11.捕獲


「私、こんなこと頼んでない」


「頼まれてませんからね」


「じゃあ、やるな」


「わかりました、では偶然通りかかったということにしましょう」



 七瀬ななせが勤務を終えて外に出ると、件の人物は店の外で待ち構えていた。


 てっきり筒見つつみを護衛するよう頼まれたものだと思っていたら、違うと言う。曰く『ワンちゃんみたいに愛するご主人様をお迎えにきた賢い猫なんだニャン』とのことだ。



「筒見さんだけでなくナナセさんもこんな夜に一人歩きは危険ですよ。何の装備もなしに、辻斬りにでも遭ったらどうするんです? ほら、あの角のところなんていかにも怪しいですね……灯りが行き届かず死角になってますし、身を窶すには最適ですよ」


「あっそ」



 尤もらしく理由をつけてはいたが、昨日レンタルして観た『全世界の飼い主が泣いた! 種族の枠を超え誰より主を愛した犬が紡ぐ、感動の物語』とかいうキャッチフレーズの映画に影響されての行動だろう。


 七瀬はうんざりした気持ちを溜息と共に吐き出した。


 隣を歩くサラギは、そんな主とは真逆に初めてペットらしいことができたという満足感からか、ひどく上機嫌だ。その横顔を見上げて、七瀬は少し気になっていたことを尋ねてみた。



「ねえサラギくん、筒見さんと一緒にいると楽しい?」


「何ですか、突然。筒見さんから苦情でも来ましたか?」


「ううん、寧ろ褒めてた。筒見さんが楽しそうだから、サラギくんも楽しいのかと思って」



 するとサラギの口元に、淡い微笑が宿る。褒められたことを喜ぶというよりは、失笑に近い呆れたような笑みだった。



「おかしなことをおっしゃいますねえ。ここに来てからは楽しくないことなんて何一つありませんよ? 何をしていても楽しいです」



 全く捉えどころのない答えに、七瀬は閉口した。


 自分と違い、筒見に対しては随分と良質な猫を被っているようなので、彼女との時間を特別に思っているのではないかと期待したのだ。それなら安心して延長を頼めると考えたのに、とんだ見込み違いだったらしい。


 ならば、また相応の見返りを要求されるだろう。


 前回は彼が口にした質の悪い冗談を水に流すということで成立したけれども、次は何を求められるやら。前もってこちらで幾つか案を練り、先回りして提示した上で候補から選んでもらう方が良さそうだ。


 とはいえ、七瀬にはサラギの欲するものなど皆目見当もつかなかった。欲するものどころか、彼の本心すら一度も読めたことがないのだ。


 もし彼が筒見を特別視しているとしても、男性不信気味の彼女を気遣い意図的に隠しているのだとしたら、人の気持ちに疎いと自覚している七瀬には推し量る術もなかった。



「それ、ナナセさんの考える時の癖ですか? 可愛いですけれど、もうお止めなさい。指がなくなってしまいますよ?」



 言われて初めて、七瀬は親指の爪を噛み締めていることに気付いた。知らぬ間に強く歯を立てていたようで、爪と肉の隙間から血が滲んでいる。


 口腔内に薄く広がる鉄錆の香りを認識した瞬間、七瀬はその場から駆け出し、辻斬りが潜んでいそうだと指摘された薄暗い角の影に飛び込むと、激しく嘔吐した。


 碌に食べていなかったせいで胃液ばかりが喉を灼いて逆流する。それでも胃の痙攣は収まらず、彼女は内臓を搾り出すようにして吐き続けた。



「…………ナナセさん、大丈夫ですか?」



 吐き気が収まった頃を見計らい、サラギが七瀬が食材を買い込んだコンビニ袋からミネラルウォーターを取り出し差し出してきた。壁に手を付き、浅く早い呼吸を繰り返していた七瀬は震える手でそれを受け取り、何度も口を濯いだ。



「肉類だけでなく、血も駄目なんですねえ……これでは一緒に焼肉店になど出かけられませんな。こっそり辛子でも塗っておきましょうか?」



 愉しげに目を細め、サラギが肩を抱き起こす。七瀬は残った水をその顔面にぶち撒け、ついでに空になったペットボトルを投げ付けた。



「やるなら辛子じゃなくて山葵にして。その方が刺激が強いから」



 そう言い放つと、彼女はサラギを置き去りに背を向けて先に行ってしまった。



 サラギは残された液状の吐瀉物に視線を落とし、その内容から『死なない程度に必要最低限の量だけ食べておけばいい』という彼女の食に対する理念を再確認すると、肩を竦めた。


 そしてちらりと後方に目をやり、薄く笑ってから主の後を追った。




「何なの、何処行くつもりなの。昨日観た映画の犬の真似してお散歩? サラギくんは猫だから、お散歩に飼い主は付き添わなくていいんだよ? それともまさか、私を迎えに来たことまで貸しだとか考えて、お返しに付き合わせてるんじゃないよね?」


「いいえ。これは私からあなたへの『借り』です。後程何なりと言うことを聞きますので、もう暫く黙ってご同行ください」



 二人が歩いているのは、彼らの自宅がある住宅街とは正反対の主要駅方面だった。


 サラギが寄り道をしたいと言い出したので渋々付き合ったのだけれども、七瀬のバイト先を出てから既に一時間経過している。こんな時間に営業している店なんて、駅周辺に展開する繁華街くらいだ。しかしそこに向かうにも、ここから更に徒歩で一時間はかかる。


 寄り道とはその言葉通り、いつもと違う道を歩き回りたいという意味だったのだろうか。サラギは目的地については何も言わず、七瀬の腕を掴んだまま、店仕舞いした商店が並ぶ静まり返ったアーケードをひたすら突き進むのみだ。


 黙れと言われたので口を噤んでいた七瀬だったが、ゴーストタウンじみた寂れた通りを半分も過ぎたところで堪り兼ね、ついにうんざりとした声で訴えた。



「ねえサラギくん……私、もう疲れたんだけど」


「全く困った姫ですねえ。我慢できないのなら仕方ない、少し休みましょうか」



 口調同様、やけに艶然とした笑みを返すと、サラギは七瀬を業者が店舗への出入りに使うと思われる細い路地に引っ張り込んだ。


 そして七瀬が不満や疑問の声を上げる間もなく、身を翻して表に出たかと思えば――――マスクと帽子を着用した、小柄な人物を捕獲して戻ってきた。



「いらっしゃいませ、出刃亀さん。二股の決定的瞬間を押さえ損ねましたねえ……さぞや残念でしょう。ですが私、どちらかと言えば一途なのですよ。さて、本命はどちらだと思います?」

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