23.悪巧
「サラギさんって、すごく乱暴……いやその、独特な方法で馬を操るんだね。
何とも言い難い笑みを浮かべながら本日の感想を述べると、
時刻は正午過ぎ。朝は貸し切り状態だったアリーナにも人や馬が集い始め、乗馬クラブらしい活気に湧いている。コースタイム限界まで乗馬を楽しんだ三人は、クラブハウスの二階にあるレストランからその様子を眺めつつ、昼食を摂っていた。
「そうですか? 普通ですよ。いちいち友好関係を築くより、上下関係を教えた方が早いじゃないですか」
サラギは事も無げに答え、新たに届いたパスタセットに箸を付け始めた。
テーブルが狭いので、流石にファミレスの時のような無茶苦茶な注文はしなかったけれども、それでもランチセットを食べ終えては追加でオーダーするということを幾度も繰り返している。どちらにせよ、店舗にとって迷惑なことには変わりないだろう。
「そうだね、こんなアホと友達になりたい馬なんていないもんね。ウマシカな友達はいるけど」
相変わらず食欲全開の飼い猫を隣から一瞥し、
「ウマシカ……ああ、バカといえばトガイですね。彼に予約するよう頼まれていたのに、うっかり忘れるところでした。トガイも足の速い馬が好きなので、
「ええと、トガイさんもサラギさんと同じような手法で調教するのかな?」
「勿論。彼はもっと厳しいですよ。その上、短気です。トガイに躾を任せて、何頭の馬を駄目にされたことか」
誇張しているだけなのかもしれないが、とても冗談には聞こえず、有ヶ谷は身震いした。
そこで彼は優雅に箸を動かすサラギから目を逸らし、その隣でいつまでもサラダをフォークで突いている七瀬に視線を向けた。
「七瀬さんって、ホント少食なんだね。だから華奢なのかな」
バタートーストと、それに付いてくるセットの小さなサラダとコーンスープのみという軽食以下の量にも苦戦していた七瀬は、ひどく億劫そうに答えた。
「うん、食べるのあんまり好きじゃないから」
確かに――遊園地でランチを摂った時も、彼女の食事の仕方は嫌々詰め込むといった感じで、仕方なしに食物を摂取しているように受け取れた。
「そうなんだね。あ、この後はどうする? まだ時間も早いから、七瀬さんの家にグッズを取りに行く前に、トガイさんのお店を冷やかしに行くってのはどう?」
有ヶ谷は必死に話を方向転換した。
もしかしたら七瀬の病は、摂食障害に関連するのかもしれない。だとすればこの話題は、引っ張らない方が良いと判断したからだ。
「良かったらどうぞ。オーナーからのサービスです」
有ヶ谷の努力の甲斐あって会話が盛り上がり始めたところで、ウエイトレスが三人分のアイスコーヒーを運んでやって来た。
「わ、いいんですか? ありがとうございます!」
素直に喜んでウエイトレスを見上げた有ヶ谷は、しかし相手を見るや笑顔から真顔になって口を結んでしまった。そのウエイトレスが、
「言われた通り、お客様のためにご奉仕してんのよ。文句ある? もう殴られたくありませんから」
化粧は直したものの、ひどく泣いたせいでまだ腫れの引かない瞼の下から昴は戸惑う有ヶ谷を睨み、冷ややかに言い捨てた。
「反省したんだ、良かったね。その調子で頑張って」
「事情は存じませんが良かったですね。頑張ってください」
愛想なく鼓舞する七瀬に倣い、サラギも適当に労いの言葉をかける。
そんな二人の前に昴がアイスコーヒーを置くのを、有ヶ谷は注意深く見守った。以前、付き合って間もない彼女を連れてきた時に、わざとトレイごと飲み物を引っ繰り返されて大惨事になったことがあったためだ。
だが危惧していたことは起こらず、二つのグラスはちゃんとコースターに乗せられた。昴が一礼して立ち去ると、有ヶ谷はほっと胸を撫で下ろした。
サラギが、アイスコーヒーに手を伸ばす。が――彼は自分の目の前のグラスではなく、七瀬の目の前に置かれたものをさっと取り、一気に飲み干してしまった。
