30.擬態
どのサイトでもトップはやはり、例の小動物虐殺事件及びホームレス惨殺事件の被疑者確保の記事が躍っている。
あの後、
目撃者である彼女の元には、警官や刑事達が入れ替わり立ち代わりやって来た。
何度も何度も執拗に事情を聞く彼ら全員に、七瀬は同じことを話した。
現場を五十嵐に目撃され、脅迫されていたこと。
五十嵐自身も、動物の殺戮に手を染めていたこと。
彼がリキを殺したこと。
五十嵐から足がつくのを恐れた二人が、重要な証拠の在処を知る七瀬を脅したこと。
小動物虐殺事件の犯人は三人であったけれども、内実は二人と一人であり、最初から最後まで彼らは相容れなかったこと。
発狂して親すら識別できなくなったという五十嵐と行方不明の二人の巡査に代わり、七瀬は彼らのしたことをきっちりと伝えた。
精神的な病を患う七瀬の証言を、警察がどれ程参考にしたかは定かではない。だがメディアでは、上杉と山崎の二人は五十嵐に壮絶なリンチを加えた時に思わぬ反撃を受けたらしく、大怪我を負った状態でいまだに逃走中と報じられている。
五十嵐の体から検出された硝煙反応、二丁の拳銃に装填された銃弾分ぴったりの空薬莢、そして二人のものと思われる大量の血痕。凄まじい力で、四肢を砕かれた被疑者。これらを結び付けるなら、そう結論づける他ないだろう。
約束通り、七瀬はサラギのことだけは何も言わなかった。
七瀬だけでなく東條も、だ。
被せられた布袋を取ると、東條は既に意識を取り戻していた。銃声で目覚めたという。多少の距離があったとはいえ、現場にもう一人いた人物の存在に気付かなかったはずはない。
しかし、彼は七瀬に告げたのだ。
『守ると言っておきながら何もできず、本当にすまなかった。それどころか傍にいたくせに、彼らの悪行を微塵も察知できなかった……何と詫びればいいのかわからない。だがまだ、君のためにやれることはある』
東條の言うやれることとは、警官としての良心を痛めながら真相を黙殺し、もう二度と戻らない二人を探し待ち続ける人々を見守ることなのだろう。
もしかしたら、彼はいまだにあの男を七瀬の恋人だと思い込んでいるのかもしれない。だとすれば、甚だ心外だ。
ニュース画面を閉じてコーヒーでも淹れようと七瀬が立ち上がると、謀ったかのようにインターフォンが鳴った。
『失礼いたします。私、
液晶画面に身分証を提示し、達磨に似た雄々しい強面を覗かせている相手は、紛れもなく七瀬の知る東條所長だ。
あまりのタイミングの良さに、七瀬はおいおい、とうんざり空を仰いだ。
「合ってますよ、こないだはどうもお世話になりました。で、何ですか。今、友達が来ているので、事情聴取も見舞いも受けられません。日を改めてください」
さっくり言い切ると、東條はモニターの向こうで太い眉を困ったように歪め、途端に口調を弱めた。
『同名の方かとも思いましたが、やっぱり七瀬さんでしたか。いえ、事情聴取でも見舞いでもないんですが……ちょっと確認していただきたくて。あの、降りてきてもらえませんかね? どうにも困ったことになってるんですよ……』
何だか、とてつもなく嫌な予感がした。
七瀬はすぐ行くと告げ、筒見に向き直った。
が、リビングを見渡しても姿がない。トイレかと思った矢先に、玄関から元気の良い大きな声が響いた。
「ナナちゃん、ほら早く! ついでに今晩の夕飯の買物行こ。バイト行く前に、あたしが栄養あるもの作ったげる!」
既に靴を履いて待機している筒見に、できれば部屋で待っていてほしいとも言えず、七瀬は仕方なく彼女を伴い、階下で待つ東條の元へと向かった。
エレベーターに乗りホールへ降り立つと、エントランスのガラス越しに、風除室から奥へと続くアプローチの先で近隣住民らしき人々が幾人か集っている様子が見えた。自動ドアを抜け、緩くカーブを描く歩行者用スロープを早足で進み、その場に近付く。
皆の視線は、出入口両端に設置された外灯の片側に集まっているようだ。揃って一様に、困惑した表情を浮かべている。
到着するまでもなく、七瀬の中の嫌な予感は確信に変わっていた。
その中にいたベテランのマンションコンシェルジュが七瀬の姿を認め、渋い顔で腕組みし先頭に立っている東條を促した。
「あ、七瀬さん。来客中にお呼び立てして申し訳な……」
「ナナセさんがいらっしゃったんですか? っといけない、にゃあん、にゃにゃにゃあ〜ん」
事情を説明しようとこちらに踏み出しかけた東條を遮るように、不気味としか形容できない擬音が発せられた。
それが聞き覚えのある滑らかな低い声だと認識すると、七瀬は思わず駆け出した。
そして、ついに――――皆が注目する先にあるものと対峙した。
「にゃ、にゃにゃにゃにゃ〜ん、にゃにゃっにゃにゃにゃにゃにゃあん」
少し遅れて追い付いた筒見も、それを見るや、唖然として七瀬の隣で共に固まった。
真昼の高級住宅街のど真ん中で、馬鹿でかい段ボールから女物の猫耳パーカーのフードを被って首を出し、猫真似で話す男。
不審者と見做され通報されて当然だ。
「ずっとこんな調子でね。懸命に説得したら、やっと人間語を話してくれて……彼が言うには、七瀬さんに拾ってもらうんだと。七瀬さんが来るまでは、梃子でも動かないって聞かないものだから」
無表情で立ち尽くす七瀬に、東條が彼女を呼ぶに至った経緯を語った。
七瀬は静かに息を吐いて一歩下がり、そこから踏み込み様、男の即頭部目掛けて鋭い蹴りを放った。
ガゴギ、という鳥肌の立つような痛々しい音が響く。
首が折れようが頭蓋が砕けようが、知ったことではない。
この男にだけは、手加減も手心も不要なのだ。
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