19.到着


 澄み渡る高い空は清々しく、程良く冷えた風と柔らかな陽射しが心地好く肌を包む。天高く馬肥ゆる秋という言葉がよく似合う、素晴らしい秋晴れだった。


 待ち合わせの駅に集合した三人は軽く挨拶を交わすと、すぐに改札を抜けて電車に乗り、移動を開始した。



「サラギさん、ジャージになると雰囲気変わるなあ。いつもは上品でカッコイイけど、今日はスタイリッシュな感じでカッコイイね」



 見慣れたフォーマルスーツから一転、ブラックのセットアップという姿のサラギに、有ヶ谷ありがやは隣から笑顔で話しかけた。『飼い主を落としたいなら、まず飼い猫の懐柔を』という筒見のアドバイスに従ってみたのだ。



「私は格好良くなんてありません。可愛いです。可愛い猫さんです。可愛すぎて、七瀬さんを困らせてるくらいです。ああ、お馬さん、楽しみですねえ」



 しかし有ヶ谷の精一杯の褒め言葉は、恒例のとんちんかん節で跳ね返されてしまった。


 今日のサラギは上機嫌な分、余計に人の話を聞かなくなっているらしい。笑顔ではしゃぐ彼を挟んで、有ヶ谷の反対隣に座った七瀬ななせは、早くも無表情、無言、無視という無の三連コンボで放置を決め込んでいた。


 ところが、電車が動き出すとサラギはすぐにぐったりして静かになった。聞けば、乗り物があまり得意でないという。


 こんな調子で、乗馬などできるのだろうか?


 七瀬と一緒になって背中を擦ったり声をかけたりして電車酔いに苦しむサラギを介抱しながら、有ヶ谷は早くも不安に胸が曇るのを感じた。


 だが、それでも七瀬と二日連続で会えたのだ。これを幸せと呼ばずして何と呼ぶ。おまけに。



「アリガヤくん、乗馬なんて趣味があったんだね。私、馬を生で見るのも初めてだよ」



 初めて間違わずに名前を呼んでもらえたのだ。といっても十回に一度の頻度だが、七瀬が自分を少し受け入れてくれた気がして、有ヶ谷は実のところサラギ以上に浮かれていた。



 電車を乗り継ぎバスに乗り換え、出発から二時間以上かけて到着したのは、雑木林の中にある辺鄙な停留所だった。



「この道を真っ直ぐ行ったところだよ」



 有ヶ谷が道向こうを指差し、もう少し歩かねばならない旨を伝えようとしたところ、サラギが割り込んできた。



「ああ、あの木の屋根の建物ですね。ナナセさん、アリガタヤさん、早く行きましょう!」



 馬場までは、ここから二キロ以上離れている。一体どういった視力をしているのかと有ヶ谷が突っ込もうとした瞬間、体が浮き上がった。馬場を見て興奮したサラギに抱え上げられたのだ。



「ちょちょちょっと! サラギさん!?」


「いいじゃん。どうせ歩かなきゃなんないんだから、お望み通り運ばせてやりなよ。ほら行け、クソ猫」



 同じく腹の辺りで抱えられた七瀬が、悠長に告げる。


 その言葉を合図に、サラギは四十キログラムと七十五キログラムの荷物を両脇に抱えた状態で、乗馬クラブを目指して全力疾走し始めた。視力だけでなく、腕力と脚力も常人離れしているらしい。


 七瀬はこの間の遊園地のジェットコースターの方が面白かったとのんびり愚痴を垂れていたが、絶叫マシンの苦手な有ヶ谷には拷問に等しかった。あまりの速度に悲鳴を上げるどころか瞼を閉じることもできず、ただひたすら目を見開いて恐怖に耐え続けるしかできない。



 おかげで乗馬クラブに到着する頃には、有ヶ谷の腰は半分抜けてしまっていた。


 だが七瀬にみっともないところは見せられないとふらつく足を踏ん張り、二人を先導して受付のあるクラブハウスに向かう。



竜樹たつき! もう、ずっと来なかったから心配してたんだよ!? 連絡しても全然返事くれないし!」



 ログハウス調の建物に入ると、受付に座っていたポニーテールの少女がびっくり箱の仕掛けのような勢いで席を立った。



「お、おはよう、すばる……平日なのにいるなんて、珍しいね。うん、このところ忙しくてさ、ごめん」



 カウンターから身を乗り出して迫る昴なる娘に気圧され、有ヶ谷はしどろもどろに謝った。何とか笑顔を作ってはみたものの、頬の強張りは隠し切れない。


 再会を喜んでいるとはとても思えぬ態度の有ヶ谷に昴が二の句を吐く前に、サラギがカウンターへと進み出た。



「喧嘩は後にしていただけます? 時間制限があるのでしょう?」



 彼の助け舟に有ヶ谷は胸を撫で下ろし、昴も仕方なしといった感じで椅子に座り直した。



「大変失礼いたしました、お客様。今日は二人、でよろしいですか? 三人いらっしゃるようですが」


「私は見るだけ」



 受付周りに飾られた馬の写真を眺めていた七瀬は、値踏みするように睨め付ける昴に目もくれず、愛想なく答えた。


 不穏な空気を感じ取った有ヶ谷が、慌てて昴に補足説明する。



「彼女、体が弱いんだ。だから見学のみで。あ、そうだ、サラギさん、乗馬の経験は?」


「経験はあるにはありますが、かなり昔になりますねえ」


「小さい頃に習ってたってこと? じゃ一応スタッフ付けて、様子を見ようか」



 てきぱきと段取りを決めてしまうと有ヶ谷は二人を引き連れ、逃げるようにしてその場を離れて奥にあるフィッティングルームへ駆け込んだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る