19.弔慰


 廃れ寂れた暗い公園を抜け、朽ちた煉瓦が織り成す遊歩道に入ると、長い間隔を置いてぽつりぽつりと佇む背の高い外灯の光を頼りに、二人は目的地へと進んだ。



「それにしても暗いし薄気味悪いし、とても女の子が一人歩きするような場所じゃないと思うんだがねえ。こんなところに、何故一人で来たんだい? 散歩するにしても、もっとマシなところがあるだろう」



 訝しむ東條とうじょうに、七瀬ななせは面倒臭そうに説明した。



「子猫がいたんだ。公園の前で見付けて、追いかけていったらここに住んでるみたいだったから、餌あげてた。全然懐いてくれなかったし、生きてる間は触らせてもくれなかったよ」


「生きてる間は……ということは、死んだのかね?」


「うん、殺されてた。それからも、何となく……足が向いて」



 詳細については言い淀んだ七瀬だったが、東條はそのことより、別の事実に気を取られていた。



「……殺されていた? ここで? 君、通報はしたのか? 死体は? どんな状態だったんだ?」



 顔色を変えて食って掛かる東條を柳に風と受け流し、七瀬は平然と答えた。



「通報はしてない。野良猫だったし、通報したところでどうせ野犬か烏の仕業だろうって聞き流されるだけでしょ。子猫は……首だけになってたよ。腕っぽいのを見たってとこで」



 それを聞き、東條はぐっと奥歯を噛み締めて込み上げる感情を抑えた。


 恐らく、警察は七瀬の言う通りの対応をしただろう。飼い猫ならまだしも、野良だ。捜査が後回しにされるならまだいい方で、適当な理由を付けて放置されたに違いない。


 しかし、それでももっと早くに知らせてくれたら、と歯痒く思わずにはいられなかった。彼女が本当に被害者の腕を目撃したというなら、ここに犯人が潜んでいた可能性は高いのだ。


 四つの外灯を過ぎて五番目の外灯が見え始めると、七瀬はそれを指差し、東條に告げた。



「あそこから雑木林に入ってすぐだよ。所長さん、犯人がいたらよろしくね」



 東條は、力強く頷いた。


 そして外灯の真下に自転車を停めると、彼女が導く後に付いて、湿り気を帯びた土の大地に踏み込んだ。




 元々、この雑木林は、手前にある公園と共に遊具等を設置して、小規模な自然公園として整備する予定だったそうだ。しかし、予算不足のために真ん中に遊歩道を通すだけとなり、今では訪れる者が少ないのをいいことに、手入れも疎かな状態なのだと東條は明かした。


 なるほど、公園と名が付くくせにまともな設備がないのは、そういった理由らしい。


 すると、黙って話を聞きながら、生い茂る葉の重みで枝を垂れる木々の間を進んでいた七瀬の足が止まった。それからゆっくりと、背後にいる東條の方を向く。



「ねえ、所長さんは、色んな犯罪者を見てきたんだよね? 今回の犯人は、どんな人だと思う? 何が、目的なんだと思う?」



 初めて彼女の方から投げかけられた質問に、東條は小さく息を飲み、呻くように洩らした。



「……七瀬さん、君、もしかして他にも何か、見たのか?」



 七瀬は答えの代わりに、前方を指差した。



「あそこの三叉になってる木の下。行って、見てきて。私が見たものが、まだあるのかどうか」



 東條は仕方なく言葉を飲み込み、従った。懐中電灯を片手に、ギリシア文字のプシーの形に幹を分かった歪な樹木の周辺を調べる。


 異変は、すぐに見付かった。



「…………七瀬さん、ちょっと来てくれ!」



 数メートル離れたところで見守っていた七瀬は慌てて駆け寄り、懐中電灯で照らされた木の根本の部分を覗き込んだ。



「これ……君が、やったのか?」



 東條が低く尋ねる。七瀬は、首を横に振るだけで精一杯だった。



 ライトの光の先には、夥しい数の様々な種類の猫缶が円を描いて積み上げられていた。


 その中心に、夜目にも白く映る程に丹念に磨き上げられた、小さな動物の頭蓋骨が鎮座している。


 恐らく、いや、間違いなくあの黒い子猫のものだろう。


 頭蓋骨を飾る四つ葉のクローバーで編んだ王冠を見ずとも、七瀬にはこれが誰の仕業なのか理解できた。



「何で……こんなことを」



 か細く零れた呟きに、東條が鋭い眼差しを向ける。



「普通ならば何故だと理由に疑問を持つより、これは一体何だという根本的な疑問が出るものではないかな? 七瀬さん……君はやはり、他にも何か知っているようだね」


「…………言ったところで信じないくせに」



 答えた七瀬の声には、嘲り以上に投げやりな諦めが滲んでいた。



「私だって、あんなもの見たくて見たんじゃない。最初からあんた達警察がしっかりしてれば、こんなことにはならなかった。遊歩道までパトロールしときながら、何で気付かなかったの? ただ運動がてらにチャリ漕いでるだけの、筋肉馬鹿ばっかりなの?」



 言い返した言葉はひどいやつあたりだったが、東條は怒ったりせず、しかし、怪訝そうに太い眉を寄せた。



「君の言うことは最もだ。けれど、この辺りはパトロールルートに指定していなかった。確かにこんな怪しげな場所があると知りながら、見回りを怠った我々にも責任がある。だがそれは街中の住民の安全を第一に考えたからであって……」


「何言ってるの? 私、ここでパトロール中の警官に会ったことあるよ? やる気なさそうな、若い……」



 七瀬が遭遇した警官の容貌を思い出しながら伝えようとしたその時、背後から何者かによって、口と体を押さえ込まれた。同時に東條もまた、布袋のようなものを頭に被せられる。


 そのまま巻き付く腕に喉を絞め上げられた東條は、それでも必死に抵抗した。手にしていた懐中電灯の光が、それに合わせて激しく踊り、辺りの景色が目まぐるしく明滅する。


 東條の暴れ藻掻く手足がぶつかり、供えられていた猫缶の山が雪崩のように崩れた。相手の大きな体に覆われるようにして強く拘束されていた七瀬に確認できたのは、その音だけだった。


 やがて東條の四肢は動きを止め、重力のままに落ちた。


 完全に意識を失ったことを念入りに確認すると、その人物は七瀬の元に近付いてきた。



 近付くにつれ彼の姿が明らかになり、ついに相手が何者であるか理解した瞬間、七瀬は目を見開いた。



「こんばんは、お嬢さん。お騒がせしてすみません。けれど、どうしても所長にだけは先を越されたくなくて」



 申し訳なさそうに告げた男が、隆々たる身に纏っていたのは――――東條と同じ、警察の制服だった。

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