第71話 命

「戦場で詩吟か。お主らしいと言えるのかもな、リウ・ジョショよ」

 それに比べてこっちときたら。

 そう、セイロンは愚痴らずにはおれない。


 待ち伏せのため、見つからないように丘の上に伏せているのだが、獣人たちは徹底していて、その上から刈り取った草木を被せたのだ。

 おかげで、日が上るにつれ蒸し暑くなり、ましてや薮蚊に刺される始末。とても風流とは言いがたい。


 しかし、せっかく相手が油断してくれるのだ。利用しない手はない。


 ……短い付き合いだったな、ジョショ。


 傲慢で野心家。セイロンばかりか、麗国国王にまでひざまずき拝すことを命じたほど。それでも、中つ国の送り込んだ救援だ。最後の希望だった。

 その相手を自ら討ち取る。皇帝ベイオの心中は、この一戦でけじめをつけろ、と自分に告げたいのだろう。


 ……あの年若い皇帝の資質を、わしは見極めようとしている。同じようにわしも、試されているのだ。


 ならば、答えて見せるしかない。その皇帝自らが産み出した、この恐るべき兵器で。


「攻撃準備!」


 セイロンの掛け声で、全員が草木の迷彩をはね除け、立ち上がった。連装弩に掛けられていた布が剥ぎ取られ、射手がバネを引き絞るハンドルを回し、装填手が矢を積めた箱をセットした。


 眼下の河原で馬がいなないた。リウ・ジョショは敷物から身を起こしたが、そこまでだった。


「撃て!」


 セイロンの号令で発射のレバーが引かれ、数百の鉄の矢が中つ国の軍勢に降り注いだ。


 ……さらばだ、リウ・ジョショ。


* * *


 ファランは車の高い座席から、村の広場に並ぶ天幕を見回した。大水で家を失った民らの、仮住まいの場。

 幼き姫に手を降る者たちの笑顔にも、落ち着きが見えてきた。救助活動は終わり、復興への長い道のりが始まったところだ。


「そろそろ、戻られてもよろしいのでは?」

 隣に立つヤノメがささやいた。

 長い黒髪を結い上げつつ、その先を垂らしている。夏風がその房を揺らしている。

 ファランが憧れる女性だ。深い知性と、溢れ出る情感、そして気品。


「そうですね。ヤノメさんも、ボムジンさんにお会いしたいでしょうし」

「そなたこそ、ベイオがおらず寂しいであろう?」


 ヤノメが顔を寄せてくる。


「特に、夜一人で寝る時とか」

「え? あ……」


 真っ赤になるファラン。貴族の娘は、女官たちから色々教えられていて、実は知識としては色々知っている。


 そこへ、盾を構えていたアルムが振り返って言った。


「おらも寂しいだ。だから、いつも夜はファランと寝るだよ!」


 にぱっと笑うその笑顔に、ヤノメはぷっと噴出した。


「ファラン?」

「い、いえ違います、ただ、寝るだけです」

「ほほう」


 再び、顔を寄せてくる。


「では、今夜はわたくしも一緒に」

「か、からかわないでください!」


 すぐにでも帰ろう、とファランは決心した。


* * *


「これ、何とかならないの? ゾエンさん」


 養父となったゾエンに、ベイオはぼやいた。

 皇帝にされてしまってから、色々と余計なことに時間を取られてしまう。話し合いや報告を受けるだけなのに、一々、金糸をふんだんに使った礼服に着替えて、迎賓館の謁見の間で玉座に座らせられるのだ。


