第70話 兵器
「これは……武器じゃねぇな、もう。兵器だ」
ベイオの描いた図面を見て、話を聞いたイロンは、首を振りながらそうつぶやいた。
……大量殺戮兵器、だよね。
ぎゅっと手を握りしめる。そうしないと、震えてしまう。
イロンに作成を依頼したものは、連射できる多連装の
長さ一メートルほどの筒の中に、バネとそれにつながった突き棒が収められていて、この突き棒の先端に二十センチほどの鉄製の矢をセットする。突き棒を押し下げてロックし、ロックを外せば矢が発射される仕組みだ。
こうした構造のため、弩の洋名クロスボウの由来でもある、銃身の左右に出る弓の部分がない。単純な円筒形である。
これを約五十本束ねて一気に撃つ。バネを押し下げる力がもの凄く必要だが、獣人の筋力と梃子の応用で強引に解決する。矢の装填も、あらかじめケースに入れておいて先端にセットするだけ。
当然、全体の仕掛けは大掛かりで重くなるため、専用の車に乗せて運ぶことになる。
射程距離は、軽く百メートルは超えるだろう。ディーボン軍の鉄砲には劣るが、連射性ははるかに勝る。
この連装弩一基で、約五十本の矢を毎分四回打ち出せる。必要な人員は、バネを押し下げるのに一人、矢のケースをセットするのが一人。
つまり、二人で五十人の射手に相当するわけだ。熟練を要するわけでもないので、獣人なら誰にでも扱える。
「何基……作れるかな?」
「仲間を総動員して……十基かな」
弓の名手が五百人。毎分、二千本の矢が降り注ぐことになる。数万人の敵軍でも、手痛い打撃になるはずだ。
あとは、どこで使うかだ。
* * *
「やっぱり、ここしかないか」
ベイオが立つのは、広い河岸を見下ろす丘の上だ。
北部から南下するためには、この河岸のあたりで河を渡らないといけない。ここより下流では別の河が合流するため川幅が広くなり、上流は谷が狭まっていて大軍では動きが取れなくなる。
そして、矢を射かけるなら高台の上が適している。
「そうじゃな。敵も河を渡るときは自由に動けんし」
傍らに立つシェン・ロン老師が、ベイオのつぶやきに答えた。陸に上がれば陣形を整えないといけないので、密集することになる。重武装のまま河に落ちれば溺れてしまうから、盾や兜も外しているはず。
一斉射撃の的には最適だ。
しばらく川面を眺めた後で、老師は幼い愛弟子に声をかけた。
「辛いか、ベイオ」
「……はい」
平和な日本で暮らした前世も、生まれ変わってこの国で暮らした日々も、争いとは無縁な毎日だった。少なくとも、自分が戦いに関わることは無かった。
しかし、今回は違う。
自分が設計し、親友のイロンに製作を依頼した「兵器」が、人を傷つけることになる。いや、沢山の命を奪うことになる。
「人を殺めるのは恐ろしいことじゃ。しかし、そうしなければさらに多くの命が奪われる」
「はい……頭ではわかってます。わかってはいるんです」
それでも、堪え難いことはやはり、堪え難い。
* * *
数日後。連装弩の第一号が完成した。
直径十センチの金属製の筒を、縦横に七本ずつ並べ、荷車に載せたもの。荷車の後端には、筒の中のバネをまとめて引き絞るための、大きなハンドルがついていた。
もう一台の荷車には、矢をセットしたフレームが載せられていた。
早速、試射が行われた。
的は、百メートルほどの距離に建てられた分厚い木の板だ。
車止めで荷車を固定し、射手の獣人がハンドルを回す。充分、バネが引き絞られたところで、カチリと音がしてロックされた。装填手が矢のフレームを先端にセットすると、射手は引き金のレバーを引いた。
ガッと音がして、突き棒にフレームから叩きだされた矢が飛び出し、的を粉砕した。
まさに、粉砕だった。鉄製の矢は的を貫通し、板は粉々になった。
「……今度は、倍の距離でやってみよう」
喜ぶでもなく、淡々とベイオは言った。
試射は繰り返し行われ、三百メートルの距離でも、深々と矢は突き刺さった。
この連装弩とは別に、単発の弩も作られた。こちらは自衛用で、至近距離に迫ろうとする敵を撃退するためのものだ。
