第68話 嵐

「大きな嵐が来るようじゃな」

 易を占い終えて、シェン・ロンはつぶやいた。

「やはりな。こちらも同じだ」

 ギョレンも、筮竹ぜいちくの数を記録した算盤さんばんと「易経」の表を見比べながら、それに答えた。

 朝、雲行きが怪しいので気になり、二人で占うことにしたのだ。

 前世で言うところの台風だ。


「雨が降れば、日照りにとってはありがたいが、水害が気になるのう」

「風の被害も相当なものになりそうだ。都に警報を出した方がよい」

 ギョレンの指摘はもっともだが、シェン・ロンはさらに気になることがあった。


「ジョルラ道の方が先……いや、もう既に嵐が来ておるじゃろう」

「うむ……」

 半島の南西部の地域だ。

 警報を伝えるために早馬を飛ばしても、まず間に合わないだろう。むしろ、途中で嵐に巻き込まれれば伝令の身が危険だ。

 まさに、こんな時のための光連絡網なのだが、まだ帝都と北都を結んだだけだ。


「これは、ベイオが黙っておらんな」

 シェン・ロンが、半ば諦め顔でつぶやいた。

 幼いながらも、いや、だからこそ純粋な彼は、民草の不幸を見て見ぬふりは出来ないのだ。


「嵐が通りすぎたら、救援隊を送る」

 朝食の席で嵐の予報を聞き、ベイオは宣言した。

「しかし、帝都にもかなりの被害が予測されますが――」

 ゾエンの異議は、途中で遮られた。


「北都から帝都に救援を送ってもらえばいいよ。あそこはかなり北だから、被害は少ないでしょ。今のうちに光通信で頼んでおけばいい」

 そこまで一気に捲し立てた上で、さらに。

「あと、僕も行くからね」

「ベイオ……」

 母親のエンジャが、息子の身を案じてつぶやく。


「心配しなくて大丈夫だよ、お母さん。危険な場所には行かないから」

「でも、災害があると人心が乱れて、治安が悪くなると――」

「だからこそ、行くんだよ」

 ベイオは、できるだけ穏やかな口調で、母の心配を遮った。


「災害で人心が乱れるのは、こんなに辛くて大変なのに、誰も気にかけてくれないと思うからじゃないのかな」

 居並ぶ全員を見渡して、続ける。

「僕はただの子供でしかないけど、この国の皇帝なんだ。僕がいるところは、この国で一番、大事にされるんだよ」

 もう一度、全員の顔を見回す。


「だから、この国の民が辛くて大変なとき、僕はそこにいなきゃいけないんだ。みんなを大事にしてるって、伝えるために」


 今までの国王は、宮城でふんぞり返っているだけだった。

 都に住んでいてさえ、ほとんどの民は国王を見たこともなかっただろう。初めて目にしたのが、自分達を見捨てて逃げ出すときだとは、酷すぎる。


 だからこそ、自分はそうならない。

 何があろうと、民に寄り添う。

 それだけが、民衆を顔のない獣にしないための、たったひとつのやり方なのだから。

 ベイオの脳裏に浮かぶのは、前世のテレビで見た「陛下」の姿だった。災害があるたびに現地に出向き、被災者に寄り添う。


 あれこそが、自分が目指すべき理想の姿、国の有り方だ。


* * *


「それでも、ここまで酷いとはなあ」

 ベイオは残骸を見上げてため息をついた。

 空はまさしく台風一過の快晴。なのに泣きたい。

 建築中のボムジンの家が、潰滅したのだ。


 何と言っても、タイミングが悪すぎた。

 ボムジンの家は、日本で学んだ伝統的な建築方式の「軸組工法」で建てていた。土台の上に柱を建て、先に屋根を作ってから壁を囲い、内装を仕上げる。

 日本と同じか、それより雨の多いこの土地に適したやり方だったはずだ。


 しかし、ちょうど南を除く三方の壁が出来たところで、嵐の直撃を食らってしまったのだ。壁がなければ吹き抜けるだけだったろうに、遮られることで屋根を吹き飛ばしてしまったのだ。

 危険を感じて、厚手の麻布で開口部を覆っていておいたのだが、風の威力は予想以上だった。


「仕方ないね。屋根のかわりに布で覆っておいて、災害復旧か進んだら工事を再開しよう」

 まずは、救援と復旧が先だった。周囲にも、屋根を飛ばされた家が目立つ。台風の勢いが強かった南部がどうなっているのか。考えただけで、いたたまれなくなって来る。


 その日の昼、北都からの救援隊が到着した。ほぼ同時に、帝都から南部に向かう救援隊が出発する。

 どちらも主力はディーボン軍だった。


 


