第115話 誕生と慟哭

 アルムは走る。北へと。そして東へ。

 ボムジンとヤノメが暮らす、東北部の町へと。


「赤ちゃん、きっと可愛いだ!」

 快活な声でそうつぶやくと、更にスピードを上げて走る。季節は秋に入ったばかり。残暑の中にも涼しい風が吹く。


 今朝方、タツノオトシゴの伝令がベイオたちの家に現われ、ヤノメが女の子を出産したと告げたのだ。


「ヤノメの赤ちゃん! 会いたいだ!」

 目をハートにして舞上がるアルム。矢も楯もたまらず、朝食もそこそこに家を飛び出したのだが。


「アルム、待ってよ!」

 都の北門の所で、アルム父に背負われたベイオが追いすがってきた。


「いくらなんでも、何も持たずに無茶だよ。ほら、お弁当とお金」

 布にくるんだ雑穀餅と、ファラン銅貨数枚をアルムに渡す。


「無理しないでね。今夜は北都の城に泊まると良いよ。アルムのこと、伝えておくから」

 電信機さまさまである。


 ベイオにしてみれば、大切な妹の初めての一人旅だ。そもそも、アルムはまだ七歳でしかない。心配しない方がおかしい。

 できれば一緒に行ってやりたいし、ヤノメやボムジンにも会いたい。もちろん、赤ちゃんにも。


 しかし、ベイオにはどうしてもやらねばならぬ事があった。


「ありがとうだ、ベイオ。おとう、行ってくるだ!」

 雑穀餅と銅貨の入った包みを腰に縛り付けると、アルムは元気よく走り出した。


 みるみる小さくなる後ろ姿を見送ると、ベイオは振り返ってアルム父に向かってたずねた。


「良かったの? アルムについて行かなくて」

 獣人の視力では、まだ見えるのだろうか。しばらく娘の走り去った方を見つめてから、幼き主人の前にひざまずき、アルム父は答えた。


「私の役目は主上にお仕えすることです。こたびの娘の旅は私事わたくしごとに過ぎません。それに……」

 再びアルムの去った方を見る。


「あの子も色々と経験を積んでおりますゆえ」


 ……確かにね。


 ベイオはうなずくと、アルム父に告げた。

「じゃあ、戻ろうか」


 ベイオはきびすを返し歩きだした。

 やるべきことをやるために。


* * *


 アルムは一路、北都を目指しひた走る。疲れを知らぬその脚力のおかげで、北都はもうすぐだった。

 順調な旅だが、ここで邪魔が入った。


「おう、小娘! 一人旅とは度胸があるな!」

 見るからに柄の悪い男三人が、アルムの前に立ちふさがった。皆、一様に黒い服を着ている。


「とっ捕まえろ! 奴隷にすれば良い値で売れるぞ!」

 ファランの孤児院事業が、こんなところにも影響していたようだ。


 しかし、アルムは速度を緩めず、むしろ勢いを付けてジャンプ!


