第11話 代官

 代官と聞いてベイオが連想したのは、悪徳商人と組んで「お主もワルよのう」とか言う悪代官だった。つまり、時代劇からの知識だ。


 ……母さんが見てた水戸黄門くらいしか知らないけど。


 ベイオがこの村の代官屋敷に入ったのは、初めてだった。母親は仕事で何度も来てるのだが、今日は顔色が悪い。


 ……お母さん、緊張しているんだ。


 銅銭二千枚なんて六歳児に払えるわけないので、ベイオは呼び出された。保護者同伴で。

 中学の頃を思い出す。一回だけ、クラスメートと取っ組み合いの喧嘩をして、親が呼ばれたことがあった。あの時と同じ気分だ。

 面倒かけてごめんなさい、という気持ち。


 二人で屋敷の庭に正座するベイオと母。土の上に、粗末なゴザが敷いてあるだけマシなのだろう。白い玉砂利は敷かれていないが、形は時代劇に出てくる「お白洲しらす」そのものだ。


 正面の縁側のような場所には椅子が置かれていた。そこに男性が腰かけている……らしい。

 先に「伏して拝め」と命じられたので、直接は見えない。周りの人の動きなどから、男性が現れ着席したらしいと、感じられるだけだ。


おもてを上げよ」


 頭上からの声は、男性にしてはすこし甲高かった。ベイオが顔を上げると、やはり椅子には男性が腰かけていた。いや、「ふんぞり返る」の方が近い。

 年齢は四十代くらいに見えた。着ている装束は村人と同じ白一色だが、流石に素材は良い物なのだろう。染みもない純白だった。

 頭には黒くて鍔広の帽子を被ってる。

 そして、何より……太ってた。


 この世界に生まれてから初めて、肥満の人を見た。


 もっとも、前世の基準から見れば「ちょっと太め」程度だろう。しかし、村人はみんな痩せすぎなほどだから目立つ。

 そして、その足元に置かれているのは、ベイオが作った手桶に間違いなかった。


 その「小太りおじさん」が口を開いた。


「伐採税の銅銭二千枚が払えぬという事であるが、どういたす?」

 ぞんざいな調子の問いかけだった。


 きっと、答えは期待していないんだな。


 ベイオは代官の声音から、そう読み取った。


 伐採税。木を伐採するときにかかる税だ。

 元々は、薪を得るために山林を禿山にしないための物だった。昨夜、母親はそうベイオに教えた。

「お母さんが何とかするから、お前は心配しなくていいよ」

 そう言ってくれた母親を決して疑うわけではないが、安心もできないベイオだった。


 お母さん、真っ青だし、震えてるし。


 ベイオは口を開いた。

「お代官さま。一つ、質問してもよろしいでしょうか?」


 周囲の者がざわめいた。特にベイオの母など、息を飲んで我が子を見つめている。


 ベイオの母、エイジャは心臓が止まるかと思った。

 幼い息子に、到底払えるはずのない税。間違いなく、これは言いがかりだ。

 本当の目的は分り切っている。


 ……私が妾になれば、事は丸く収まる。


 ついに逃げられなくなった。でも、ただそれだけのことだ。

 諦めつつ、そう考えるエイジャだった。

 とある高級官吏の娘として育ち、他の同じ派閥の官吏に嫁いだものの、その派閥が政争に敗れて没落し、この田舎まで落ち延びて来た。そして、読み書きができるからと、屋敷で様々な記録を書き残す仕事を得た。

 そこで代官に見初められ、何度も言い寄られてはやんわりとかわして来た。

 この国ではありふれた話だ。それだけのことでしかない。

 ただ一つ。夫の忘れ形見である、ベイオを除いては。


 思えば、成長が早かった。つかまり立ちも歩きだすのも早く、数えで二歳となった時には言葉も発していた。物心ついてからもずっと利発な子で、文字の読み書きもあっという間に覚えた。

 それが今年の春、さらに変わった。突然、教えたはずもない工作の才能を発揮し、あの手桶を作ったのだ。

 そして、その手桶を井戸端の女たちに「売り込んだ」のだ。


 自分でさえ溶け込めなかった村の女たちの輪の中に、あの子はごく自然に溶け込んだ。

 そして今。あろうことか、代官に堂々と物を申している。たった六歳の子供が、まるで成人した大人のように。気まぐれひとつで、自分たちの命を好きにできる権力者に向かって。


 ベイオ……お前は誰なの?


