31.絶叫


 その姿を見、その声を聞いただけで、懸命に押さえ続けてきた想いが暴発する――筒見つつみは悲しみとは別の、熱い滂沱の涙を零しながら、声にならない泣き声を上げた。



「近付くな!」



 しかし再会の感動も束の間、恭司きょうじは筒見を羽交い締めにすると、手際良く取り出した銃をサラギに向けて大声で怒鳴った。



「おい、誰かいねえのか! 外の警備は何してる!? 何でこいつを中に入れた!? とにかく早く援護しろ!」



 焦り狂う恭司に、サラギは笑顔で告げた。



「もう誰もいませんよ。ここには、私達三人だけです」



 そこで恭司は、恐るべきことに気が付いた。



「おい……お前、何で、無事なんだ……? 何発もぶち込まれてただろうが。頭だけじゃなくて、体もイカれてんのかよ……?」


「こう見えて頑丈に出来てるんです。とってもね」



 サラギはそう答えて、先に対峙した時と同じようにくちびるを吊り上げてみせた。その禍々しい笑みから、これまで押し留められていた彼本来の狂気がどろりと溢れ落ちる。


 こちらの攻撃を予測して、予め防弾チョッキでも着込んでいたのか?


 だとすれば、とんでもない計算ミスを冒してしまったことになる。相手が動けない内に、筒見と七瀬ななせを完全に手中に収め、彼女達に始末を付けさせるつもりだったというのに。


 己の取り返しの付かない失態に、最早歯噛みする余裕もない。愕然としながらも、恭司は精一杯の意地でサラギを睨んだ。



「それにしても助かりましたよ。私が動けないだろうと油断してくださったおかげで、こうして後を尾けることに成功したのですからねえ。あなた方の用心深さには、本当に悩まされました。お車を追いかけるのは大変でしたが、そちらは何やら慌てていたようで、多少の無茶をしても気付かれませんでしたし。何せ、この上背でしょう? 隠れて行動しようにも、なかなか難しいんですよ。ナナセさんにも何度見咎められたことか」



 彼の声が親友の名を呼ぶと、筒見ははっとして叫んだ。



「サラギくん! ナナちゃ……!」



 懸命に飼い主の窮地を伝えようとしたけれども、すぐに恭司に口を塞がれてしまった。


 それでも泣きながら身を捩り、抵抗する娘の頭に銃口を突き付けると、恭司は彼女の耳元に囁いた。



「大人しくしろ。でなけりゃ殺す。嘘だと思うならもう一度暴れてみろよ、愛梨あいり。彼氏の前で、潮吹き代わりに脳味噌を撒き散らしてみてえっていうならな」



 全く感情の込められていない低い音色は、筒見がこれまで聞いた中で最も冷酷だった。


 一気に血の気が引き、立つことも覚束なくなった彼女を半ば抱きかかえるようにして支え、恭司は再びサラギを見据えた。



「ふむ、困りましたね。どうすれば筒見さんを助けてくださるんです?」



 それでもサラギは軽く眉を下げたのみで、相変わらず飄々とした態度を崩さない。


 駄々をこねる子供を相手するように肩を竦めた彼に、恭司は防弾チョッキの有無を確認するため、まず上着とシャツを脱ぐよう命じた。


 サラギは何の抵抗もせず、すんなり従った。


 穴だらけになった黒いジャケットと、元が白だったとは信じられないほど赤く染まったシャツを脱いで放る。それが落ちると、ずちゃり、と濡れた重い音を立てた。


 一体、どれだけの血を吸ったのか。その音を耳にしただけで、筒見は全身が粟立つのを感じた。


 外には、少なくとも五人ほどの見張りがいたはずだ。その全員を、彼はどうしたというのか。考えるだけで恐ろしかったが、今はそれどころではない。


 上半身裸となったサラギを、恭司は黙って凝視していた。


 痩せ型だとばかり思っていたが、その肉体は予想外に筋肉質で余分な脂肪が全く見当たらない。例えるなら、試合直前のボクサーに近いストイックなものだ。かといって目立って鍛錬されたらしき箇所もなく、全体的に均等に鍛え上げられている。両の腕の太さも全く同じだった。



 何より、全身、見たこともない紋様の入墨に覆われているのにも驚いた。黒と灰の二色で描かれた複雑な模様は、何かの文字のようにも見える。これは七瀬が趣味で彫らせた、身分証的なものなのだろうか。



 入墨を仔細に観察する恭司に、サラギは静かな口調で告げた。



「あまり見ない方がいいですよ。あなたは勘の鋭い人のようですから、『この意味』を理解してしまうかもしれません。そうなれば、もう……逃がすわけにはいかなくなりますのでねえ」



 最後の一句には、ぞっとするほど恐ろしい響きがあった。琥珀色の瞳も、これまでの狂気を遥かに越えた暗澹たる陰鬱な光を帯びている。



「……ああ、そうだな。俺も男の体を愛でる趣味はねえ。だが、どのみち捕まえられやしねえさ。お前は今、死ぬんだからな!」



 そう言い様、恭司は躊躇なく引き金を引いた――――サラギの左胸に向けて。



 至近距離であったため、弾丸は正確に彼の心臓を射抜いた。


 一発では飽き足らず、恭司は仰向けに倒れたサラギの真上から更に追撃し、マガジン全部を彼の胸に撃ち込んだ。




「…………い、嫌あああああ!」




 一瞬落ちた静けさを、筒見の絶叫が切り裂く。



 コンクリートに伏して慟哭する彼女の姿を一瞥し、満足げに鼻で笑うと、恭司は銃をジャケットの内側に隠していたショルダーホルスターに収めた。普段は恭司も、銃なんて物騒なものは持ち歩かない。万が一にも所持しているところを見付かれば面倒事になるし、何よりコストがかかる。それでも河内かわちの助言に従い、高い金を出してまで入手したのは正解だった。これで邪魔者を、綺麗さっぱり消すことができたのだから。


 もう二度と動かぬ恋人の名を呼んで泣き崩れる筒見を置き去りに、恭司は倉庫の出口に向かった。


 早足で歩きながら、今夜新たにメンバー入りする予定の人物について、計画の進行具合を確認しようと携帯電話を手に取り、目的の人物の名を表示させたところで――――固まった。



 筒見が、彼の名を呼ぶ声が細く聞こえる。



 だがその声音はひたすらに悲嘆に暮れていたこれまでとは調子が違い、感嘆と驚愕と――――そして、恐怖が入り混じっていた。




 すぐ背後に、濃密な狂気を纏わせた不気味な気配を感じる。




 髪の先から爪先まで、全細胞が凍った気がした。



 肩に、誰かの手が置かれる感触。


 義娘のものではないのは明らかだ。




 では、この手の持ち主は。




「…………どこに行くんです? まだ、用事は終わっていませんよ?」

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