「とう!だ!」

 男の一人を飛び越え、頭を蹴ってさらにその先へと跳躍。


「ンガッ! お、俺を踏み台にした!?」

 反動でうつ伏せに倒れた男が喚いた。


「何やってんだシュマ! テオルガ、追うぞ」

「へい!」

「ま、待ってくれよアイガ兄貴!」


 黒い三人組は全力でアルムを追うが、獣人娘の脚力に適うわけがなく、たちまち引き離されるのだった。


 ……しかし、北都を目の前にしてアルムは立ち止まった。

 目の前を流れるデドン河。これを渡らなければ北都にはたどり着けない。泳いで渡っても良いが、服が濡れる。


 ……ベイオが織ってくれた服だもの。


 ベイオの自動織機で初めて織った布を、エンジャが縫ってくれたのだ。生まれてはじめて貰った、木綿の服。汚したくない。


「そうだ、お金!」

 腰の包みからファラン銅貨を取り出す。雑穀餅の方は、とっくに走りながら食べてしまった。


 銅貨を握りしめ、アルムは舟の側でタバコをくゆらせている初老の男に話しかけた。


「おっちゃん、河を渡りたいの。これで足りる?」

 渡し守の男は、うなずくと銅貨を一枚受け取り、舟のもやい綱をほどきにかかった。


「こら待て~!」

 そこに追い付いてきたのが、先ほどの黒い三人組だった。たちまち、アルムを取り囲む。


「もう逃がさねぇぞ!」

「よくも蹴ってくれたな!」

「兄貴、コイツ金持ってヤスぜ」


 口々に喚くが、アルムはそれどころでなかった。


「あ、おっちゃん、アルムまだ乗ってない!」


 荒事に巻き込まれるのは御免とばかりに、渡し守は客を置き去りにして舟を出してしまっていたのだ。


 ひどい、と地団太踏むアルムの肩を、男の一人が掴む。

「大人しくしろ小娘!」


 その手を引き剥がして――

「ふん!」

 ――河に投げ込む。

 ボチャン。


「よ、よくもシュマを!」

 残りの二人が一斉に掴みかかるが。

 ボチャン、ボチャン。


「「「お、泳げないんだ、だずげで……」」」

 口々に喚きながら、川の流れによって去って行く黒い三人組。


 ほう、とため息をつくと、アルムは川辺に座り込んだ。

 別の渡し守が来るのを待つしかない。


 水面に自分の顔が映っていた。

 その隣に、いつもいるベイオの姿は無い。


「そっか、おら今は一人なんだ……」


 そうつぶやいたら、鼻の奥がツンとした。ふいに涙がこぼれそうになり、暮れなずむ西の空を見上げた。


 細い三日月が、夕焼けの中に低く輝いていた。


* * *


「アルム、どうしてるかな……」

 王都では、ベイオも同じ月を見上げていた。


 やるべきこと、印刷工房の建設に金属活字の量産化。それらの激務を終え、住まいであるゾエンの屋敷に戻ってきたところだった。

 邸内に入ると、まずは父母の寝所に向かう。


 ここ数日、母のエンジャは具合が悪く、食事の際も姿を見せなかった。その見舞いと、もうひとつの「やるべきこと」。


 部屋の前で声をかける。


「お母さん、お加減はいかがですか?」

「ベイオかい? お入り」


 そっと扉を開けて室内に入る。

 エンジャは寝床の上で半身を起こし、息子を迎えた。

 ベイオがその側に正座すると、母はその頭をなでた。


「今日は吐き気もそんなに酷くなかったわ。心配かけてごめんなさいね」

「良かった。早く良くなってね」

 その言葉に、エンジャは微笑んだ。


「大丈夫よ、病気ではないのだから」

「え?」

 病気ではなくて、体調を崩すというのは、つまり……。


「私にも赤ちゃんができたの。あなたに弟か妹ができるわね」

 少しはにかみながらの母にそう告げられて、ベイオは頭の中が真っ白になった。


 ゾエンと夫婦になったのだから、当然ながらいわゆる夫婦生活もあっただろう。エンジャもまだ若い。

 しかし、ベイオからすれば母親だ。母親の性生活など、思いもよらなかった。

 とは言え、子宝だ。祝うべき事だ。

「お、おめでとうございます」

 おずおずと、両手をついてお辞儀をする。


「どうしたの、ベイオ。他人行儀にあらたまって」

「うん……それなんだけど」

 意を決して、背筋を伸ばして、ベイオは告白する。

「僕は、本当のベイオじゃないんだ」


 今度はエンジャが呆然となった。


「……それでは、あなたは前世の記憶を持って生まれてきたと言うのね?」

「うん、でもちょっと違うんだ」

 ここが、一番言いづらい点だった。


「アルムが産まれた時の地震で、ベイオは……お母さんが産んだ本当のベイオは、死んでしまったんだ。そこに、僕の魂が潜り込んだんだ」

 そこまで一気に話すと、ベイオはうつむいた。

 

 言わずに済ませる事もできた。しかし、この世界で一番大切な人に、隠し事をし続けるのに耐えられなかった。

 ……と、エンジャがベイオの手をとり、自分の方に引き寄せた。そのまま、包み込むように抱き締める。


「お、お母さん……?」

「そうよ、私はあなたのお母さん。あなたは私の息子。ずっとそうして暮らしてきた事に、なんの嘘もないわ」

「お母さん」


 ……やっぱり、話して良かった。


 そう思ったベイオだが。

「でも、どんな人だったのかしらね、前世のあなたの……ヒノ・キヨシ君のお母さん」

「うん、あのね、名前は日野……」

 言いかけて、ベイオは凍りついた。


「……ベイオ?」

 エンジャはすぐに、息子の変化に気づいた。

「思い出せない……そんな、何で?」

 前世で学んだ知識も、教えてくれた先生たちや友人の名前も顔も、ちゃんと覚えている。幼い頃に死別した父親も、写真で見た顔や、ただしという名は記憶に残っている。

 しかし、母親だけは、その名前も顔も思い出せなかったのだ。

 保険の外交員をして、自分を育ててくれた母。運動会で一緒にお弁当を食べたり、たまに旅行をしたり。そんな記憶は残っているのに、名前と顔だけが消え去っていた。


 ベイオは母の腕の中で声をあげて号泣した。その姿は、年相応の子供の姿だった。


* * *


 ゾエンが帰宅したのはそれからしばらくしてからだった。

 泣きつかれて眠ってしまった我が子を抱きながら、エンジャは夫にベイオの語った内容を伝えた。


「なるほどな。そんな秘密を抱えていたとは……」

 そうつぶやくと、眠る息子の顔を覗き込む。頬には、涙の跡があった。

「あれらの発想はすべて、その前世の知識……ここより数百年も進んだ世界の知識によるものだったのか。なら、納得だな」

 ゾエンも夜着に着かえると、ベイオを間に寝かせ、エンジャと川の字で横になった。


「ああ、そういえば。こうして三人で寝るのは、初めてだったかも知れんな」

 こうして寝顔を見ると、あどけない子供にしか見えない。

「そうですね」

 うなずくエンジャにうなずき返し、ゾエンは目を閉じる。

 今この時は、異能の天才でも皇帝でもなく、俺の息子だ。

 そう、ゾエンは心に思った。

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