* * *


「わたくしも参ります」

 救援隊を出すと決めた朝。ファランがそう主張した。


「いくらなんでも、危険――」

「皇帝陛下が行幸なさるのに、皇后が引きこもってはおれませんわ」

 ベイオが引き留めようとしても、彼自身の論法で全て覆された。


「何より、ベイオよりわたくしの方が顔を知られてますから」

 それを言われると、もはや反論のしようがない。彼女の顔を銅貨に刻んで、国中に流通させた張本人なのだから。

 今のファランは、この世界でももっとも顔の知られた皇后に違いない。

 既に、通貨の単位にすらなってしまっている。雑穀餅が十ファラン、麻布が百ファラン、というように。


「わかったよ、一緒に行こう」

 ベイオも折れた。

 何よりも、彼の理想とする「陛下」の傍らには、常に「皇后さま」が寄り添っておられた。


「なら、おらも行くだ」

 当然のように、アルムまでそう言い出す。


「ファランの護衛するだ。女だからいつも一緒にいられるだよ」

 同様に、ベイオの警護はジョルムとなる。

 断る理由が思い付かず、ベイオは受け入れるしかなかった。


 皇帝と皇后の乗る車は、馬ではなくジーヤとアルム父の獣人大人組が引く。言葉が通じるし、機転もきく。いざとなれば馬ですら追い付けない速度が出せる。

 しかし、乗り心地は良くない。

 元は、ファランが都の住民を慰撫するために乗っていた車だ。これを急遽二人乗りに改造したのだが、顔がよく見えるように座席が高い位置にあるのだ。

 お陰でかなり揺れる。


 アルムとジュルムは、車の左右に掴まって立ち乗りだ。座席の二人を護るため、背中に大きな盾を背負っている。


 ……なんか、昔アニメで見たような気がするな。


 こんな風に、男の子と女の子を両側に乗せて走る主役メカが出てくる、コミカルなものだった。


 その日は、帝都から南へ四十キロほど下ったロンジンという町まで進み、ここで一泊となった。救援物資や人員を運ぶ牛車は遅いので、夜通し進んで朝に追い付く予定だ。そこで牛を代えて、休まず進むことになる。


 半日、高い座席で揺られたせいで、ベイオはすっかり乗り物酔いになってしまった。ファランはなれているのか、何ともない。


 ……情けない皇帝だな。


 そんなことを思いながら、ヤノメに治癒の呪法をかけてもらう。明日の酔い止めも含めて。


 彼女には、現地で治療を行う呪法師として同行してもらった。ボムジンには申し訳ないが。

 心配した夫婦仲だが、彼は一晩寝れば吹っ切れる性格だ。それまでが、飲んで泣いて大変なのだが。


 翌朝、一行はロンジンの町を出た。


「夕べは暗くて見えなかったけれど、ここも被害が大きいわね」

 隣のファランが声をかけてきた。

「そうだね。人員と物資を一部、残していこう」

 車を止めて、傍らを馬で進むディーボン兵に指示を伝える。ガフから一部隊を借りたのだ。

 こんな時には、統率のとれた軍隊のありがたみが身に沁みる。


「麗国軍も再編しないとな」

 いつまでもディーボン軍に頼り続ける訳にはいかない。属国ではない帝国を名乗る以上は。

 しかし、これは難航している。何しろ、この国には軍事に関する知識も経験もない。不足どころか、存在しないのだ。

 建国以来ずっと、安全保障を宗主国である中つ国に頼りきりだった。その上、反乱を恐れて軍備を蔑ろにしてきた。

 麗国軍の弱さは、一朝一夕に出来上がったものではない。


 ベイオにしても、軍事面の知識はほとんどない。日本史を教えてくれた「みやまさ」先生なら、色々知ってただろうに。


 ロンジンでは沢山の住民が一行を見送ってくれた。彼らに手を降りながら、幼い皇帝と皇后は先を急ぐのだった。


 南へ進むにつれて、災害の爪痕が増え、規模も大きくなる。


 まさに、前途多難。


 しかもそこに、第二の嵐と言える知らせが飛び込むことを、まだ誰も気づいていなかった。

 

 

 

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