第72話 軍

「他国から侵略されないためには、どうすべきと思いますか、セイロンさん?」

 翌日の朝議で、皇帝であるベイオはル・セイロンに問うた。


「愚考するに、他国に『麗国侮りがたし』と思わしめるだけの、兵力かと」

 慇懃にセイロンは答えた。


 ……そう、模範解答ではあるよね。

 ベイオは心の中でつぶやき、さらに問うた。


「では、兵を募って訓練することをお願いします」

 その言葉に、セイロンは答えた。

「承知いたしました。ではまず、一万を集めて――」


「だめでしょ」

 ベイオはかぶりを振った。


「は?」

 意外な言葉に、セイロンは憮然として間の抜けた声を漏らした。

そんな彼に、ベイオは静かに問う。


「例え何万もの兵がいても、いざ戦闘になったら一目散に逃げだしたら意味ないよね?」

 対ディーボンの戦闘で、何度も起きたことだ。


「それならむしろ、千でも百でもいいから、ちゃんと戦える兵が欲しいんだ」


 静かに語るその言葉に、思わずセイロンはうなだれた。


「……まさに、正論でございます」


 北の合戦で、セイロンがかき集めた麗国軍はもうない。戦って討ち死にしたのではなく、戦わずして潰走し、そのまま逃げ去ってしまったのだ。


「それに」

 ベイオは傍らに立つ宰相に向かって続けた。

「一万の兵を誰が鍛えるのか、だよね」


 恭しく一礼して、ゾエンは答えた。

「いかにも。この国で軍事に明るい者は、ほとんどが戦死か逃亡しております」


 昨夜、ベイオは舘に戻ったゾエンと遅くまで話し合った。そして、危惧していた通りだと知ることとなった。

 軍を再建しようにも、指揮を取れる軍人がいないのだ。


「だから」

 ベイオはセイロンに向けて告げた。

「数を揃えるより、まずは少数で良いから、戦い方を知ってる人を確保しないと」


「確保……ですと?」

 ベイオの言葉に、セイロンは目を見張った。


「そう。ディーボン兵のうち、一部はこの国に残ってくれるらしいんだ」


 大半の兵士らは、次男や三男だ。故郷に戻っても、受け継ぐ所領も田畑も無い。だからこそ兵となったわけだが、それなら麗国に残って新しい皇帝の下で一旗揚げようと思う者もいる。

 職人のラキアなど、本国から家族を呼び寄せるとまで言ってくれていた。


「兵士も職人も、どんどん受け入れる。兵は軍に、職人は技術学校に」


 年若き皇帝の言葉に、セイロンはうろたえた。


「それでは、軍の要職が帰化人ばかりに……」

「うん。そうなるね」

 こともなげにベイオは答えた。


「ディーボンが相手の戦争だと問題だけど、しばらくは中つ国が仮想敵国だから」

「か……仮想、ですか」

 耳慣れぬ言葉に、セイロンの混乱は増した。


「関白って、こっちで言う宰相だよね。ゾエンさんに当たる人が亡くなって、また内戦になったから、落ち着くまでに二、三年はかかるはず。その間に、帰化してくれた人たちに麗国軍を鍛えてもらえばいいよ」

