第57話 みたび、夢

 隣で寝ていたファランが急に飛び起きたので、ベイオはびっくりして目を覚ました。

 まだ夜明け前。部屋は暗いが、窓の外が薄明るくなってきていた。反対側のアルムは熟睡している。


「なに……どうしたの?」


 震えているファランの姿に、眠気は一機に吹き飛んだ。


「夢……老師さまが……」


 びっしょりと汗をかいていて、瞳は恐怖に見開かれていたが、とぎれとぎれに彼女は話しだした。


 場所は北方の戦場。老師と敵側の呪法師が、激しい呪法合戦を繰り広げていた。その最中、巨大な龍が襲いかかり、二人をひと飲みにする。


 ベイオが聞きだした、夢の概要だ。


「助けたいけど、どうしよう。戦の中に飛び込むなんて無理だし」

 中味は大人でも、体は見たままの子供でしかない。


「女官を呼んでくるから、ファランはここで待ってて。アルムが寝てるし。それと、ゾエンさんに話してくる」

 幸せそうに眠る幼女を起こさぬように、ベイオは静かに部屋を出た。

 まず厨房の方に顔を出すと、女官の一人イスルが、下女たちに朝餉の準備を指示していた。

「姫さまが夢を……すぐに参ります」

 あとは彼女に任せて、ベイオは厨房を離れた。


 ゾエンの部屋に向かったが、彼はいなかった。下男を呼び止めて尋ねると、朝早くに馬で出かけたと言う。


 ……そうだ、お母さんを迎えにいくと言ってたっけ。


 ファランとの婚約のためだ。ベイオの母親がゾエンと再婚すれば、ベイオの父として後ろ楯となれる。


 ……お母さんの気持ちが一番だけどね。


 今はファランの夢の方が先だ。

 ゾエンがいないなら、他の大人たちに相談するしかないが……。


 まずは、大人筋肉組の部屋を覗く。

 イロンとボムジンは、思った通り酔いつぶれて寝ていた。空になった瓶の数から、屋敷中の酒を飲み尽くしたようだ。

 ヤノメはボムジンの腕の中で微睡まどらんでいたが、ベイオに気付いて目を開けた。

「おはようございます、ベイオ」

 眠るボムジンを気遣ってか、小声だ。

「おはよう、寝てていいよ。起きたら話がある」


 ……そもそも、あの二人に頼むとしたら、老師救出の実行部隊の方だし。


 ヤノメなら色々知っていそうだが、彼女に話すとなると、まずファランの見る夢がどういうものかから説明することになる。


 次に、獣人組だ。彼らは庭の片隅にある納屋で寝起きしている。

 屋敷に上がろうとしないのは、生活習慣の違いらしい。食事の作法からして異なるので、窮屈に感じるようだ。

 この辺り、ヒト族との混血で、ベイオの母に育てられたようなアルムとは差が出る。

 普段は彼女も父親とこちらで寝るので、夕べのはぐずった挙げ句のわがままだ。


 ……ずっと一緒に寝るとか、言い出さないよな?


