰いだ。



 果たして、あの男が自分の言うことなど聞くだろうか。


 聞かなければ、どうやって聞かせようか。



 いや彼の場合、考えるだけ無駄だ。ならば、駄目元で当たってみるしかない。



「わかった、じゃ早速行こう。多分今日もその辺にいると思うから、捕まえて二人で頼むのが良さそうだよ。あれでも一応男だし、可愛くて愛想の良い女の子相手の方が落ちやすいんじゃないかな。私じゃ泣き落としもできないし」



 さっさと段取りを決めてしまうと、七瀬は伝票を取って立ち上がった。あまりの急展開に呆然としていた筒見も、慌てて後を追う。



 こうして二人は、カフェがある通りの付近でビラ配りのバイトをしているというサラギを探すことになった。



 時刻は午後二時。


 頂点を過ぎた太陽に熱せられた空気が、地熱と一体となって最も身を蝕む時間帯だ。灼熱の歩道から湧き上がる熱気が足元を、降り注ぐ熱射が冷房慣れした肌を、責め苛むようにじりじりと焦がす。



 そんな中、そいつはどでかい蛍光ピンクのペンギンのきぐるみを着て、楽しげに舞い踊っていた。



「いつもより多く回っております〜なの〜」


「うえええええ〜!」



 抱きかかえられた状態で一緒にぐるぐる回転させられ、水色ペンギンが哀れな悲鳴を上げる。かと思えば放り投げられては抱き留められ、強く激しい抱擁からまた回転が始まる。


 『ちょっぴりおっきめ♡』な彼女・ペン田ペン子と『ちょっぴりちゃらめ★』な彼氏・ペン山ペン太の愉快なペンギンカップルは、目立った娯楽のないこの街では、少しばかり有名な余興となっていた。平日だというのに、子連れの夫婦から夏休みに入ったばかりの学生、通りすがりの会社員まで様々な人々が輪になって二匹の個性的な愛の表現を観覧している。


 暑さと無茶振りにへろへろになった彼氏ペンギンが立つこともままならなくなると、桃色ペンギンは彼を押し倒して締めの台詞を吐いた。



「では私達は仲直りのタマゴの時間ですから、今日はもうサヨナラですなの。あ、チラシ持ってってくださいね〜なの。お歌を歌うお店で使えるお得な券が付いてるらしいですよ〜なの」



 無理矢理に女言葉を使っているけれども、明らかに男声である上、二メートル以上ある巨躯で、雌の設定は幾ら何でも厳しい。なのに何故か皆そんなペン子に熱狂し、群がっては可愛いの連呼、遠巻きからはカメラ撮影の嵐。そして握手待ちの行列に並ぶ人々が、こぞって我も我もとチラシを奪っていく。



 しかし七瀬には、どう頑張っても発泡スチロールにボアを貼り付けただけの小汚く不細工でお粗末な被り物にしか見えなかった。筒見も同じ気持ちだったようで、気味悪そうに眉間に皺を寄せている。



「これが集団催眠ってやつかな。気持ち悪。私、近付きたくない」


「そう言わずに頼むよぅ! ナナちゃんが行こうって言ったんじゃん!」


「言ったけどさ、筒見さん、本気でアレを彼氏にするの? せめて彼女にしたらどう? 私からもいつもより多く回してくれるようにお願いするよ? そしたら流石に誰も近付かないんじゃない?」


「そんなことはお願いしなくていい! あんな彼氏も彼女も要らない! てか誰も近付けなくなってもナナちゃんだけは離さないからね? 一蓮托生だからね!?」


「やだよ、私、回りたくない」


「あたしだって同じだってば!」


「お嬢さん方、良かったら一緒に踊ります?」



 仲良く言い合いをしていた二人に、陽射しを遮る影が落ちた。見上げると、ペン子が腕だか羽だかヒレだか分からない両手にチラシを器用に掴んで差し出している。



「うわ、ぶっさ」

「いえ、結構です」



 七瀬は全くの無表情で、筒見は心底嫌そうに、それぞれ素直な思いを一言ずつ告げた。

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