第62話 伝える力

「ヤノメさんって……もしかして、龍なの?」


 ベイオの問いかけに、彼女は微笑みで肯定した。


「正確には、母が龍です。父は人間ですが、母と出会った時は、呪法を極めて仙人の域に達していたそうです」

 父親も伝説級の人物だったようだ。


「よくわかりましたね、ベイオ」

「いや……だって、あの龍と旧知の仲だったようだし」

 あれで気がつかないとか思うのは、作者ぐらいである。


「見た目、二十歳そこそこなのに、老師さまより呪力が強いなんて、あり得ないしね」

 修行に費やす年月に比例して、使える呪力も高まる。それが呪法の常識だった。真夏に一瞬で河を凍らすなんて呪法は、シェン・ロンと言えどもおいそれとは使えないだろう。


「あら、わたくしは見た目通りの若さですわよ」

「龍としては、でしょ」

 ベイオのツッコミに、ヤノメは鈴を転がすような笑いで答えた。


「高々数百年です。ロ・ゾリエンから見たら小娘も良いところでしょう」


 ……それだと僕はなんだろうな。いや、人間なんて虫けらにしか見えないだろうし。


 そこで、ベイオは気が付いた。


「そんな両親から生まれたヤノメさんは、なんでボムジンの奥さんになったの?」


 仙人なら呪法で寿命も伸ばせたのだろう。もう亡くなられたと言ってたから、不老不死ではないようだが。

 となると、気が優しくて力持ちなボムジンだが、住む世界が違いすぎる気がした。


「そんな父の嘆きを聞いたからです」

 ヤノメは語り出した。


 ディーボンで最も高い山の頂に、ヤノメの母、ミミガ・ヒミカは住んでいた。この国が始まった時から。


「それって、獣人たちを率いて海を渡ったという、あの神話の?」

「ええ、そうです」


 時代が下り、呪教や呪法がその国に伝わると、熱心に学ぶものが現れた。その筆頭が父親で、修行のために山頂まで登り、母親と出会ったと言う。


「やがて、私が生れました。しかし、呪法に夢中だった父はあまり私に構うことなく、年月が流れたのですが……」


 ある日、彼女の父親に追い付こうと呪法を学んでいた後輩が、山頂を訪れた。その傍らには、成人した息子が付き従っていた。


「後輩が息子を紹介し、その成長がいかに励みになったか、幼い頃の息子がいかに愛らしかったかを語りました。その時、父は涙したのです」


 せっかく生まれた娘。龍の子としては何千年ぶりだと言う。その娘の成長を、自分はどれだけ見ていただろうか。既に娘は、ヒトで言うなら成人と言えるまで成長していた。

 娘に対する愛情がなかったわけではない。しかし、幼いころの娘に、ほとんどその気持ちを伝えることは無かった。


「その嘆きは深く、寿命を延ばすことすらやめて、父はやがて他界しました」

 しんみりとヤノメは話を結んだ。

 が、笑顔で語り出す。


「だから、ボムジンさんに出会った時、確信したのです。この人は愛情深い人だと。子供が生れたら、きっと毎日、可愛がってくれるだろうと」


 そう。ボムジンはただの村の子どもに過ぎないベイオや、獣人の娘のアルムにも優しかった。がさつで教養がない事なんて、ヤノメから見たらどうでもいいことだ。


 誰にでも愛情深く接する。その、伝える力こそが、彼の魅力なのだ。


「彼の寿命が短いことはわかってます。だからその間、わたくしもありったけの愛情を注ぎましょう。そしてやがて、彼は子や孫たちに囲まれて、自分の人生に満足してこの世を去るでしょう」