 確信が持てない。


 しかし、今はファランの見た夢だ。獣人族なら、もしかしたら何か思い当たることが有るかもしれない。


 ベイオが納屋を覗くと、彼らは既に起きていた。


「龍、ですか……」

 ジーヤが腕組みをしてつぶやいた。

 発音を気にせず、麗国語を話すようになってくれて有難い。

「我らの一族の神話にも、龍は現れます。我らの先祖は龍に導かれ、この半島に来た。我らはここに残り、他のものは海を渡った、と」


「実在するのかな?」

 ファランの見る夢は、必ずしも起こることそのままではない。顔のない獣がそうだったように。

 だから、老師と敵側の呪法師を飲み込むのが、実在する龍とは限らないのだ。


「わかりません。***、どう思う?」

 ジーヤはアルム父に問いかけた。やはり、獣人語の名前は聞き取れない。

 アルム父はしばらく瞑目し、目を開いて答えた。


「我らは呪法が使えませんが、呪力やその流れである気脈は感じ取れます。その気脈は、形に表すと、龍のように見えます」


「そうか、だから龍脈とも言うんだね」


 と言うことは、一度に呪力を大量に使ったために、その龍脈に何かが起きるのだろうか? そう思ったので二人に話してみたが、はっきりした答えは出なかった。


 ……仕方ないか。学問として学んでる訳じゃないし。


 獣人たちは体で覚えてるのだ。人の体が覚えてるものは、頭で理解しようとすると非常に高度なものもある。


 ……機械工学科が卒業製作で作ったロボット、凄かったな。


 普通に歩く事がどれだけ大変か。親友の一人が熱く語ってくれた。だから、呪力での身体強化は、呪法として行うなら相当複雑なものになるはずだ。

 それを、アルムのような幼児でもやってのけるのだから、獣人は凄い。


「ペイオ。助けに行くのか?」

 ジュルムが金色の目で問いかけて来た。


「もちろん、助けたい。でも、具体的に何が起こるのかもわからないのに、戦場にのこのこ出て行けないよ。まずは、何とかして知恵を集めないと」


 思えば、老師の知恵や知識にどれだけ助けられたことか。ゾエンもその弟子だけあって、色々教えてくれた。その二人の不在が、これほど痛切に感じられたことはない。


 ……村にいた時とは、全然違うな。


 熊侍のガフに都に連れてこられたのが、二ヵ月かそこら前だ。それまでは、身の回りの事、身近な人のことを考えていれば良かった。

 間違っても、龍なんてものを相手にするはずがなかった。


 ……やっぱり、ヤノメさんに頼るしかないか。


 出会ったのが昨日。それでも、少し話しただけで彼女が呪法に関して詳しいことはわかった。

 何より、夢に具体的な人物が出てくるとなると、時間的な余裕がない。ファランがそのことを気にしていた。叔父が死ぬ夢と、ベイオが殺されかける夢。どちらも、ほんの二、三日で起きている。


 あとでまた来ると告げて、ベイオは母屋に戻った。そろそろ日が昇る。


 広間に入ると、イロンとボムジンが起き出していた。ヤノメもいる。


「ベイオ。姫さんが夢を見たんだと?」

 イロンが聞いてきた。

 女官たちの会話で知ったらしいが、彼はまだ、ファランの夢がどんなものか知らないのだろう。怪訝な様子だ。


 ボムジンの方は硬い表情だ。ベイオ救出に加わったので、夢のことは知っている。

 そのファランの姿はない。まだアルムは寝てるのだろう。


「その事で、ヤノメさんに相談があるんです」

「あら、わたくしに?」

 ヤノメはボムジンに寄り添っていたが、居住まいを正した。

 そこでベイオは、ファランから聞いた夢を一同に話した。


「……未来を予知する夢ですか。それはまた、難儀なものを」

 想った通り、ヤノメは色々と知識がありそうだ。

 そして、意外な事を語り出す。


「夢に出てきた龍は、実在します」

 断言したのだ。


「神話や伝説だけの存在じゃないんですか?」

 ベイオは、アルム父の話しを伝えた。


「確かに、それも龍です。実際、歴史上の天変地異で目撃され、歴史書に記述されているほとんどがそれでしょう」

 彼女はすらすらといくつかの事例を語った。どれだけ覚えているのか、ベイオは感心した。


「しかし、これらは虚像のようなもの。本体から流れ出た呪力が、そうした形を取っているだけです」

「じゃあ、今回のはその本体が?」

 ヤノメはうなずいた。


「気脈を流れる龍は、あくまでも呪力が形を成したもの。それ自体に意思はありません。人を襲うような行動はとりようがないのです」


「では、やはり老師さまは……」

 部屋に入って来るなり、ファランはつぶやいた。顔が蒼白だ。

 ベイオは立ち上がり、そばに寄った。


「大丈夫? 寝ていた方が――」

「平気よ。それより、時間がないわ」

 ファランはヤノメに向き直り。

「龍のこと、どうか詳しく教えてください」

 深くお辞儀する。

 ヤノメも返礼した。


 と、ベイオの袖が引かれる。アルムだ。


「ベイオ、なにがあっただ?」

 きょとんとしている。

 何も聞かされていないのだろう、アルムは事情がわからないらしい。

 ベイオがかいつまんで説明する間、ファランとヤノメの会話も続いた。


「龍は知能が高い神獣です。人語も話します」

「では……」

「話せばわかるでしょう」


 話せばわかる。そう言った総理が、戦前にいたらしい。


 ……確か、その直後に暴漢に殺されちゃったんだよな。


 残念ながら名前が出てこない。日本史を教えてくれた「みやまさ」先生が、草葉の影で泣いているだろう。


 ……勝手に殺しちゃダメだよ。


 すみません。


「どうするにせよ、ここにいたら話し合いにもなるめぇ?」

 イロンがぶちまけた。

「ここから戦場まで、何里あるか知らんが遠いんだろ? なら、早く出かけねぇと」


 ……そうだよね。時間との戦いでもあるんだ。


 ベイオが殺される夢の時は、すぐさま出発したので間に合った。あと数時間遅れていたら、手遅れだった。


「戦場は北都より北のはず。まず北都まで行って、ディーボン軍に詳しいことを聞こう」


 基本的な方針はまとまった。

 後は、人選だ。

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