第12話 増産
ひと月で百個の手桶を作る。今まで作ったのが二十個ほどだから、その五倍。
大量生産だな。工業化の一歩だ。
ノルマとしてはきついが、そのくらいできなければ工業とは言えない。まだまだ、家内制手工業のレベルだが。
ベイオは代官に答えた。
「あの……それだけの数となりますと、手持ちの木材や材料では足りません」
「それはこちらで用意しよう」
代官はそう言うが、念のために聞いてみた。
「その分の伐採税は?」
「特例として、免除とする」
やけに恩着せがましいが、気にせずに考える。
えーと、板材を丸めるのに二日。陶器で作ってもらった芯材で一度に四つ丸められるから……。
ひと月で六十個。芯材をもう一つ作ってもらえば、百個は何とかなる計算だ。
ベイオは代官に向き直った。
「可能ではありますが、お願いがあります」
「なんだ。申してみよ」
再び、代官は椅子にふんぞり返っていた。
「この手桶はとても人気がありまして、何人もから作るのを頼まれています。その人たちは、食べ物や工具などの交換の品を、先に渡してくれています」
ギロリ、と代官はベイオを睨んだ。
「お前、わしに対価をよこせと申すか?」
「既に対価を頂いている方を後回しにすることになります。なら、頂いたものを返さないと」
「ふむ……」
代官としては、村民からの苦情が殺到するのは避けたかった。秋には都から監察使が来る。そうした苦情は全て報告せねばならず、過度に多ければ評定に響く。ましてや、隠蔽しておいてもしばれたりしたら、命がない。
「よかろう。その分も負担しよう」
「あと、もう一つ」
ベイオの言葉に、代官は目を剥いた。
「まだ申すか!?」
「紙をください」
ここで臆したら、先に進めない。
ベイオはそう、確信していた。
アレを作るためには、何としても紙が欲しい。
この村から工業化を始めるなら、どうしても欲しい物が二つある。それらは、きちんと設計図を引かないと作れない種類のものだ。
最悪、木の板を使おうと思ってはいたが、サイズ的に厳しい。実寸大で描こうとすると、何枚も継ぎ合わせなければならないからだ。場所も取る。
しかし、代官にはベイオのそうした事情はわからない。
「どれだけ欲しいのだ?」
「全紙で十枚ほど」
むう、と唸って代官は考え込んだ。
全紙とは、紙を漉いたままの裁断する前のものだ。
「ここには、帳簿に使う大きさのものしかないぞ」
この国での紙は、
ただ、こちらには専門の紙漉き職人はおらず、一部の農家が農作業の合間にやっているにすぎない。それらは王都に租税として物納され、帳簿等に適した大きさに裁断したものが出回る。
全紙、すなわち裁断する前の大きさで十枚というのは、金額的には大したことはない。しかし、王都に納められたタイミングでないと入手できない類いの品だった。
ではどうするか。
近く、代官は上京する用事があった。それには、上役の官吏等に賄賂なり土産なりが必要だ。
ベイオにふっかけた銅銭二千枚と言うのは、その分に当たる。もちろん、本命はベイオの母、エイジャを囲う口実だったが。
一方、この手桶は、手土産にするには都合がいい。何より、懐が痛まないのが良い。全紙も、都なら苦もなく手にはいる。
「帳簿に使う紙なら、すぐに百枚くれてやろう。全紙がどうしても必要なら、三ヶ月ほど待て」
代官の返事に、今度はベイオが考え込んだ。紙はすぐにでも欲しい。サイズが小さくても、貼り合わせて継げば何とかなる。
「では、帳簿の大きさで四十八枚をすぐに、三ヶ月後に全紙で七枚、頂きたいと思います」
帳簿サイズを縦横に四枚ずつ、十六枚張り合わせれば全紙サイズとなる。四十八枚なら、三枚分だ。当面は何とかなる。
「よかろう。では、ただちにかかれ」
代官は椅子から立ち上がった。
* * *
「ベイオや」
「なあに、お母さん」
代官屋敷から、手をつないで帰る道すがら。時は昼時だが、この国には昼飯の習慣がない。家に着いたら、そのまま夕方まで、母、エイジャは農家の手伝いに行かねばならない。
一緒に歩く今を逃したら、夕方まで話す時間は取れないのだ。
「紙をそんなにたくさん、どうするの?」
息子の聡明さは理解しているが、何をしようとしているのかがわからなかった。先程の代官とのやり取りにしても、驚かされることばかりだ。
ベイオは、そんなエイジャの思いにも関わらず、屈託ない笑顔で母を見上げて言った。
「図を描くんだよ。これから作りたいものの」
「図?」
裁縫や籠編みくらいしか知らないエイジャには、馴染みがない事だった。
「今度は、動くものなんだ。だから、部品がぶつかり合わないように、図面を書いて確かめないと」
製図は、工業学校で学ぶ基本だ。しかし、こっちには製図台どころか定規すらない。まずそこからだ。
「でもお前、代官様との約束があるでしょう?」
エイジャは心配そうだった。
ああ、お母さんはそこが気がかりだったのか。
はたと気づいたベイオ。心配かけてはいけない。
「大丈夫だよ、お母さん。最初、アルムのお父さんにちょっとだけ手伝ってもらえれば、後は僕たちだけでできるから」
それでも不安そうなエイジャではあったが、最後には息子を信用することに決めた。
家が見える路地に入ると、赤い毛玉がすっ飛んできた。
赤いと三倍早くなるって、なんだつけ?
そんなことが脳裏をよぎった直後、アルムが飛び付いた勢いでベイオはひっくり返った。
「ベイオ! ベイオ生きてた!」
胸に赤毛をこすり付けながら、アルムは泣きじゃくった。
……今、ちょっと死にかけたけど。
「大丈夫だよ。お代官さまと少し話をしただけだから」
「おとうが、代官に連れてかれたら殺されるって……」
顔をあげたら、涙と鼻水で酷いことになっていた。袖で拭ったら真っ黒になってしまった。
差別を受けてる獣人なら、そうなるのかもしれない。いや、普通の村人でも、税を納められなければ酷いことになるのだろう。
ここは日本とは違うのだ。つい、忘れそうになる。肝に銘じておかないと。
「アルム、お父さん、家にいる? ちょっとお願いしたいことがあるんだ」
アルムはキョトンとしていたが、うなずいて言った。
「おるだよ。来るか?」
ベイオはうなずくと、母親に「行ってくるね」と告げて、アルムと手を繋いで駆けていった。
母エイジャは、そんな二人を見送ったあと、仕事先の農家に向かった。
あの子は……ベイオはこれから、何を成すのだろう。
そう、心のなかでつぶやきながら。
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