 ちらっとエイジャに向かって微笑みかける息子ベイオ

 ベイオは心の中で母に語り掛ける。


 大好きなお母さん。でもね、僕なら大丈夫。

 ……もう、大きいんだから。


 ベイオの母は二十代前半。ベイオ自身は六歳だが、日野清として生きた前世を加えれば、同年代だ。

 就職の面接では、この代官よりも年上で、この村の人口より多くの社員を抱えた会社の社長さんが相手だった。

 だから、できるはず。正面に向き直る。


 代官は突然の問いに戸惑っていたが、すぐに居住まいを正し……つまり、よりふんぞり返って、尊大に答えた。

「良い。申せ」


 一礼して、ベイオは言った。

「銅銭二千枚とは、材木をどれだけ伐採した分なのでしょうか?」

 極めて基本的なことだが、今までにそのような説明は一切なかった。


 代官は小首をかしげた。二重顎がくびれる。

「数か。ちょっと待つが良い」

 身体を捻り、斜め後ろに立つ文官に何かを言いつける。文官は平身低頭して、手にした書類をめくる。そして何事か代官に告げると引きさがった。


 おほん、と咳ばらいをし、代官は答えた。

「それは、この屋敷の柱、二本分に当たる」

「そうでしたか。ありがとうございます」

 ベイオは深々と頭を下げる。

 そして、再び顔を上げると、満面の笑みで答えた。


「でしたら、その税を納めるのは、僕ではなく、お代官さまです」


 周囲が凍り付いた。もう夏も近いというのに。


 呆気にとられた顔の代官だが、次第に赤みを増し、険しい表情となる。

「……今、なんと申した?」

 頬や顎の下のたるんだ肉がぶるぶると震える。

 しかし、ベイオは臆することなく答えた。


「僕は一本も伐採してませんから」


 ベイオは屋敷の庭の片隅を指さした。そこには建築中の大きな建物があった。かなり立派な離れだ。

「なぜなら、お代官様のお屋敷で使う木材は、非常に太い柱や幅の広い板材なので、そこから出る端材や廃材だけで充分だったからです」


「廃材……じゃと? これを、廃材で作ったと申すのか?」

 代官は足元の手桶を手に取り、振りかざした。

 ベイオは微笑みながら答えた。


「はい。最初のころは、丸い樹木から四角い柱を切り出した端材で作りました。ただ、出来れば幅が広い板が欲しかったので、木こりのオジサンに、僕のために木を切ってくれないかと頼んだのですけど」

 ベイオはにっこりと微笑んだ。

 毎朝、井戸端の「お姉さん」たちを魅了している笑みだ。


「結局、必要ありませんでした。木材を切り出そうとした一本の真ん中へんに、が入っていたんです」

 樹木の成長途中にヒビが入り、内部で腐敗が進んだものだった。こうなると強度が大きく落ちるので、柱には使えない。

「一本伐採して、半分に切って柱にするときに、そうなってるのが分ったんです。オジサンは、捨てるしかない、と言ってたので、それを貰いました」


「……すると何か!? 自分では伐採していないと申すか!?」

 代官は鼻息も荒くそう言った。

「はい。お屋敷の方が確認に来られて、これは捨てて別な木を切れ、とおっしゃってました」

 ベイオの答えに、代官はもの凄い剣幕で傍らの文官を睨んだ。気の毒な文官は、必死に書類をめくった。

 その文官を見て、ベイオは思った。


 いいなぁ。僕も紙が欲しいな。


 この国では、紙は貴重だった。そもそも、識字率が低いので、需要が少ないからだ。ベイオが文字を覚えたのは、地面や竹の葉に棒きれで書くことでだった。

 紙が無くては、設計図を引くことができない。手桶くらいならまだしも、今作りたいモノは、ちゃんと設計しないと無理だ。


 やがて、文官は探していた記録を見つけたようだ。きちんと記録を残しているというのは素晴らしい。そう思ったベイオは知らないが、それを書くのが母エイジャの仕事だった。

 文官に耳打ちされると、代官は「むぅ」と唸って目を閉じ、黙り込んだ。

 しばらくして目を開くと、妙な薄笑いを浮かべて言った。


「お前。わしのために、これと同じ手桶を作れ。それで今回のことは不問といたそう」

 随分と偉そうだが、この国の官吏と言うものはそうなのだろう。ベイオはそう思うことにして、丁寧に質問した。


「おいくつ必要でしょうか?」

「百だ。期限は一カ月」


 ……随分とまた、きついノルマだな。

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