第69話 もう一つの嵐
南に下るにつれ、被害は甚大となっていった。ある村では、ほとんどの民家が倒壊してしまっていた。また、川が氾濫してかなり広い地域が水浸しとなっていた。
その場所ごとに援助物資と救助の人手を残しつつ、ベイオの一行は被害が一番大きいと予想された、ムジュ郡へ到着した。
ムジュ郡はこの国で一番豊かな穀倉地帯だが、それだけに嵐の爪痕は一段と厳しかった。豊かな水源である川が、大規模な水害をもたらしたのだ。
「救援って、やりだしたら終わりが見えないね」
皇帝の行幸に歓呼の声で迎える人々に手を降りながら、ベイオはファランにささやいた。
「本当にね。一刻も早く、こんな苦しみは終わらせたいのに……」
彼女の瞳は、親を失った子供たち、子を失った親たちを群衆の中に見出していた。
カツン、と音がした。ファランの前に出たアルムが、盾で投石を弾いたのだ。
群衆の片隅で声が上がる。
「この嵐は、皇帝の不徳が招いたのだ!」
あちこちから、同じような声が上がり、
ベイオはファランをかばって身を寄せた。しかし、自身はあえて避けることも、身をかがめることすらしなかった。
ついに、礫の一つがベイオの額に当たった。
「ベイオ!」
ファランが悲鳴を上げ、アルムたち獣人は周囲に殺気を放つ。
気圧された群衆は、静まり返った。
「僕は大丈夫。みんな抑えて」
そう言うと、ベイオは車の上に立ちあがり、背後の車列に乗るヤノメに向かって頷いた。
ヤノメは頷き返すと、静かに呪文を唱えだしだ。
「皆さん、聞いてください」
声を伝える呪法により、ベイオの声があたり一帯に響き渡る。
起き上がったファランが、ベイオが額から流れるに任せてる血を、布で拭う。
そして、彼は語り出した。
「見ての通り、僕は無力な子供です。それでも、この国の皇帝です。だから僕は、逃げません」
群衆は誰もが思い起こした。ディーボン軍を恐れて、真っ先に逃げ出した前国王の事を。
「僕は逃げません。だからここは、今より悪くはなりません。良くなるように、僕は一生懸命尽くします。僕は、皇帝として、皆さんを助けたいんです」
語る言葉は、平民と何ら変わらない素朴なもの。だからこそ、群衆の心にはすんなりと受け入れられたのかもしれない。
「食料も薬も、沢山持ってきました。足りなければ、さらに持ってきます。食べて、傷を治して、一緒にこの地を住みやすい場所にしていきましょう」
騒ぎは収まり、群衆は若き皇帝の前に跪いた。
「それでは、食料を配ります。列に並んでください。薬や治療が必要な人は、別な列で」
それ以後は混乱もなく、食料の配給と治療は粛々と行われて行った。
しかし、投石や非難を口にした者への追及は行われなかった。ベイオが「無罪放免」としたためだ。
「それでは、今後も繰り返すのでは?」
警護にあたる獣人の部隊長はそう言ったが、ベイオは首を振った。
「不満や不安を力で抑えたって、消えて無くなるわけじゃないから」
それらを拭い去ることこそ、今の自分にできることだ。そう、ベイオは思うのだった。
* * *
その夜。ベイオたちの一行は、郡守の屋敷に逗留した。
「アルム、ごめんよ」
ベイオはファランやヤノメと屋敷で休むが、アルムは獣人組と一緒に納屋となってしまう。半島南部の獣人差別はかなり緩いとはいえ、まだまだ厳しかった。
「気にしないだよ。おとうも一緒だし」
けなげな笑顔のアルムだが、ちょっとだけ上目遣いで付け加えた。
「ぎゅっと……してくれるだか?」
「もちろんさ」
そっと抱きしめると、アルムの尻尾がパタパタと降られた。
そして、郡守が開いたささやかな歓迎の宴の後、一同は眠りについたのだが。
「ベイオ、起きてください」
「……ヤノメさん?」
呪法の明かりに照らされた顔には、緊張が見られた。
「ディーボン兵の宿営で、騒ぎが起きてます」
「いったい何が?」
ヤノメは呪文を唱えたのち、耳に手を当てて何かに聞き入っていた。昼間使っていた、声を伝える呪法のようだ。
「先ほど、早馬が着いたようです。……太閣さまが亡くなった、と言っていますね」
……太閣って、この世界の秀吉?
