27.共謀
久々の乗馬を楽しんだおかげで上機嫌の内に仕事を終えると、トガイは美しい月を眺めつつ、自宅までの長い道程を鼻歌混じりにのんびりと歩いた。
しかし、住宅地の途中にあるバス停でふと足を止める。大気に入り混じる馴染み深い香りに気付いたためだ。
そこでトガイは携帯電話を確認していなかったことを思い出し、ポケットを探った。着信履歴は、ずらりと一人の名で埋め尽くされている。留守電も入っていたが、どうせ連絡が繋がらないことへの怒りのメッセージだと知れたので聞くのを止め、代わりに歩調を早めた。
住宅街を抜けて近道である舗装のない細い小路を過ぎると、荒れ放題に鬱蒼と茂る木々の中、姿を現した粗末な平屋には――予想した通り、灯りが点いていた。
「ただいま〜! 誰か来てんのかあ? 可愛くて癒し系で髪の綺麗な若いお姉ちゃんだったら嬉しいんだけどな〜?」
「その通りよ、全て当てはまってる。喜びなさい、トガイ」
ふらりと玄関口に現れ出てきたリヅキは、そう言ってブーツを脱ぐトガイの前に立ちはだかった。
「は? どこが当てはまってるんだよ。可愛くもねえし癒されねえし、寝起き丸わかりのボサボサの頭しやがって。てか家で寝るのはいいけど、俺のスウェット勝手に着るなよな。洗っても洗っても臭い抜けなくて、気分悪くなるんだよ。せめて香水変えてくれ。今のお前の香水の臭い、マジ無理なんだって。殺虫剤の方がマシにすら思えるわ」
ぶつぶつ文句を垂れながら三和土に上がろうとした瞬間、リヅキ渾身の頭突きがトガイの眉間に見事炸裂した。
「いってぇぇぇ! 何すんだよ、この暴力女! 仕事で疲れた友を労うこともできねえのか! って酒臭っ! お前、しかも飲んでるの!? おい、まさか俺の秘蔵酒に手ぇ付けてねえだろうなあ!?」
「うるさい! 飲まずにやってられるか! あんたこそ今の今まで何してたのよ!? セラと会って話したんでしょ!? どうすんのよ……あいつ、ナナセって子を『オニギリ』にするかもしれないのよ!?」
金切り声で掴み掛かるリヅキから逃れようと藻掻いていたトガイが、ぽかんとする。だがすぐに吹き出した。
「何それ? ナナセが『オニギリ』? ないない、何バカ言ってんの。だってあの娘、まず『オニギリ』になれる血筋じゃねえじゃん。特例がないわけじゃないけどさ、にしてもねーよ。リヅキ、お前あの二人が一緒にいるとこ見たか? 見たことないから、そんな風に思うんだよ。俺も最初は勘違いしかけたけどな、セラだって否定してたぜ?」
三和土に胡座をかいた状態で、トガイはけらけら笑い飛ばした。しかし、リヅキの固い表情は変わらない。彼女は真上からトガイにぐっと顔を寄せると、低い声音を落とした。
「勘違いじゃなかったとしたら? あの小娘、『ニシメ』か『ゾウニ』にしてやろうかって脅しかけたら『オニギリ』って単語を返したのよ? 何故あの娘が『オニギリ』なんて言葉を知ってるの? セラが伝えたとしか考えられないでしょう? だったら何故伝えたの? 全く無関係の人間に、セラが『オニギリ』について話すはずないじゃないの!」
リヅキが高ぶる感情のままに言葉を吐き出し終える頃には、トガイの顔からも笑みが消えていた。
確かに、サラギは否定した。そして彼が七瀬の傍にいるのは、好意故ではないのだとも悟った。
だが――――『オニギリ』に関して漏らしたというなら、話は別だ。
彼女を『オニギリ』にするしないは、この際どうでも良い。サラギは彼女に、その単語を伝えた。彼女はその単語を知ってしまった。
これが事実なら、迅速に処置しなくてはならない。
自分達の『秘密』に及ぶ重大な言葉を知った『外部の者』は、脅威でしかないのだから。
「…………そんじゃ、支度するかぁ。やっぱり、こういうのは早い方がいいもんなあ」
リヅキの横をすり抜けるようにして、トガイは口調同様、のんびり立ち上がった。
古びた廊下を行く後ろ姿を見送りながら、リヅキも肉感的なくちびるを笑みの形に吊り上げた。
「そうね、早いに越したことはないわ。今夜、片付けてしまいましょう」
裸電球が一つぶら下がるだけの薄暗い空間に響いた声は、此処に住まうという霊の類すら退散する程におどろおどろしく、ひどく陰惨だった。
十一月も間近に迫ると、真昼の陽射しの下でも肌寒さを覚えるようになった。陽が落ちれば冷気は殊更に際立ち、頬を切る風は疼痛すら伴う。
アルバイトを終えて職場であるコンビニエンスストアから外に出た途端、全身に吹き付ける秋風の洗礼を受けた
「寒くなったね」
隣から彼女を見下ろしていた
「そうだね。
出入り口に一番近いレジから二人を見送っていた筒見は、友人の的外れな警告にけらけら笑った。
「あたしん家はチョモランマか。だったら隣に住んでるアリーだってヤバいじゃん。ナナちゃん家から出る時は、帰りに雪山装備用意してあげなきゃだよ」
「家にそんなものないよ。あ、だったらぬくぬく猫ちゃん貸してあげる」
「要りません。あんなの持ってくくらいなら、大人しく凍死します」
「うっわ、アリーも言うようになったね〜。さ、二人共、行った行った。いつまでも扉開けたまんまいられたら、それこそ店内で凍死者出ちゃうよ」
筒見に促されると七瀬と有ヶ谷は最後に揃って手を振り、自動ドアから離れて晩秋の夜道へと踏み出した。
隣り合って歩く二人は、本物の恋人同士のように見えて――筒見は嬉しい反面、どこか燻る思いが胸に蟠るのを感じて溜息をついた。
脳裏に過ったのは、大きな猫。
彼が有ヶ谷の恋を応援していると聞かされてから、この靄めいた気持ちが晴れない。あの人は何を考えているのだろう、あの人は何のために七瀬の傍にいるのだろう――――そのことばかりが筒見の頭を占めていた。
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