「サラギさん? どうかした?」
微妙な表情で口元を押さえるサラギに有ヶ谷が声をかけたその時、何かが落下する音が響いた。反射的に振り向けば、レストランの出入口からこちらを見つめる昴と目が合う。
取り落としたトレイを拾うこともせず、彼女は驚きと戸惑いに目を瞠っていた。
それを見て、有ヶ谷は即座に思い当たった。飲み物に何らかの細工をしたのだ。
有ヶ谷は慌ててサラギがすり替えたアイスコーヒーを奪い、その氷を含んでみた。だがすぐに吐き出す。何が混ぜられているか、判別することも不可能だった。液体の形をしているけれども、これは飲み物と呼べるものではない。そのくらい酷い味だった。
激しく咳き込む有ヶ谷に、サラギは仕方なしに白状した。
「様々な調味料をブレンドしただけでなく、洗剤の類まで入れたようですよ。大したオリジナルドリンクですね。ナナセさん、そちらは大丈夫ですのでどうぞ召し上がって下さい」
やっと状況を理解した七瀬は、まさに液体を吸い上げようとしていたストローから口を離し、グラスを押しやった。
「やめとく。それよりサラギくん、大丈夫? お水、貰ってこようか?」
気を利かせて七瀬が立ち上がるより先に、有ヶ谷は席を立ち、二人に向かって深々と頭を下げた。
「二人共、本当にごめん! サラギさんの体も心配だし、今日はこれで解散で! 埋め合わせは必ずするから!」
それだけ言うと彼は二人の返答も待たずに、逃げ出した昴の後を追った。
これまでは昔馴染みの情が邪魔して強く出られず、距離を置くことで遠回しに避けてきた。しかし、今日という今日こそは我慢の限界だ。
彼女の背を追って階段を駆け上がり、三階にある従業員用更衣室の手前で、有ヶ谷はついに昴を捕えた。
「……っ何よ! 殴りたきゃ殴れば!? 殴られたって、あたし止めないからね! 何回だって邪魔してやるんだから!」
肩を掴まれ、壁に押し付けられた昴は、有ヶ谷が言葉を放つより先に涙に濡れた顔を向け、叫ぶように言った。
「あたしだって、こんなことしたくてしてるんじゃないわ!
「……ごめん」
彼女の悲痛な声を遮り、有ヶ谷は俯いて小さく漏らした。しかし意を決して顔を上げ、真っ直ぐに彼女を見つめた。
「昴はすごく大事な人だけど、そういう目では見られない。全部、俺が悪いんだ。お前の気持ち、薄々気付いてたくせに、関係が壊れるの嫌で、怖くて……目を背けてた。はっきりしない態度でずるずる気を持たせて、ずっとお前を傷付けてた。本当にごめん。もう前みたいに仲良くしてくれなんて言わないし、俺のことなら罵っても殴ってもいい。俺ってこんな、救いようのない最低な野郎だから。でも、七瀬さんに何かするのはやめてくれ。お願い、この通りだ」
怒るどころか頭を下げて懇願する有ヶ谷に、昴はしゃくり上げながら尋ねた。
「あの人……竜樹の、彼女なの?」
「違うよ、俺が勝手に想ってるだけ」
正直に答えると、有ヶ谷は戸惑いがちに手を伸ばし、昔よくやったように優しく昴の頭を軽くポンポンと叩いた。
「まだ告白してもないし、彼女になってくれるなんて思ってもない。それでも……好きだから、頑張りたいんだ」
決定打を下され、昴が激しく泣き出す。
優しくすべきではないのだろうが、抱き着いてきた彼女を振り解くこともできず、有ヶ谷はあやすようにして背中と頭を撫でながら何度もごめんと謝った。
そんな二人の様子を柱の陰から見守っていたサラギは、口元に手をやり、視線を斜め下に落として何事かを思案していた。
七瀬にはトイレに行くと嘘をつき、こっそり後を付けてきたのだ。
表情共々、琥珀色の瞳には子供のように無邪気な、それでいて達観したような、相反する色がないまぜになって揺らめいていた。
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