 後に残るのは、優しく輝かしい思い出だ。

 それさえあれば、何万年の孤独すら苦にならない。


 そう、ヤノメは話を結んだ。


* * *


「……にしても、龍さんは唐突だなあ」


 屋敷を出て、ベイオはヤノメと共に都を歩いていた。目指すのはディーボンの宿営。


「いきなり僕らだけ都に戻されちゃったから、ジュルムやジーヤは心配しているだろうし。ファラン達とは行き違いだし」


 連絡をしようにも、伝える手立てがない。だから、ディーボンの伝令を借りよう、と思い立ったのだ。


「龍とはそもそも、多くを語らないものです」

 苦笑しつつ、ヤノメはそう言った。

 コミュ障かよ。とベイオは脳内で突っ込んだ。


「母は父と何百年も連れ添ったのに、私の知る限り、直接言葉を交わしたのはほんの数回ですからね」

 長年一緒に暮らせば以心伝心となるだろうし、龍と仙人なら言葉以外に意思を伝える力くらい持っていそうだ。

 しかし、数回とは。


「もっとも、わたくしはその母ともろくに言葉を交わしてませんけど」

 何でも、「国を出る」と告げた途端、母親は龍の姿になったという。そのまま、母娘喧嘩が大怪獣頂上決戦に。


「しまいには霊峰の神の怒りを買ってしまって、山腹から噴火が起こる始末でした」


 ……富士山だよね、それ。


 元の世界での宝永大噴火が、百年ほど繰り上がったことになる。この噴火では江戸に何センチも火山灰が積もったとか。

 まことに、はた迷惑な母娘喧嘩だ。


「それで二人とも頭を冷やして、話し合いました。で、結局は快く送り出してくれたのです」


 ……それは良かったけど。


「じゃあ、ボムジンと出会った時に倒れてたのって?」

「はい、呪力を消費したまま海を渡ったので、不覚にも力付きてしまいました」


 なるほどな。と思っているうちに、ディーボンの宿営に着いた。

 ここでもガフの書状が役立ち、すぐに伝令が北都へと向かうことになった。

 とは言え、今から獣人兵が全力疾走しても、到着は明日の朝になるという。


「ファラン達、今夜は眠れないんじゃないかな……」


 知らせを伝える力も、工業化の課題だ。何しろ、この国には郵便どころか飛脚もいない。


 ……通信手段、本気で考えないと。


* * *


 ファランはすぐに、いつもの夢だと思った。

 山頂に佇む自分。なんとなくだが、前回の夢の最後の場面で、ベイオが誰かに向かって語り掛けていた場所だと感じた。


 眼下に広がる平原には、半径が百歩分はありそうな円形の窪地ができていた。あそこがおそらく、龍門が開かれた場所なのだろう。


 ……一体、どんな光景を見せられるのかしら?


 思わず彼女は身構えた。


 その時、地平線の向こうから小さな光が現れた。光はやがて細く伸び、金糸のようにうねりながら近づいて来る。


 ……あれは、龍。


 黄金色の鱗を陽光にきらめかせ、蛇のような体の前後にある小さな手足と、頭部が見分けられるようになった。


 聞かされたとおり、いや、それ以上の威圧感を感じる。

 逃げ出したい衝動に駆られたが、いつもの夢のように、彼女は自分では動くことができない。


 そして龍はさらに近づき、巨大な頭部が目の前を覆った。

 威圧感は肌で感じられるほどに強まっていた。しかし、彼女は目を逸らすこともできない。ただ、瞳孔の無い緑色の瞳に渦巻く、金色の光を見つめ返すだけ。


『人の子よ』


 脳内に声が響いた。


『夢見の娘よ。そなたに伝えよう』


 ……ベイオの事? 老師さま?


 龍の瞳の金色の渦が収縮し、光を増した。彼女の心を読んだかのように。


『あの者らを見守り、何を成すかを心に留めよ』


 ……ベイオのやること?


『それがそなたの努めだ』


 それを告げると、龍はこうべを巡らせ、去ろうとした。


 ……待って! ベイオは今どこに?


 それに答えることなく、龍は最後に告げた。


『時が来たら聞かせてもらう。心せよ』


 そして、夢は終った。


* * *


 翌朝、ファランはゾエンに夢の内容を伝えた。


「今までの夢は、その龍が見せていたのでしょうか」

 その疑問は、ファランも感じていたことだ。


「わかりません。ただ、今までの夢では、このようにはっきりと語りかけられたことはありませんでした」

 似たような種類の夢ではあるが、違うもののように感じる。


「わたくしの事を、『夢見の娘』と呼んでいました」

「なるほど。姫様の力を利用したかのような感じですな」

 しかし、とゾエンは続けた。


「こちらの質問には答えない、というのも『龍ならでは』でしょうね」


 確かに、ベイオたちが無事だと言う事はわかった。しかし、どこにいるのかがわからないままだ。


 ……まさか、龍の腹の中にまだいるとか?


 そんなゾエンやファランとは違い、アルムはあっけらかんとしていた。


「ベイオは大丈夫。きっと今ごろ、都でおらたちを待ってるだよ」

 根拠も何もなく、そう信じているアルム。


 彼女が正しいと判明するのは、そのすぐ後だった。北都に到着した伝令が持ってきた書状。そこには、たった一行、書かれていた。


 老師さまとヤノメと都で待ちます。ベイオ。


「……オレたち、無駄足かよ」

 ぼやくボムジン。その肩を、イロンがポンポンと叩く。

「おまえ、新婚初夜を逃してるしなぁ」

「っるせいよ! オマエが朝まで飲んでたからだろうが!」

 相変わらずの、掛け合い漫才だ。


 しかし、緊張がゆるんだファランはその場で泣き崩れてしまった。

 そんなファランを抱きしめて、アルムはささやきつづけた。

 大丈夫、大丈夫と。


 一同はすぐにでも都に戻ろうと準備し始めた。

 ゾエン一人を除いて。


「ベイオの言う通り、絶好の機会だからな」


 彼は一人、合戦場のその先へと向かうことになった。


「ル・セイロン殿もお待ちかねだろう」


 伝説の龍まで現れたとあっては、時代の流れがどちらに向かうか、もはや疑問の余地はない。


 セイロンを重圧から解き放ってやるべき時だった。

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