それは、もう一つの嵐がこの国に吹き荒れる、予兆であった。
* * *
翌朝。ディーボンの部隊長がベイオのいる郡守の屋敷を訪れた。心なしか、その獣の耳は垂れ下がっていた。
開口一番、ベイオは告げた。
「太閣様の御崩御、お悔やみ申します」
「……いつそれを」
驚く部隊長に、ベイオは傍らのヤノメに頷いてから答えた。
「うちには、耳のよい呪法師がおりますので」
それで納得したのか、部隊長は話を進めた。
「早速ですが、わが部隊に撤退命令が下りました」
それは、ベイオが一番危惧していたことだった。
「それはまた急ですね。まだ、この地での救援作業は始まったばかりです」
そして、撤退はこの部隊だけではないだろう。麗国中に進駐しているディーボン軍全てが、この国を離れることになる。
しかし、当面はこのムジュ郡の被災者が第一だ。
「そこは我々も残念に思いますが、上からの命令なので……」
部隊長も不服ではあるようだった。
と、傍らのファランがベイオに向かって告げた。
「わたくしが救援活動を続けますから、陛下は都にお戻りください」
「ファラン……それじゃ君が」
危惧するベイオに、ファランは微笑んだ。
「アルムが守ってくれます」
「なら、わたくしもファランのそばにいましょう」
ヤノメがファランの肩を持った。
「万が一の時には、この身を変えて」
……それ、龍になるってこと? 暴れないでよね。
ベイオは、富士山を噴火させたという母娘喧嘩を思い起こした。
「皇帝陛下として、国難に当たってください」
ヤノメにまでそう言われると、もはや断りようが無かった。
「ベイオの代わりに、ファランをまもるだ」
けなげにそう答えるアルムに見送られ、ベイオはジュルムが引く車に乗り、ディーボン部隊と共に都へ向かった。
後ろ髪を引かれる思いで、何度も振り返りながら。
* * *
「やっぱり、戦になるのか……」
宮廷の代わりとなった迎賓館。即位の儀のあったあの広間で、未だに馴染めない玉座についたベイオは、居並ぶ閣僚からの報告を受けてつぶやいた。
都に戻って数日。各地からディーボン軍の撤退が伝えられる中、恐れていた動きが北部の国境近くで見られ始めたのだ。
「あの龍門の災厄でなりを潜めていた、中つ国からの派遣軍ですが、ここへきて南下を始めてます」
ゾエンの言葉に、ベイオは問いかけた。
「今、こちらの軍備は?」
ゾエンはうなだれ、首を振った。
「ほぼ、皆無に近い状態です」
そうだろう。前国王に従っていた兵は、ほとんどが逃げ去ってしまっている。
かろうじて、ディーボン軍と直接戦う機会の無かった水軍は、まだ形を成してはいる。それでも、水軍に陸に上がって戦えと言うのは、余りにも無茶な話しだ。
ディーボン軍が駐留しているうちに、なんとか自国軍を再建するつもりだったが、神々か誰か分らないが、そんな余裕を与える気はないらしい。
ル・セイロンがゾエンの言葉を継いだ。
「今はまだ、北部のディーボン軍がけん制してくれていますが、彼らの撤退が本格化すれば、一気に北都まで攻め下って来るでしょう」
そこまで語って、セイロンはベイオの顔をじっと見つめた。
……また、試されてるな。
そう思いつつ、問いかける。
「撤退の本格化まで、あとどのくらい?」
「およそ、半月かと」
あと二週間しかない。
「……わかった」
こちらの兵力は、ほぼゼロ。それで、数万の敵軍を押し返さなければならない。もしかしたら、それ以上の数の敵を。
……手がないわけじゃない。だけど。
それは、この手を汚すことになる。真っ赤な血で。
「……イロンを、呼んで」
そして、親友を巻き込むことになってしまうのだ。
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