 そのゾエンもまた、赤く染めた朝服をまとい、玉座の傍らに立っている。

 反対側には、盾を装備したジュルムが警護に立つ。


「権威には格式と言うものも重要なのです」

 と、ゾエンは取り澄ました顔で答えた。


 ……そうなんだろうけどさ。


 金糸の服はごわごわして、着心地は最低だった。金は皇帝のみが許される色。権威と言うのは、なんとも居心地が悪い。

 それに加えて、これから受ける報告が、気を滅入らせる。


 入り口の衛士が声を上げた。


「ル・セイロン殿が参りました」


 青い朝服をまとったセイロンが入って来た。背筋は伸び、目には光がある。

 玉座の前で、彼はひざまずいた。


 ゾエンが声をかける。


おもてを上げよ、ル・セイロン」


 顔を上げたセイロンは、静かな眼差してベイオを見上げる。


 ……正直、苦手なんだけど。


 そんな思いはおくびにも出さずに、ベイオは声をかけた。


「出撃、ご苦労様でした。首尾はどうでしたか?」

「はっ」


 恭しく礼をして、セイロンは答えた。


「お与えくださった連装弩の威力は凄まじく、最初の斎射で敵将リウ・ジョショを葬り、全て撃ち尽くしたときには敵軍は壊走、辺りは敵兵の死屍累々となりました」


 ……沢山、死んだんだ。


「遺体の埋葬は?」


 真夏に放置すれば、腐敗から疫病を招いてしまう。

 セイロンは答えた。


「はい。既に北都から人手を出し、塚を築いております」


 全て、望んだ通り。


 ……望んだ通り、なんだ。


 喉の奥から酸っぱいものが込み上げてくる。それを必死に抑えて、ベイオは言った。


「あらためて、ご苦労様でした。あなたも、獣人兵たちも無事で何よりです」

「はっ、もったいなきお言葉」


 恭しくこうべを垂れるセイロンにうなずき、ベイオは傍らのゾエンに言った。


「疲れたので、少し休みます」

「わかりました」


 一礼するゾエンにあとは任せて、ベイオは玉座を後にし、皇帝専用の出口に向かった。ジュルムがその後に続く。

 そして、ベイオは謁見の間を出たところでくずおれ、吐いた。


「ペイオ!」

 ジュルムが側に寄り、助け起こそうとするが、ベイオはその手を振り払った。


「沢山死んだ。僕が殺したんだ」

 止めどなく涙が頬を伝う。


「死んだのは、敵だろう? お前は、俺たちを守ったんだ」

 気遣うジュルムだが、ベイオはかぶりを振った。


「敵だって、人だよ。故郷には家族もいたんだ。殺さないで、追い返すだけでよかったんだ」 


 遠くで、人の声が聞こえた。警備の衛士が気付いたのだろう。


 ……立たなくちゃ。皇帝は、泣いてちゃいけないんだ。


 涙を拭いて、ジュルムの手を借りて立ち上がる。駆け付けた衛士に床の掃除を命じ、ベイオは屋敷に引き上げた。


* * *


「ベイオ、早かったのね」

 屋敷では母のエンジャが出迎えてくれた。

 ジュルムは気がかりな様子だったが、離れの方に立ち去った。


「お母さん」

 母の笑顔に気が緩んだのか、ベイオの瞳にふたたび涙が込み上げてくる。

「どうしたの? 何かあったの?」

 息子を抱き寄せ、エンジャは優しくたずねた。母の胸に顔をうずめ、ベイオはつぶやくように答えた。


「僕の作ったものが、沢山の人を殺したんだ」


 それだけで、エンジャは理解した。

 どんなに賢かろうと、皇帝という重責は重すぎる。女の細腕で包み込めてしまうほどの、この幼く小さな肩。そこに、この国の全てを背負わせてるのだから。


 エンジャは、腕のなかで震える息子に、静かに語りかけた。

「あなたは、私達みんなの命を救ったのよ。みんな、感謝してるわ」


 しかし、ベイオはかぶりを振った。


「みんなじゃないよ」


 泣き濡れた顔をあげる。


「ぼくは、中つ国の人たちを救えなかった」


「でも、彼らは敵国の兵で……」

 戸惑うエンジャ。

 ジュルムと同じだ。


「関係ないよ」

 体を起こし、続ける。


「みんな、命はたったひとつ。産まれたときに、天から与えられるんだ」


 エンジャは息子の顔を見て、その瞳の光に吸い込まれそうになった。


「天が与えた命を、人が奪っちゃいけないんだ」


 ベイオが語るのは、前世の日本なら誰もが持つ人権思想だ。しかし、身分社会が常識のこの世界では、革新的だった。


 皇帝も賤民も、敵国兵ですら、命の価値に変わりはないと言うのだから。


 我が子だと言うのに。確かに自分のお腹を痛めた最愛の息子なのに。

 自分を見つめるその瞳の奥に、底知れぬ何かを感じ、エンジャは鳥肌がたった。


 しかし、ベイオの青ざめた顔に気づくと、すぐに母の愛が打ち勝った。


「疲れたでしょう。今日はもう、ゆっくり休みなさい」

 いつも通り、慈愛に満ちた微笑みで、我が子を寝室に送り出す。

 素直に従うベイオだが、すぐに立ち止まり、振り向いて言った。


「ゾエンさんが戻ったら教えて。大事な話があるんだ」


 戸惑いながらも、エンジャはうなずいた。


 寝室で横になると、ベイオは心に誓った。


 ……もう、迷わない。

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