第86話 工房にて

 そのころ、故郷の村でベイオは工房小屋にこもっていた。

 作業台に向かって図面を引く彼の隣りでは、アルムが布袋の中で両手を動かしていた。パチン、パチンと規則的に音がする。


「できただよ、ベイオ。次はなにやる?」

 相変わらず、にぱっと笑顔を向けてくる。その右手にはニッパーのような工具。左手にはそれで切り取った針金の輪がいくつか載っていた。


「あ、じゃあちょっと見せてね」

 ベイオは袋ごと受け取る。切った時に飛び散らないよう、袋の中で切ってもらっていたのだ。

 袋の中身を掌に乗せて確認する。百個ほどある、直径五ミリの小さな輪だ。針金を棒に巻き付け、それを切って作るのを、アルムに頼んだのだった。針金は、都にいる間にイロンに作ってもらったものだ。


「ちゃんと、輪が全部二重になるように切ってるね。ありがとう、助かったよ」

 赤毛の頭を撫で、狼の耳をモフモフ。気持ちいいのか、アルムはご満悦で尻尾もパタパタ振られた。


「これで、なに作るだ?」

 小首をかしげて、アルムはたずねた。

 可愛らしいしぐさに、ベイオはしばし、ほっこりしてしまった。


機織はたおりり器だよ。布を織るための道具」

「布、織るだか?」

「うん、沢山要るからね」

 ベイオの母や村の女性たちが、手の空いた時にやっている機織はたおり。一枚の布を織るためにどれだけの手間暇がかかるか、そばで見てきたから良くわかる。

 その道具を改良するために、まず縮小モデルを作ろうと思い立ったのだ。


「じゃあ今度は、この糸を三十センチの長さに切って、真ん中にこの輪っかを結び付けてくれる?」

「わかっただ」

 ベイオが麻糸の束を渡すと、アルムは嬉々として作業に入った。根気のいる細かい作業だが、ベイオのためなら喜んでやるようだ。


 先日、父親から聞いた出生の話で、さらにベイオ愛に燃え上がってしまったアルムだが、それを上手い事いなして仕事に振り向けるあたり、ベイオも成長していると言える。


 ……久しぶりのモノ作りだものね。


 この前に作った連装弩は、出来たら作品としてカウントしたくない。やりたいのは戦争ではなく工業化。撲滅したいのは敵国ではなくこの国の貧困だ。

 そして、今作っているものは、まさにその工業化で大きな一歩となるはずのモノだ。


 隣ではアルムが、寄り目になりながら小さな輪に糸を通しては結んでいる。一個一個、丁寧に。

 その仕草が可愛らしくて、思わず顔がほころんでしまうベイオだった。


 ……アルムの事はこんなに好きだけど、流石に子作りとかはなぁ。


 生前も今生も一人っ子だった彼にしてみれば、アルムは妹みたいなもの。いや、血がつながらないだけで、妹そのものだった。この世界では、母親を別にしたら、一番近くにいる存在だ。


 ベイオにしてみれば、今生の幼いころはアルム父が実の父親で、アルムは実の妹だと思い込んでいたくらいだ。思い起こせば、「なんでアルムもお父さんも、裏で別に暮らしてるの?」などと聞いては、母を困らせていた。


 ……お母さんも、アルム父さんも大変だったんだな。


 彼がベイオの母エンジャに対して、どれ程の恩義と負い目を感じているのか、あの話でよくわかった。赤の他人であるにも拘わらず、アルムを取り上げてくれたのに、危うく一人息子を失うところだったのだから。


 ……みんなで、幸せにならなきゃ。


 その第一歩が、この図面だ。頭の中で明瞭に思い描いているイメージを、黒鉛の鉛筆で丁寧に引いた線で表していく。


「よし、こんなもんかな」

 書き上げた図面の上をフッと吹いて、黒鉛の粉を吹き飛ばす。その上に次々と板切れを乗せ、印をつけていく。

 それが終ると加工だ。


 材料の板を切り、穴をあけ、組み立てる。出来上がったのは幅三十センチ強、奥行き六十センチほどの木枠だった。

 そして、枠の中央部の左右に柱を立てた。その上下に空けた穴にそれぞれ軸を通し、柱の内側に滑車を付けた。柱の付け根からは軸がつきだしていて、そこにハンドルを付ける。

 これで、仕組みの外側は完成だった。


「アルム、そっちはどうだい?」

「……もうちょっとで結び終わるだ」

 琥珀色の瞳をシパシパさせている。力仕事なら疲れ知らずの獣人でも、細かい手作業はそうもいかないのだろう。


「頑張ってね。それ終ったら、輪っかを五十個ずつ、この竹ひごに通しておいて」

 ベイオの指示に黙ってうなずくと、アルムは作業を続けた。


 彼の方は、幅三センチほどの薄い板を長さ三十センチで四枚枚切り出した。それらの両側に、小刀で一センチ間隔の切り込みを入れて行く。


「できただよ」

 アルムが二本の竹ひごに通した糸付きの輪を両手に持って自慢げだ。


「ありがとう。じゃ、その糸をこの板の刻み目にむすんでね。二人で手分けしてやろう」

「うん!」

 アルムはニパッと笑った。一緒に同じ作業を出来るのが嬉しかったようだ。


 やがて出来上がったのは、二本の横板の間に五十本ずつ糸を張り渡した、すだれのような仕掛けだ。糸はそれぞれ真ん中に針金で作った輪がついている。これが二組。

 ベイオは片方の仕掛を取り上げると、横板の左右に紐を結び、紐の反対側をもう一つの仕掛けに同じように結んだ。

 そして、先ほど作った木枠の滑車に、それらの紐をひっかけた。下に垂れた横板どうしも同様に紐で結び会わせ、滑車にかける。滑車の軸に取り付けたハンドルを前後に動かすと、手前と奥の仕掛けが交互に上下した。


