ゼロから始める異世界工業化

原幌平晴

やりたいことは工業化!

第1話 プロローグ

 暮れなずむ春の一日。三月の半ばだというのに、ここ数日が暖かかったせいか、既に靖国神社の桜は満開だった。

 その大鳥居をくぐった先、大村益次郎の銅像の下にたたずむ、一人の少年。

 中肉中背、これと言って特徴の無いのが特徴と言えそうな、平凡な顔立ち。先月、就職の面接で茶髪を黒く戻したせいで、その傾向は強まっている。

 雑踏の中に、いともたやすく埋もれてしまいそうな、地味ィくんだった。


「あ、いたいた、日野君!」

 そんな彼を見出してくれたのは、茶髪をポニーテールにしたOLさんだった。

「アキナさんですね、日野清です。直接会うのは初めてですね」

 相手が若い女性と言うこともあって、日野清と名乗った少年は少し声が堅かった。

「そんなにかしこまらなくても大丈夫よ。今日は『半島建』グループのみんなに声かけてるから、そろそろ来るでしょう」

 あっけらかんとした話しぶりだ。

 『半島建』とは、某SNSでの『半島の国・建築事情』というグループの略称。

 そこで対話した印象どおりのお姉さんだな、と言うのが日野少年の感想だった。


 建築の仕事に憧れ、工業高校建築科に入学したのが三年前。

 学校の授業でパソコンやインターネットに触れ、いくつかの記事に目が留まった。

 近隣の国での、あり得ないような崩落・倒壊事故だ。完成したばかりの橋が崩れ、マンションが倒れ、デパートが崩れる。地震も台風も来ない土地柄なのに。

 一体、何が原因なのか。

 昨年の夏、満十八歳になったのをきっかけに参加したSNSで、開口一番、疑問を投げかけたところ。

 これに返信してくれたのが、アキナさんだった。そればかりか、専用のグループまで作ってくれた恩人。


 感謝のみならず、敬慕すら感じている少年だった。


 ビルの谷間から覗いていた夕日が沈んだ。一気に夕闇が濃くなって来る。

「みんな、まだかしら。主賓を待ちぼうけにさせちゃ駄目よね」

「主賓だなんて。今日はお花見ですよね?」

「日野君の卒業祝いも兼ねてるのよ。ちょっと遅くなったけど」

 言うなり、アキナさんはハンドバッグからスマホを取り出した。

「工業高校って、卒業式が早いのね。三月に入ってすぐなんて」

 スマホを操作して、目的の画像を取り出す。

「見せてもらったわよ、卒業制作」

 映っているのは、細い角材で作られた住宅の模型だった。日野少年がSNSに投稿した画像。

「会社の同僚にも見せたんだけど、よくできてるって」

 褒められて、照れくさそうに頭を掻く。

 アキナさんは某ゼネコン勤務だそうだから、同僚にはベテランの建築士もいるだろう。


「これ、作るの大変だったでしょ?」

「ええ、まぁ……おかげで、卒業したら暇を持て余してます」

 丸々一カ月もの春休みだ。しかも、宿題も課題もない。とは言え、後半になると就職先で研修も始まるのだが。

「今日なんて、昼頃から都内をブラブラしてました」


 卒業したクラスの友人たちは、卒業旅行だ合コンだのとはっちゃけてるようだ。来月からは社会人、まさに青春を謳歌している。

 日野少年が声をかけられないのは、別にハブられているわけではない。母子家庭で経済的余裕がないから、というだけだ。

 本当は、春休み中にバイトでもしようと思ってたのだが、母親に「四月からバリバリ稼いでもらうんだから」と言われてしまった次第だ。


 そんなこんなで、すっかり自堕落に昼夜逆転していたせいか。それとも女性の前で緊張したからか。

 少年の下腹部が異常を訴え始めた。


「……すみません、ちょっと腹の具合が」

 しばらく悩んだ後、正直に申告した。憧れの女性の前ではあるが、だからこそ一大事だけは避けないと。

「あら、大変。大丈夫?」

「ええ、ちょっとトイレに行ってきます」

 あたりを見まわすと、参道を少し奥へ進だところに、飲食のできる休憩所があった。トイレの表示もある。

「そう? じゃ、ここで待ってるわね」

「どうもすみません、すぐ戻りますから」

 一礼して、少年は銅像の下から立ち去った。


 その約束を守れない運命だとも知らずに。


 休息所のトイレは、幸い混んでいなかった。それは良いのだが。

 手前の個室の扉には「修理中」の貼り紙があった。その隣にも紙が貼ってある。困った。

(……ん? この文字は?)

 隣の貼り紙にマジックで乱暴に書かれているのは、丸と直線を組み合わせた特徴的な文字だ。読むことは出来ないが、どうせまた日本をけなす文章なのだろう。

(あの半島の連中にも困ったものだな……)

 『半島建』でもしきりに話題に出ていた、あの国の反日運動なのだろう。

 とはいえ、下腹部の緊張感は高まってる。用を足してから休息所の職員に知らせよう。

 そう思って、貼り紙のある個室のドアを押し開けた時、何かがプツッと切れる感触があった。

 そして、轟音と炎――


********


「……ベイオ、大丈夫かい?」

 名を呼ばれ、ベイオは目を開いた。布団とは名ばかりの粗末な寝床。二十歳前後の女性が心配そうな顔で覗きこんでいた。

「母さん……」

 つぶやくと、母親は手桶で布巾を絞り、汗ばんだ顔を拭いてくれた。あたりは暗く、明り取りの窓から差し込む月の光だけが、狭い部屋の中を照らしていた。

 母親が口を開いた。

「驚きましたよ、急に倒れて、酷い熱だったものだから」

 そうだ。表でアルムと遊んでいたら、急に眩暈がして……。

 そして、どうなったんだろう?

「まだ早いから、朝まで寝なさい」

「……うん」

 眠りに落ちながら、脳裏に浮かんだ女性に、声にならぬ声をかける。

 お休みなさい、アキナさん。


 アキナさん……凄く懐かしい気がした。

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