「こっちは、バネをもう少し弱くして、早く引き絞れるようにしないとね」
細かい改良点をいくつかイロンと話した後、ベイオは屋敷に戻った。そして、自室で寝床に倒れ伏した。
「ベイオ、夕食は?」
起きてこない息子を心配して、エンジャが様子を見に来た。
「いらない……食べたくない」
母にそれだけ言うのが、やっとだった。
* * *
そして、連装弩がすべて完成し、射手と装填手、護衛の訓練も完了した。
北都からの光通信では、河の渡航地点に中つ国の軍勢が迫っていると伝えて来た。
そして、こちらから送った和平を申し出る書状には、何も返事が無かった。
敵将のリウ・ジョショの意図は、考えるまでもない。
「では、皆さん。迎撃をよろしくお願いします」
簡単すぎる言葉だが、獣人たち一人ひとりの顔を見ながらベイオは訓示した。
皆、緊張はしているが明るい顔だ。
「どうぞ、お任せください」
指揮官に任じられたル・セイロンが、恭しくかしずく。
……全員、無事に帰ってきてほしい。
そう願いつつも、その結果が示すことは、今は考えない。
そしてベイオは、セイロンがその部下と北へ向かうのを見送った。
その足で、もう一組を見送りに行く。
「こんな時に、何も力になれず申し訳ない」
珍しく、熊侍のガフが頭を下げた。通訳はラキアがやってくれた。
「おかしなものだね、占領軍が撤退するのに、謝るなんて」
無理して微笑むベイオに、ゾン・ギモトが答えた。
「中つ国と敵対したのは、我らですからな。なのに、奴らを前にして逃げるように帰国せねばならぬとは」
苦汁の決断だろう。
既にディーボンでは、太閣の跡目を狙う権力闘争が始まっている。いずれはそれが、この世界での関ケ原の戦いに収斂していくのだろう。
彼らは逃げ帰るのではない。別な戦いに臨むのだ。
「まぁ、俺っちはまだ当分、こっちに残るからよ」
屈託のないラキアの笑顔に、ベイオは少しだけ救われた気がした。
* * *
中つ国の将軍、リウ・ジョショは戦意を漲らせていた。
あの訳のわからない「龍門」とか言う異変のせいで、前回の戦はうやむやになってしまった。その間に、麗国の国王はさっさと亡命してしまった。
その意味では、最早これ以上この地に留まる必要はない。
……ないのだが。
「冗談ではない。このまま、おめおめと帰れるものか!」
リウ家は中つ国の名家で、彼はその次期盟主だが、その利権を狙う敵は内外に数多くいる。兵に損耗を出して、わざわざ招聘したジョ・レンギャ師まで捕虜にされたままでは、大失点となってしまう。
なんとしても、損害に見あった成果を勝ち取らねばならない。
そこへ、なんと身の程知らずな「皇帝」を僣称する者が現れ、厄介なディーボンどもが撤退を始めたと言うではないか。
戦う名目と、難敵の不在。
「これぞ天命。この地を平定し、わが領地としてくれよう。偽りの王を討ち滅ぼし、真の皇帝の威光の下に這いつくばらせてやる!」
そんな彼の下には、何度も麗国皇帝の名で書状が届いたが、毎回、持参した使者ごと切り捨ててきた。
そして、彼の軍勢はただの一度も敵兵の姿を見るとこなく、北都のすぐ北を流れる河のほとりまで到達した。
「皆の者! この河を渡れば北都だ。酒池肉林が待っておるぞ!」
軍勢が歓声で沸き返る。最初から略奪する気満々だ。それが中つ国の、ひいてはこの世界の軍だった。
占領地をまともに運営しようとしたディーボンは、極めて例外なのだ。
そして、リウ・ジョショは麗国軍を侮っていた。今までの体たらくだ。それも当然だろう。
だから、彼は何の警戒もなく船に乗り、真っ先に河を渡った。もちろん、重い装備は外し、身軽になって。
渡り終えると、後続を待つ間、傘を立てて日陰に座り、優雅に詩吟などにふけった。周りの警戒なぞ、必要あるはずもなかった。
だから、傍らに繋いでおいた愛馬が嘶いたとき、その意味を悟るのが一瞬遅れた。
その一瞬で、彼の運命は決まった。
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