「……完成だ」

 満足げにベイオがそうつぶやくと、アルムはいつもの謎ダンスを踊った。


「布、織るだ! 今すぐ!」

 意気込むアムルだが、ベイオは苦笑いだ。


「それは明日にしよう。糸が沢山いるし……そろそろ暗くなっちゃう」

 残念そうなアルムを小屋まで送ると、ベイオは代官屋敷に戻った。



 翌朝。

 朝餉を終えると、女官が一抱えの籠を運んできた。

「ベイオさま。機織り用の糸と櫛でございます」

 昨日のうちに頼んでおいたものだ。糸は百本が別々の糸巻きに巻かれている。

「ありがとう。櫛は後で返すからね」


 籠を抱えて代官屋敷を出て、ベイオはアルム父子の小屋に向かった。そして、アルムを連れて工房へ。


「♪はたおーり、はーたおり」

 謎歌でご機嫌だったアルムだが、最初だけだった。

 百本の糸を一本一本、織機に取り付けるのが、やたら面倒だったのだ。

 織機の木枠に縦に糸を張って行くのだが、この時、中央部の簾の輪に一本ずつ通していく。それも、一本目は手前の簾、二本目は奥と言うように、交互に通すのだ。


 ……これは大変だな。なんとかうまい方法は無いかな?


 今更ながら、これを暇を見て行ってる女性たちに頭が下がる。布が高価になるわけだった。


 やがて何とか糸を張り終わった。


「これが経糸たていとだよ。で、これに緯糸よこいとを絡めていくんだ。こうやって」

 アルムに説明しながら、ベイオは滑車の軸に付けたハンドルを手前に倒す。すると、紐に結んだ仕掛けの奥が上に、手前が下に動く。それによって、輪に通した経糸が一本おきに上下に引っ張られ、横から見てひし形の空間が空いた。


「ここに、緯糸を通すんだ」

 木の棒に巻いた緯糸を繰り出しながら、上下に分かれた経糸の間を右から左へくぐらせる。


「通し終わったら、櫛で手前の枠に押し付ける」

 ハンドルを中央に戻し、女官に借りて来た櫛で縦糸をくようにして、緯糸を押し付ける。


「今度は逆に緯糸を通す」

 ハンドルを奥に倒し、さっきと逆に上下に分かれた経糸の間を、今度は左から右へとくぐらせる。そして、櫛で手前に押さえつける。


「この繰り返しだ。やってみる?」

「うん!」

 アルムはしばらく機織り幼女となった。

 夢中で何かをやってる姿は、心をなごませてくれる。


「あ、そろそろいいかな」

 幅三十センチ、長さ十センチほどだが、初めてにしてはしっかりした布だ。これ以上織ると、緯糸をくぐらせる余地が無くなる。


「布、できただ!」

「そうだね。でも、色々改良しないとな」


 まず、緯糸をくぐらせるのが結構大変だった。特に、棒に巻いた糸が途中でほぐれてしまうと面倒だ。

 この緯糸の糸巻きは、左右に繰り返し往復するため、英語ではシャトルと呼ばれる。バドミントンのシャトル、シャトルバスなどもここから来ている。

 機織りにかかる時間の殆どは、このシャトル往復の作業だ。なので、ここが早くなれば大幅なスピードアップとなるはずだ。

 また、模型ではなく本格的に織るのなら、糸と織った布をそれぞれ丸棒に巻き取る仕組みが必要だ。


 レバー操作とシャトルのくぐらせ、布の巻き取り。これらを山車で人形を動かした仕組みで自動化できれば、機織りの生産性はグンとアップするだろう。


 そう、生産性だ。

 衣食住、そのすべてがこの国には足りない。帝国だ、皇帝だと言っても、この冬に国民が凍死しないか、次の春に餓死しないか、不安にかられるばかりだ。


 住の木材確保には、ボムジン達が半島の東北へ向かってくれた。

 食の穀物生産は、水車での灌漑と堆肥の利用が広まりつつある。

 それらに加えて、衣の機織りが自動化できさえすれば、工業化への大きな一歩になるはず。


 そう確信して、ベイオは機織り器の改良に専念した。


 ……もうじき冬になるから、風の峠は通れなくなるな。


 そうなれば、この冬はこの村で過ごすことになるだろう。


 ……お母さんやファランに会えないのは寂しいけど、まあ、面倒な朝議がないからね。


 そんな事を思いはじめた矢先。


 都からの使いが村を訪れたのだった。




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