 こともなげに言い放つ。


「それにね」

 と、ベイオは続けた。

「新しいディーボンの天下人が、麗国を攻めてくるとも限らないし」

 前世の記憶を探っても、家康はそのような野心を持たなかったようだ。むしろ問題となったのは、幕府とは無縁の海賊。いわゆる倭寇だ。

「仮に攻めてきたとしても、まずは水軍で防ぐことになるよね」

 今回は全く役に立ってくれなかったが。


 そこへ、傍らのゾエンが口を開いた。

「水軍の改革も必要です。並行して進めていきましょう」

「そうだね。色々、問題を抱えてるみたいだし」

 ベイオもうなずく。


「海は繋がってるのに、水軍が地域ごとに分かれてて、指揮系統がバラバラなのは変だよ。敵が攻めてきても、管轄が違うと無視するとか」


 ……しかも、将軍が真っ先に逃げ出すし。


 ベイオは、ブソン港の手前で出会った水使、水軍の将軍を思い出した。情けないことに、ディーボン軍の来襲に失禁しながら逃亡したのだ。

 セイロンに尋ねたところ、あの男は都まで逃げ伸びたものの、文字通り首を切られたという。

 当然の処置だが、ベイオにしてみれば気持ちのよい話ではない。


「伝統的に、我が国の水軍は役に立ってませんからな」

 ゾエンがため息とともに漏らした。

「何百年もの間、海賊が跳梁跋扈していたのに、全く鎮圧することが出来ませんでしたから」


「え、そうだったの?」

 これは、ベイオも知らなかった。

 海賊と言う事は、歴史の授業に出て来た倭寇というものだろう。


「今では、海賊は収束しております。ディーボン側の取り締まりが厳しくなったので」

 セイロンが苦い顔で答えた。

「もう二十年も前の事ですな」


 ……と言う事は、僕が生れるずっと前だな。


 ベイオが知らないのも当然だ。やったのは、この世界の信長か秀吉か。

 しかし、海賊退治まで、ディーボン頼みだったとは。

 そこで、ふと思い立った。


「ところで、その水軍は今、どうしてるんだろう?」


 ベイオのつぶやきに、ゾエンとセイロンは困ったように顔を見合わせた。

「それが……」

 セイロンが言いよどんだので、ゾエンが答えた。

「北部東西の水軍は待機しておりますが、南部の水軍とは連絡が取れていません」

「え?」

 ベイオは耳を疑った。


「まさか、まだ戦ってたりしないよね?」


 その、まさかだった。


* * *


 半島の南西部、ジョルラ道左水使のリウ・シスンは、ブソン港を出るディーボンの船団を追撃していた。

「ディーボンめ。このまま逃がしてなるものか!」


 そもそもは、開戦直後のことだった。


「ケイサン道にディーボン軍が上陸! ケイサン道右水使ゴン・キンゲン殿からの支援要請です!」


 早馬の伝令から知らせを受けたのが、上陸の翌日。


 ちなみに、右水使、左水使というのは都から見た右側・左側の地域を担当すると言う意味。そのため、南部を見た場合は右が西、左が東を指す。北部なら逆となる。

 半島の南東部ケイサン道に対し、ジョルラ道は西に位置する。そのため、シスンにとってのキンゲンは、すぐ隣の同僚と言えた。

 しかし、行政区が異なれば管轄も違う。そして、軍の反乱を病的なまでに恐れる麗国は、前線の指揮官が管轄を越えて手を組むことに大きな制約を設けていた。事前の許可か、火急の際には事後の詳しい報告が必要となる。


 加えて、キンゲンとは以前より不仲であった。


 シスンは幼いころから武官を目指していたが、武官の科挙に合格できたのは三十代に入ってからだった。その後も上官に恵まれず、武人としての実績が少なかった。

 にもかかわらず、異例の大抜擢で水使に任じられたのは、宰相のル・セイロンと幼馴染であるためだと、キンゲンをはじめとする諸将から非難轟々だった。

 以後、ことあるごとに様々な嫌がらせを受けていた。


 そうした経緯もあり、シスンは支援を拒否した。

 結果、キンゲンは自軍の船をすべて沈めて撤退する。しかし、都に上る途中でディーボン軍の追撃にあい、奮戦空しく戦死したと聞く。


「あの猪突猛進な男が、追撃されて死ぬとはな」

 日頃から「天地の間に、かくも凶悪で常軌を逸した者は二人とあらず」などと酷評していた相手だが、こうもあっけなく消え去るとは。


 しかし、武人として戦いで死ぬのは世の常。戦うこともせず、のうのうと生き延びたとあっては、将来に差し障る。

 ディーボン軍の目的地は、宣言した通りに中つ国らしく、ひたすら北西へと進軍していた。船は南東部のブソン港につけており、南西部のこちら側は放置されている。


 ……海上補給路を断つのが常道なのだが。


 ケイサン道水軍が壊滅したため、管轄外という制約は無くなった。そこで、シスンは手勢の水軍を率いて、何度かディーボンの船団を襲った。

 火砲を多数乗せた麗国の軍船は、最初こそかなりの敵船を撃沈して戦果を挙げたが、すぐにブソン周辺の沿岸に砲台を築かれて、近づけなくなってしまった。

 洋上を迂回して襲撃しようとしても、こちらの軍船は平底の船ばかりで、沖合の荒波に耐えられない。

 手詰まりだった。


 そうこうするうちに、都が落ちたとか、国王が逃亡したなどの不穏な噂が流れてくる。さらに、新しい王が即位したなどと言う者もいたが、北の戦場に龍が現れたというのと同じで、眉唾だろう。

 そこへきて、先日ジュルラ道を襲った台風だ。水軍の港と内陸を結ぶ峠が崩れ、伝令も途絶えてしまった。


 以後、敵からも味方からも放置状態だ。

 幸いにして、糧食の備蓄だけは余裕がある。キンゲンが撤退した際に、燃やさずに残された予備の糧食を奪うことが出来たためだ。

 しかし、それとてじきに無くなる。徴発しようにも、峠のこちら側の村々は台風の被害で酷いありさまだ。


 だが、どうやら風向きが変わったようだ。

 ブソン港の動きが活発になって来たが、どうもディーボンの船は、空荷で来て人馬を載せて去るらしい。

 何があったかはわからないが、撤退とみて間違いがない。


 ……ならば、今を除いて戦果を上げる機会はない。


 討って出るしかなかった。


 眼前に広がる大海原。白い帆を掲げて立ち去ろうとする敵船。

 荒波に激しく揺られる甲板に仁王立ちになり、シスンは号令をかけた。


「一隻も残すな! 砲撃、開始!」


 この戦争で最後となる海戦の火ぶたが切って落とされた。

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